花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

おふくろさんの正月

2009-01-01 00:52:21 | Weblog


「おふくろさん、、、」

  昨日の紅白の歌声が聞こえるようです。

  森さんの「おふくろさん」は

  懐かしい若き日、
  マイクの前で
  泣きながら歌っていた
  あの頃のように

  真実、、、。

  作詞、作曲、、、、は別の方。

  歌を咲かしたのは、、、
  やっぱり森さん。

  この歌は、
  森さん以外は歌えないでしょうね、、、。

  森さんに歌が戻ってきて、おめでとう!


  同じ様に、おふくろさんを瞼に浮かべた歌!

  千の風になって、、、煌く雪になって

  おふくろさんは、
  いつまでも皆を見ていてくれますよね。

  私には「御二人の歌」が、
  どちらも
  「おふくろさん」の
  真実のなせる業と思って聞いていました。

  森さんの弟さんが医師に成った事を
  美容院の週刊誌で報じられているのを
  かなり昔、、、見ました。

  主人は19歳で国立大学の医学部に入学しました。

  38歳で、
  初めて、
  公務員の月給を受け取った主人。

  外科という、、、
  大勢の科に入局していたので、
  なかなか、、、役がつきませんでした。

  今と違って、
  当時は長い間「無給医」

  大学院に行きながら
  
  地方巡りの僻地勤務。
  3か月毎で、
  違う地方に点々と移動の
  短期アルバイトの生活費。
  8年後、
  やっと、研究が実り博士号を取得。

  給料を手にするのが遅かった、、、
  昭和40年代卒の医師。

  とうとう、、、「おふくろさん」の生存中は
  何もしてあげる事が出来なかった。

  今の「医学部」は卒業すると
  研修医として、20~30万円の月給がもらえます。

  おふくろさんに、スカーフもセーターも
  プレゼントすることができますよね。

  主人の時代は「無給医」だったのです。
  
  今、、、新卒の内定取り消しの
  新聞記事を読むにつけ、、、
  若き日の、
  苦しかったアルバイト生活の研究が続いた日の事を
  思い出します。
  
  16000円の家賃に困った事もありました。

  誕生日には「メザシ」
  子供は「ヤナギコウリ」のベットの中。

  陽だまりの所に
  「ヤナギコウリ」は運べますので、
  私的には満足でしたが、、、

  どうか、、、

  今年は、、、
  新卒の就職が順調であることを祈っています。

  お金が入らない青春時代は
  不安で、さみしく、孤独です。

  明治生まれの、亡き「母の時代」も、
  「青白きインテリ」と言われた
  時代であったそうです。

  私たちの時代は、医師は「無給」だったのです。

  森さんの「おふくろさん」を聴いていると、
  何もしてあげれなかった、母へのお詫び。

  20年も里帰りできなかった
  貧困時代の無給医の生活、

  ヒコーキが高かった時代を思い出します。
  日本に、、、
  どうか、
  経済的な嵐が来ませんように!!!

  祈りながら、
  2009年をむかえました。