2009年という、ただならない政治の激動の年も
あと数える日々となりました。
バブルもオイルショックも、温暖化も、
未来に生きる孫の時代には
なんとかなってほしいと願いつつ、
四捨五入すると70歳になる、、、新年がやってくる。、
「今年読んだ本」で、健康一番、
病気になる前に検査で予防!
気楽に読んだ一冊からの私の想いを記します。
これ程、広い視点で、
「がんに対する疑問に答えた本はなかった!」
狭く、細い堅い視点で、難解な言い回しの本は
書店にはあふれている。
しかし、日野原先生の本もわかりやすいが、
森山紀之著の「がんはどこまで治るか」の本も読み安い。
「紀伊国屋」に行くと売り切れだったので、
アサヒ屋書店に行ったら
あった、、、あった、、、」
長電話をくれたのは、大阪の清美ちゃん!
感動して、友人にも進めたという。
世の中には似たような題目の本はわんさかとあるが、
生涯、
「がん」と闘い続け、
技術を磨き、
医学と技術をコラボレーションさせていった実体験から
最も信頼のおけるがんセンターのデーターで
明快に答えてゆく
精神的に「贅沢な豪華本といえるのではないかと思います。」
「わかりやすい、!」
この種の本で、こんなに読みやすい本はめったにないと、
彼女は興奮して感心する。
「がんはどこまで治せるのか?」という、本に出会うまで、
柳田邦夫さんの「がん回廊の朝」とか「明日への挑戦」とか
日本のCT開発途上の「医師と、技師と、東芝の技術者たちの
眠る暇もない努力のコラボレーションの単行本」を
読んでいたという。
若かりし日の著者が、NHKやニュースや、
ドキュメンタリーに出ているのも見ているとも言った。、
やがてヘリカルCTで、初期の肺がんなどがわかるようになり
助かる時代に突入し、
主人公の医師は、
私たちには難解な専門書を何冊も書きはじめているのも
感動していたそうである。
書店では、
新しい本が出るたびにめくっては見たものの、
専門書なので、閉じてしまっていたという。
それが、今回は、
自分たちにもわかる、
読めば納得できる本が書店に並び
さっそく読んで見たと
、電話がかかってきた。
小学校から私とは友人だった彼女は、
私ががんセンターで
「卵巣腫瘍」が見つかったとき、
本人の私より
大騒ぎして、不安になり、自分もなるのではないかと、
遠距離電話をしきりによこした神経質な一面があった。
今回、森山紀之著
「がんはどこまで治るのか」を読んで、
すっかり安心したと言ってきた。
「最後のページが最高に感動して本を読み終わったわ!」と言った。
私も感動した。
この本を、読んでから、
「医学と芸術」という
身体という小宇宙へ
画像という宇宙船に乗って
出発し始めた。
医学と芸術という本は
森美術館が発行した本であるが、
懐かしい父の残した日記帳のような親しみでページをめくった。
昭和20年前後
軍から引き揚げた
外科医の父が、戦後、
疎開先で、七か村無医村地帯で有ったため
委託開業をした時代のことである。
トラックに足をひかれた男の子の足の切断の後、
悲しみに暮れる
両親が、なかなか立ち上がれないさなか、
「手製の義足を創って、息子さんに履かせた。」
学校にも不自由なく通学し、
成人してから立派な理髪店を経営し、
お子さんも生まれた時、
私は父を誇りに思ったものだった。
父の創った義足はどんな芸術品より、
私は素晴らしいと思った。
環境のおかげで、
ヒポクラテスの言であると伝えられている
「人生は短し、、、技術(芸術)は長し、、、」という意味が
理解できる様な気がしたものである。
今「森山紀之著の、がんはどこまで治せるのか」という本を
繰り返し読みながら、CTを開発した医学と、技術の
コラボレーションこそ「芸術であると思えるのです。」
昨日や今日の短時間で出来ることではなく、
そこには科学とは無縁のはずの「愛」が
心のやる気の機動力とも言えるベースになって、
生み出された作品と思えるからです。
名誉や地位や、
売名行為で、表面をなでまわし、
主張の激しい、、、
読者に媚びた本は避けてきた。
書きましたよ、、という感じの本が
店頭にはあふれているが、、、、
人生の生きてきた「足跡」がそのまま本になったのは珍しい。
「がん」という生命の砂漠にさしかかったとき
砂の平原に、足跡が続き、命のぬくもりを抱きしめる。
人生を丸ごと「がん」にささげた著者が
足跡のように、ありのままを記したこの本は、
医学という技術(芸術)のなせる技にほかならないと感じたのです。
戦後、外科医の父が創った義足は、、、愛。
時代は進んでも
「医師をする」という困難な人生登山を
やってのけた医師の歩みは
CTや「ヘリカルCT]の開発で、
人々を病になる前に救いたいという、、、愛。
私は科学者の中の「愛を信じたい。」
、