正月だけが連休なのに
結婚以来、
北海道神宮にお参りするという習慣があり
厳寒の中を43年、毎年参拝に行った。
振り返ると
2人でおまいりした時は1969年であった。
銀座ワシントンで買った学生時代から愛用の
牛革のプーッをはいて、
リンクの上を歩く思いで、
滑ったり、転んだりしながら歩いた。
寒さで、足の指が痒くなり
やがて、ほてった感じになり、痛くなったのを
今も痛烈に覚えている。
翌年の為に、
靴屋に持っていって、
靴底を、分厚い滑らないものに修理をして
今も、愛用している
やがて、ぷくぷくにほっぺたの落っこちそうな
長男を抱いて、厳寒の道を歩いた。
このころから、
神社の帰り道の屋台で、だるまを買う習慣がついた。
無給医時代の、育児中の達磨には
なかなか目玉が入らなかった。
当時は保育所も少なく、苦労が多かった。
HBCラジオ局で
「ママと赤ちゃん」の番組のオーデションがあり
運良く、仕事に就くことが出来た。
育児中のママの質問を編集し、
答えを、あちこちの病院の産婦人科の先生に
お答えいただくという、
孤独な子育てママさんへの
子育て支援の、医学番組であった。
時には、デレクターさんと
10キロ近いデンスケを持って
札幌から様似町まで子供の手を引き
様似日赤まで産婦人科の先生に答えをいただきに
出張取材にも行ったりした。
当時、、4人か5人の実子をきちんと子育てされながら
しかも、現役の臨床医をされていた女医の先生が
難解な質問に、優しく判るように答えてくださり
感動したことがありました。
多くの子供を産み育て、医学と合わせて
お母さん方に、育児の指導をするとき
僕は、夫でありながら、
妻の事を尊敬しているのですよ、、、と
ご主人の医師先生も
番組の収録に協力してくださり
ご配慮いただいた結果、
あのときの放送は
臨場感のある、すばらしいものになったのを
今でも思い出すのです。
女医先生の中には
実に「巨人」がいらっしゃるのですよね。
たった2人の息子たちの
アップアップの育児をしながら、
せめて、世の中に役立つ人に
なってほしいと考えていました。
主人も、今年はもう3人の孫をぞろぞろ連れて、
ご機嫌なお宮参りをしました。
しかし、、、帰ってから風邪を引きました。
せっかくの正月の連休も、
寝たきりで、グスグス言っている夫を見ながら、
あんなに、股引は2枚はきなさいと言ったのに
雑踏の名kでもスタイルを気にして、
薄着で、神宮のモリに言ったのですよ。
これからは、
頑固な老人の「頭の若さと体のギャップ」を
育老するような、支援番組があればいいのにと
思いながら、
毎年「ハワイの正月なのよ!」と
知らせてくる知人の正月を思いながら、
風邪をもらって来ても
また来年、
お参りに行けることが、家内安全!
数多ある日本の神様の中でも
北海道神宮は
43回結婚以来の皆勤賞のいただけそうな
ご利益を期待しています。
何事の、、、おわしますかは、、、しらねども
日々、つつがなく来れたことを感謝したく
厳寒の参道を、、、はなすすり歩く妻。