この世の中は大きな宇宙に包まれて
多くの光と、
惑星や衛星や恒星の
見えない引力のバランスの中で
多くの人類が
地球の表面に
それぞれの居場所を争っている。
大きいようで、
小さい地球
大きいようで
小さな人類、
しかし
人類の持っている欲は
がん細胞のように果てしない発展。
東京の空をヘリコプターで飛ぶと
子供のころは海だった浦安も
ゴミで埋め立てた夢の島も
海ほたるも
大東京の高層ビルの大津波に
海のほうが飲み込まれそうである。
竜のオトシゴのような日本
富士山の雪を頂き
心の清らかさを重ね合わせるように
山信仰で、煩悩と戦った歴史の中で
富士山はいつしか日本全土の
国民の大好きな山になっていた。
小学生から70歳の爺婆まで登る山。
信仰の歴史の中で
狛犬のかわいい顔が良い。
小学校から大学卒業をして
東京大学に勤務していた25歳まで
私は「東京人」だった。
父は市谷富久で生まれ
牛込小学校では
時の陛下のお出ましを
学校代表でお出迎えする生徒に
兄弟で選ばれたという話を
折に触れては聞いて育った。
東京大震災にも被害を受けた父の生家。
第二次大戦のあとは
やみ市場や
アメリカ兵相手のパンパン(風俗営業女性)が
路地のあちこちのネオンの下で
おいで、、、おいで、、と
哀しい時代の東京も見た。
新小岩、小岩。あたりの線路の北側は
「パレス」と呼ばれていた集合住宅が
おんぼろ校舎のように建っていた、
ある日「大火」が起こり
焼けてしまった跡地には
新しい町が出来た。
東京オリンピックの
ブルーインパルスの輪を
50代で未亡人だった母と見上げていた。
世田谷には「三井牧場」があって
乳牛が、呑気そうに草を食んでいた。
40年ぶりに「江戸川」を歩いた。
帝釈天の松は、
相変わらず見事なドラゴンのごとく
空を飛んで、
一瞬のうちに
時空をひっと飛びして思い出は今とつながる。
裏の道路を横切って
江戸川の
矢切の渡しに出た。
整備された公園と
昔のままの渡し場と
100円という渡し賃と
蒼い美しい水の中の空と
船に揺られながら
水の一滴になって
川を渡った。
帝釈天前のバス停から
小岩駅に出た、
駅の券売り場の広場には
栃若時代の熱気をそのままに
栃錦の像がある。
しばし見ていて
ホームに出ると
東京駅に向かって電車が通りすぎた。
両国博物館を経て
文京区のシビックビルに登った。
「スカイツリー」見える展望台には
彼と彼女のカップルが
まぶしく笑う。
結婚という回り舞台。
予期したことの無い雪の留萌からの
天与の縁!
結婚は一瞬にして
タラバガニの手足を全部切り取る。
甲羅だけになって
家庭を守り
子供を育て
孤独な仕事場の人生が始まる。
「縁」は
天の命令のように
結婚という形で
女性の人生を閉じ込める。
子育てが終わり
相方が70歳を過ぎるころ、
私は「私を生きてゆかねば」と、
父母の産んでくれた私を探す。
高野山に逝った父母は
霊気となって
伝えてくる。
あなたの相方が
人生をまっとうするまで、
あなたの「仕事を続けなさい」と、、、。
あなたは相方の影なのだから
それが結婚という
二人三脚なのだから。
閉じ込められて
孤独な作業の中で
「愛」を探し続け、
何かを信じて環境を守り、スタンバイ。
子供は育ち
孫が出来、、、1,2,3、、、、
この愛くるしい3人に
「愛」とは個々にあったのか、、、!
そう思いつつも
ネット裏の観客席から応援するが
息子の家庭には一切の干渉はしない事を守る。
ここでもタラバガニの足は無い。
EBM
科学が先
愛があっては仕事にならない医師と
「天が命令した縁」に従った。
そして、次男は、、、また医師になった。
医師になったということは
個人の時間が無いという宣言にも似て
体力の限界まで勤務の病院に魂を置く。
空っぽの疲れ切った体だけが帰ってくる。
家庭においては、お客様。
それでも父の時代は「金銭」が
家事手伝いの分身を雇って、
婦人は休む暇もあった。
現在の医師は
医療人とはジャンルの違う
文系の事務方や
経営担当の会社が使う社員であるような?兵隊?
多くの、一見無駄な環境の中から
閃くような超人の技のごとく
働ける名医が支えられていた。
現在は、家内が
ヒマラヤに登りたい登山者の
ロバとなって荷を運ぶ。
シェルパとなって
最短経路の荷運びを先導する。
ひたすら、仕事のことだけ考える医師。
息子は38才になった。
卒業のころ
縁談があった。
「研修医時代は
結婚の余裕も、体力も、時間も無かった。」
30歳ごろ、遠縁の親類から
才色兼備の大学院生を紹介された。
母は息子に話さなかった。
33歳、私の大学時代の友人から
お嬢さんを紹介された。
其のときも、息子には話さなかった。
「忙しい、、、結婚どころじゃない、、、」
息子の口癖である。
35歳、、、主人の知人が
28歳の女性を紹介してくれた。
このときも、、、
息子には話せなかった。
そして今年、息子は38歳になった。
「結婚する気はあるの?」
聞いてみた。
「42歳になったら
其のときに出てきた人と
天命だと思って結婚するよ、」
医師になっても
医師をすることは、もっと難しい。
水に映った息子の影のように
一つではあるが、一心同体ではあるが
出会うことの無い実態の中で
水に映った影となって一つの役を
二人で担う妻になってくれる人がいたら!。
、
息子が人間であり続けるための
愛を映す鏡となって
仕事という愛無き五泰山に
閉じ込められた「孫悟空」を
釈迦様のお供をするたびから
つかの間人間界に引き戻し
受胎して
二人の遺伝子を
未来に運ぶ船として
、
自分流に子育て、家庭をテーマに
孤独をものともしないで
人生を走りきってくれる
相方が、、、現れてくれるかもしれない。
わずかな希望を
「息子の運のよさ」にかけます。
だから今回も、
しっかりとして美しい
息子にはもったいないと思う
お嬢さんの写真を送ってくれた
大学時代の友人に感謝します。
日曜日
彼女のプロfヒールを、、、
話す前に
「忙しくて結婚どこじゃない」という
疲れ切った寝ぼけた声。
相手様には、良しなにと、、、
息子に知らせないで、
送り返してしまいました。
早く孫の顔を見たいと思うのですが、
天与の縁でも授からないと
職場の状況から判断すると
忙しすぎるのです。
医師が足りないのですから
仕方ありません。
結婚は夢のまた夢かもしれません
写真を送ってくださった友人へ、
心より感謝します。
時間をやりくりできない
38歳の医師の職場。、
お母さんは、
君自身が授かった縁を
大切にしたいから、
良い縁にめぐりあえますように
祈っています。
故郷には帰らないと言って出て行った次男。
東京は無機質なウサギ小屋の人生が
多くの家庭婦人を閉じ込めてしまうから
結婚の条件としては
岩場に蒔かれる種になるのでしょうか?