花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

居候と受け入れ側の一人娘の成り行き的立場

2016-11-22 11:49:50 | Weblog

戦争から復活の昭和20年から30年代は

あちらもこちらも、、、居候だらけの家族構成でした。

下町だったからでしょうか?

駅の周りには「パレス」と呼んでいた

女性たちの宿場が連立していました。

オトワノブコさん主演の「ドブ」と言う映画が
小学生の私にも

理解できる戦後の「ドブの街」に

初めての「自費の開業」を、父は東京復帰の手段として果たしました。

お寺の跡地の240坪は、庭園に池のある土地でした。

雷魚が住んでいて、こんなところに、、、医療施設を建てて

一から出直す40代後半の、戦争で疲れ、疎開で疲れた父は

体も、精神も、、、果たして持つのだろうか?

おまけの、居候は、
戦争で会社を焼失した、、
もと社長のわがまま?が予想される一家族と

戦争で受験期を学徒出陣して

運よく帰還した独身の父の弟。

28歳から、早稲田を受験、

理工学部を卒業して、東京都の中学校の数学物理の教師をしていた。

部屋代がほしいわけではないが、

一卵性兄弟のように、親子以上かもしれない愛。

特等室に同居して、私の兄弟の受験の家庭教師として

君臨した。

おかげさまなのでしょうか?

中学まで、魚を追いかけていた兄は

当時は、日比谷、両国と、難関だった両国高校に合格。

叔父さんの待遇は、ますますよくなっていった。

一方、母方の弟一家族は、

母の司令塔のままに

新しき開業のための、参謀格の働き手として、

誰の家なのか、わからないほど、

大家族同格の権利を主張しながら、

喧々諤々、、、それでも「愛ある姉の家ですから」。

兄や弟は結構、主張しながら、うまくわがままを通していたが、

私は、女性三人と男の子の連合4人組には

ことごとく、、、押し切られ、

母も、優雅な性格の、弟の家族の長女が、いたく気に入っていた。

おばちゃん、おばちゃんと、、、彼女も大人同士の会話を

母に投げかけるから、

母も本気で、彼女の人生の「あしながおばさん」を

喜んで買って出ていた。

理系の地味なわが娘が、男の子のようにに思えたのかもしれません。

数年間は、私など、目にも入らないほど

女性家族を楽しみながら、

時間は竜宮城の浦島太郎に似て飛んでゆきました。

時代も落ち着いた頃、母の弟さん一家は

自宅を建てて、出てゆきました。

彼女らが、彼氏を連れてきて

巧みに、自動車がほしいと言ったとき、

数年たっていた自動車でもあり、

医療機関には
、新しいのを備品とするころでもあったため、

「二つ返事」で、姪っ子の彼氏に、愛車をあげてしまった。

父が、疎開地で、どんなに働いていたか、

開業資金をやりくりするのに、
お爺ちゃんの奥さんから借りたのも知っている。

「お母さん、、、!!! 古い車は、下取りに出すと、

かなりな値段で引き取ってくれるのに、、、」

初めて、文句が出た。

母は、、、「いいのよ!、現金で応援は出来ないでしょう!?」

「相手にだって、プライドがあるからね。」

「わずかをケチって、未来の味方を得られないのは、、近欲って言うのよ。」

なるほど、、、

それからは、
国立大学卒業の法学部の知恵が、
何かと言うと夕飯時に聞かれたのでした。

夕ご飯時にやって来ては、

開業の、法律面の意見やら、
保険制度の申請のノウハウの知恵やらを
夕食の代金代わりに残していった。

やがて、
患者さんも1日150人は来るようになった。

正看護婦の石野さんも
スタッフとして勤務するようになったのでした。

しかし、、、商魂の全く欠けている父は、

払えない患者さんには請求しないし、

手術をして入院が2週間に及んでも、

退院の前日消えてしまった患者さんがいたりしました。
警察に届けるわけでもないし、行方を調べるわけでもないし
代金を求めて、親類縁者も追いかけないし、

父はどうかしていた。
職員も「先生は、、、お人よしとは違うのでしょうけど、、、。」
不服そうであったことを記憶している。

おりから始まった保険制度を、
こまやかに活用する方面んが欠落していた。

処方内容も、抗生剤が出たばかりでしたが
患者さんの負担額が増えるからと言って
ギリギリまで様子を見ながら
栄養指導や、
胃の薬での
精神的な気力の効果を期待する指導をしていた。
時間ばかりかかった割には

ビカ
健胃散
ノルモ散
フスタギン
安中。。。

締めて150園

時間はかかるが、薬に頼らない体力回復指導に
貴重な時間を割いていた。

近所の婆ちゃんたちは、
定期便のように
父の指導がたのしみで、

2時までの休息時間は
爺婆ランドになっていた。

2時からは、
空気がガラと変わり
正看護婦さんのてきぱきとした動きが
空気をピーンと緊張させた。

レゾヒン

プレゾニン

コウセイザイ

点滴、、、

、、、

退院した患者さんや、
治癒の難しい患者さんで

薬治療の人。

速攻で使うホルモン剤

開業仲間の同級生の
他の科で開業している先生に
来ていただいての
手術など

採算度外視の診療に明け暮れた時代でした。

大病院に紹介しなければならないクランケで
紹介状をしたためても、

患者さんが来ても、経営は、困難を極めました。

                     つづく