ワクチンは筋肉注射と言う事で
子供のころ、疎開先の父の診療所で
初めて見た「筋肉注射の事を思い出した。
小さな「バイアル瓶」に入った
牛乳のような白い液体を
父の人差し指ほどの長さの注射器に吸って
見る見るうちに「インジェクター」は
白い、、大人の人差し指のようになった、
先には、、、金属製のブットイ長い針がついている!!!
その針は、、、まるで、現代の医療に使う極太の採血用の
17号より太い「金属針」だったような記憶が有る。
その針を、、、お尻のタプタプした筋肉に、、、ブスリ!!!
大概の子供は泣きだした。
私も,なんかの時に???
何の病気の時か忘れたが
お尻に,、、ブスリ、、、と
ペニシリンの入った注射を受けたことがある。
「(>_<)!!イタタタ、、確かにドンな痛さは有るが
我慢しやすい痛さと言うか?、、、
ともかく、、、劇的に効果の在る
ぺ二シリン注射の針を
それが、、、昭和の時代にウルトラマンのように
病人を救える、、、ペニシリンだった。
その後、復興の日本は、
貧困の戦後から立ち直りはじめ
私の家族も、東京の下町に開業した。
父は若い時には「北大の農学部に生きたかった!」と言っていた。
しかし、、、戦前は自分の父が剣道は5段で
宮内庁に勤務していたことから
父のお父さん、、、つまり、、私のお爺ちゃんは
東大に合格して、日本の舵取りに御奉公するか、、、
外科医になって、国の銃後の御奉公をすべき「時!」と
父と、弟のひろしさんに申し付けたらしいのです。
木刀を持ったお爺ちゃんは、息子達に稽古をつけるのですが
父は、打ち込む隙の無い御爺ちゃんに向かって
為すすべもなく、、、いつも、「ァッ!」というまに
「こて」を打ち込まれて、、、自分の木刀は宙に舞っていた、、、
「お爺ちゃんには隙が無いんだよ、、、」
結局、、、外科医になり、、、戦地に行き
勇敢な兵士の医療的な支持をした
女の子は、、、人数に入っていないのですが
仕事が間に合い、、、弟のめんどうをみるので
ま、、、居てもいいかな???ぐらいの待遇だった。
ちゅうしゃのはなし
6人の男の子と、、、2人の女の子の父となった、
子供たちには、予防注射をこまめにしてくれた。
その時は細い、、、小さな針で
腕にしてもらった。
皮下にするときもあった。
ちちにしてもらた、、、種痘は
76歳になっても
しっかりと跡が残っており
いつも父とあっ所に生きている
現在は、、、もう、、、金属の針を使っていないのではなかろうか?
注射そのものを、、、コワイ武器だと思いませんか?
積もる話もございます、、
注射の、、、本質をしらず,、、
臨床的には素人です!
インフルエンザも予防注射を受けました
現代は、、金属製の針は無くなっても
針の長さと細さはそうとうの種類が出現している。
主人は筋肉が多くない方なので
23号あたりの針かしらね>
それとも。20号あたりの針かしらね?
針の太さによって、筋肉の指す場所によって
痛さが減ると思ったりしています
つづく
筋肉のある人、、、、筋肉の無い人、、、
婆ちゃんのように、、、骨川の人は
あまり長い針だと、、、
腕を突き抜けたりしたらと、、、
漫画チックな想像をしたりしています。
針についての詳しいサイトが有るんですよ。
そのサイトの先生は、何種類もの針を、
患者さんの筋肉の付き具合によって使い分け
(>_<)痛いという、、、患者さんは
少ないんだそうです、、、
かかりつけ医も、、、こんな先生ばかりだと
注射は、、、恐くなくなるかと思いきや。。。
薬の種類によって、、、
どんなに工夫しても,、、
痛い注射が有るというんだけれど
疎開中は、ここに居る人の予防注射は勿論、、、種痘も
父が一人で施行していました。
父に、、注射を してくれる人、、、が居なくて
可哀想に、、、
自分で自分の腕に注射をしていた、、、父でした。
ペニシリンはイギリスのセントメリーズ病院の医師が
シャーレに培地をつくり、、、途中で、忙しさのあまり
ほったらかしていたのに、、、
アオカビが生えて、、、その部分だけが、、、
抗生剤として薬効を発揮していたのを
みのがさなったというから、、、
リンゴが落ちたら,、、拾って食べてしまう我とは
根本に違いが有るのですね,、、