戦争を境にして、多くの人々の人生が、
どんでん返しになった日から
かれこれ70年になろうとしています。
私の父も母も
多くのものを失いました。
戦乱の恐怖が
時々、甦るかのように
母は、耳を押さえて
ムンクの「叫び」のような「一枚の絵」になることがありました。
あの時から、私は、ムンクの「叫び」の絵は
叫んでいるのではなく、
耳を押さえて、聞きたくない音の風景に慟哭している絵だと
自分勝手に解釈するようにになりました。
さっきまで、和やかに母と会話していたのですよ。
私は、鼻歌交じりに「あ~りらん、、、あ~りらん、、」と
歌い始めた時です。
母はフリーズして、ムンクの「叫びの絵」になってしまったのでした。
戦乱の中、逃げ惑う中で、この歌が聞こえてきたそうでした。
PTSDとか、そういうのではないと思いますが、
一過性の錯乱状態だったことは確かです。
どんな人も、琴線にに触れることってあると思いますが、
母は、ピカソのゲルニカのような、
地獄を見てしまっていたのだと思いました。
明治生まれの母の時代、
東京の音楽大学に通い
青年医師と出会い、
結婚し
自分も、東京都の珍しいと言われたころの
先生をしながら、
長男に恵まれて
この世の春だったと思うのですよね。
それだけに、戦争で失ったものが多かった!。
羊飼いの少女のような生活から、
いきなり、、、羊になってしまい
牧羊犬に追い回される戦争が起きたのですから。
世界遺産になる前の
南紀の和歌山に疎開してゆく多くの人に交じって、
熊野の川を
さかのぼっていったのでした。
母が卒業した新宮高校では、
佐藤春夫さんや、妹さん、、、
今、NHKでは知る人ぞ知る、、、
音で作品を表現してゆくSさんの母上とも同級だったのです。
勝浦新宮、古座川界隈は、自然が人々を幸せにしてくれるところでした。
母は、南紀で生まれ、
先生をしていたおばあちゃんと、
東京の青山師範を卒業して、
校長先生をしていた祖父の間に生まれました。
祖父は若いころアメリカに渡り
多くのことを学び、古座界隈に持ち帰っていました。
疎開中の私が、小学校に入るころは
おじいちゃんは、町長さんをしていました。
また、中学校の校長先生もしていました。
父は、あたり七か村、無医村という状況の中で
母とも、子供たちともすれ違う激務の中で
なぜか、、、生き生きとはじける魅力の笑顔が記憶に残っています。
あのまま、村の人たちの「かけがえのない存在」で生きていたら、
きっと、長生きをしたことでしょうね。
30代のピークを,
戦争という名前の「牧羊犬」に追い回されて、
戦後は、羊飼いになって、多くの羊を育て、
羊毛で、世界の人を温められたらと
思ったのかもしれません。
あるいは、戦争前に総合病院の院長をしていた時代の
「羊になりきれない血が騒いだのかもしれません。
戦争で木端微塵になった本土決戦の
残骸の中で、立ち上げる時を察知したのかもしれません。
戦いは、、、これからだ、
新しく開業した東京への復帰は
筆舌に尽くせぬほどの、「復興」の、
新たなる戦いでした。
あのまま古座に居たら、
長男も末っ子も
学問のチャンスをつかめないまま、
草を食み、幸せの中で
ジンギスカンのお肉になっていたかもしれません。
何もなかったけれど、、、
耕せば実る勉強の畑を与えてくれた父は、
子羊の子供たちを守りながら
54歳で他界したのです。
戦後、父母に再びの希望をよみがえらせた、弟の誕生が、
時間の泊まっていた南紀の川を下り
東京へと、戦後の新しい教育の激流目指して
父母をよみがえらせたのでしょうか?
弟は「団塊の世代」の日本の復興を果たした年代の一人です。
子供のころから、姉のかなう相手ではなく
その才能が、親を東京へと復活させたのでしょうね。
彼が、国立一期校の医科大学に合格した時は
父は、亡くなった後でした。
熊野で、粗末なレントゲンの、不完全な鉛の防御の診察室で、
外科医として、日夜、レントゲンを使い、
自分で現像する父の診療所には
傷痍軍人が、働くことを忘れたように
心と、体の傷を抱えてきていました。
父は、失った手足は、
もともとなかったつもりで、
使えるところを磨き、自立せよ!と
義足を造ったり、義手を造ったり、
心まで、依存性の奴隷になるな!と
瀬としていました。
話す父の手は
放射線の漏れからくる潰瘍がいっぱいで来ていました。
医学部を卒業するころ、
医師も、患者さんも、
痛みのない診断がされる日の為に、
僕は闘う!
大学の外科の医局に居て
手遅れになっている患者さんの手術に向かうとき、
手術が、手遅れになる前に発見し、
痛みのない治療ができないものか!?と
話すようになりました、
その時、新しい医学の象徴のように
国立がんセンターが、
ヴィジョンを持って
弟を吸い込むように、未来の夢に向かって
人生を大きく変えさせたのでした。
CTってなに?
なんなの、それ?って
皆CTなど聞いたこともない時代でした。
敗戦の中から、復興の兆しが見えた日本の医学の黎明期でした。
すっかり、、、お年を召された白髪の柳田邦夫さんの本の中に
当時の、がんセンターが、CTを充実させてゆく
新しい、痛みのない診断へ向かう医学の黎明期の記録が
何冊かの、本になって残っていました。
「がん回廊の朝」「明日への挑戦」、、、
姉として、当然、息子たちに本を送りました。
外科の出番が来る前に
発見して、
痛みのないうちに
初期がんを撲滅させるんだ、、、
息子は、当時おじさんにあこがれていたせいもあり、
大きく影響されたはずと、思いながら、
文京の、マンションの最後荷造りの中に
弟の出ている2冊の本と
肝、胆、膵、の弟の著作した本を
丁寧にシートでくるみ、実家に発送した。
私が、命尽きた日にも、
弟の夢を追った人生の結果が生んだ
これらの本が、
母が伝えることの不可能な
戦争からの日本の復興の、
ひとつのジャンルだと、思ってしまうから
捨てられなかった。
これらの現象を、牧場にたとえるのなら
羊飼いは
、東芝という技術に優れた人々と
弟の夢と、
がんセンターという
牧場主の、合奏曲として
夢を追う激しい闘魂の牧羊犬を
弟の心の中に住みこませた
父の、敗戦からの、
追いつけ追い越せの闘魂が
実を結んだのではなかろうか、
人を産み
人を育てることしか知らない
昭和の十年代の私の心は、
自分の中の小さな牧場を、
柵を超えられないまま
うろうろと、思いつくままに、
ひねもす、
草を食んで過ごした70歳でした。
若者よ、
自分の心の中に、
一匹の虎が住んでいるのに
気が付くでしょう。
虎は、孤独で、
鏡に映った我が姿を見て
「びく!」と驚きを隠せぬそうな。
孤立しないで、
皆で勝ちに行くように、
仲間を募り、
夢をかなえるための
夢を持った人と、
出会えるように、
共通のビジョンの為に
人生を、ともに歩けるように、
自分なりの役割を果たしてください。
CTってなんですか?
CTとらしてくださいって?
いろいろな科の医局で
迷惑そうに断られたりしながらも
データーのない時代から
データーを集め、
東芝技術陣と、CTそのものの
機械の改良に、
議論を繰り返し、技師のよい画像と、
医師として、
患部がクリヤーに診断できる画像との
ずれの改良とか
当時の弟は、
人間をやる暇がないほど
100パーセント以上、
がんセンターの中で、
飛び回っていました。
理解してもらえない時代に
予算もなく、生活も、生きづまり、
落ち込んでいた時に、
時代が
弟を必要としてくれたようでした。
多くの人々が、痛みのない診断の恩恵を受けられている!
これが、、、報酬だったに違いありません。
息子よ、
見える栄華や
権力や、
贅沢を追ってはいけない。
結果が出ようと、出まいと、
医師だけをしながら
戦争に出っくわし
ぼろぼろになって、
54歳で早逝した
あなたのおじいちゃんは、
息子が、自分の夢を継いで、
戦い抜いた
「団塊の世代の一人として、
ジャンルを問わず」
医学のCTの牧場で、
日本の復活の紛れまない役割を果たしたと
孫にあたる
君の血のの中で、
うなづいているかもしれない。
意識下に感じなくても
おかあさんの中の
霊性が
ふと、
量子力学の世界の、
コンクリーの壁を突き抜けるように
精神の中でひらめくのです、
*******************
世間様が、どう誤解しようと、
サラブレッドは、、、血で走るのです。
羽生さんは、氷から生まれたように
かんじませんか?
医師は医師の道をしっかりと歩んでいれば、
知る人は知ってくれる。
わかる人は解ってくれる。
患者さんは。素人だから、恩恵を受けてることには
感知しないのが、またいいでしょう。
医学で人を包めたら、、、最高でしょう!
ほかに何が必要ですか?
ここまで話せばわかるかな?
君が。真摯に生きた証は、子供が示してくれるものだから、
そろそろ結婚して、
未来の銀河鉄道に
自分の遺伝子を載せて
時空に放ってください。
あなたの、生き方の判定は、
子供や、孫や、玄孫が、どう育つかで、わかるでしょう。
夢は、友を呼び
友は、友を呼び、
羊たちは目覚め、地球規模の幸せと、
森羅万象共存共栄の緑の地球という大牧場が
人類で、新陳代謝してゆくとき、
栄耀栄華、一人勝ちの国も、人間も
猿の惑星の映画のように、
むなしくスンをつかみ、
人類の栄華だけはありえない。、
一人勝ちは成り立たないという
水が教えてくれる
水の旅が、
雲を造り、
雨となり
雪となり
季節を運ぶように、
そのままの地球の力を引き出す人類の、
健康を担うものとして、
多くを求めず、
生涯、君のジャンルで
精神の中で
夢を追う牧場主になってください。
依存してもいけない。
人を頼ってもいけない。
知りたいことは、自分の足を運び、
目で確かめて、他人の視点で考えてから、
自分色の意見で、考えの子羊を放牧すると、
てんでバラバラに走る考えの子羊を、
時代という牧羊犬が追ってゆくでしょう。
その中に、羊飼いになれる羊が出てきます。
羊飼いの少女、、、という
ミレーの絵があるでしょう!?
あの少女が、生かされてゆく、
私たちかもしれませんよ。
君を医師に育ててくれた
胎盤の一部になってくれたMSを
去るにあたって、
二人でカギを閉めましょう。
もう
ここにはお母さんが来ることはできないのです。
君の忙しすぎる時間を埋めてくれる人は、いないのです。
70歳という年は、
時代が、親子を引き離し、
依存性からの出発です。
次の世代の、相棒に引合してくれる年が来たのですよ。
日本のどこかに、、、私を待ってる人がいる、、、
百恵ちゃんの、透き通る声が聞こえてきそうです。
意外と近くに居て、きずかないのかもしれないその女性にに出会ったら、
惜しみなく、
思いやりをささげてください。
其の女性の視点に沿って、日常のことは
彼女の意見をどんどん受け入れてください、
家庭が、彼女の居場所になれば、
亭主、元気で留守がよい、、、となりますよ。
そうなると、人生を仕事にかけても、
しっかりと、君の帰りを焦点に合わせて、
奥さんも。社会に参加して、時代についてゆくでしょう。
愛ってわからないものですよね。
愛は惜しみなく奪う。という本がありましたが、
物ではないから、主観がほとんどですから、
この人になら、何かを与えるというよりは、
この人の為に、役立てるのが幸せならば
与え続けて行ける君が誕生するでしょう。
そして幸せ気分をいっぱいもらって、
支配せず、私物化せず、一個の人間として尊重できれば
一人より、、、二人が幸せよ。
これからは、オリオン座を見上げて、
離れていても、空で団欒しましょうね。
ソーネットの引越しが、難しくってわからないから、
このまま、ブログレターや、
お母さんの日記はお休みに入ります。
また、、、お会いする日まで、、、さようなら