花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

ビートルズの世界

2019-06-29 14:59:46 | Weblog
イマジン、、、、

60歳代の世代は

ビートルズに夢中になったころを

思い出すかもしれない。


今度のサミットが、

目前の「5Gの世界」に

国境も、人種も乗り越えて、情報社会に

人間が人間でいられる、、、べき

バランスの保たれる世界の条件が
「戦略の為の 情報戦争にならない」という事だと
                 おもいませんか?」

核戦争を無くし、差別も亡くし、
共存共栄の、可能性をテーマにして

各国の優れた特殊性を大切に
グローバルな役割分担に
情報を使うと

耐力、知力、研究力、芸術的な要素、製作に優れているなど、、、etc.

日本のお祭りのように、出番を提供して

経済が少数民族にまでロンダリングするような
インターナショナルな絶滅を保護してゆく世の中に

情報社会が、一役果たせると
平和に向けての夢が実現するのではと、、、願います。

物質と、心の宿る人間の違いに

経済効果などを基準に差別すよりも、
希少価値の歴史遺産とか博物的な保存とか

戦争で破壊の方向に行くことは
地球のバランスも崩れて

海のプラスチックのように、
未開国の方が
地球を汚染していないという事を

大切にすることは、
各地域の文化を、視点を変えて評価すると

世界は、地球とともに、空気もきれいで、
炭酸ガスを買ってまで地球の温暖化ガ進むという事に
ブレーキがっかるのではないでしょうか?

動植物のみならず
野生文化の民族は、、、ソートしておいて

別の経済効果がもたらされるように
支え合えれば、、、と。

本質的な価値を知ることだと思いました。

紀元前から今日まで今なお、、、
「三国志はベストセラー」だと思いませんか?
1990年ごろ
私は生薬学や漢方額の勉強の交流団体に
北大の聴講生として、薬剤師会の」先生や
薬科大学の教室の皆さんと
4大中医学院で学術交流の旅に参加したことが有りました。
北京から杭州そして成都、西安と、旅をしました。
バスで舗装されていない道を、砂漠に向かって走ったり

源氏物語の原点のような

杭州の文化に触れて

開発されていないときに
中国を旅して「大地の子!」を感じた事を、

旅の感動としてここに記していきます。

わけもなく、、、私はここで生まれた!
地球の土から産まれた、、、と、

一瞬錯覚に陥った感情を、思い出すのです。

中国と日本は、友達以上だと思います。

一方、私の母の父にあたる爺ちゃんは
27歳の時、アメリカに、船で3ヶ月もかかって渡り
アメリカの農業を学んだり、
進歩した議会政治を勉強したり、
アメリカは、戦前から、
我が家にとっては、、、先生でした。

アメリカは、明治維新以後、
日本人の多くの国民の先生だったと思います。



サミットの真ん中の お席の、阿部首相は、
両方が共存共栄して仲良くしてくれることが

小さな国が「核」という
「破壊兵器」に走るのを防ぐと思います。



家事の合間に、主人の帰宅する時間に、

北大のアカデミーの授業に出るのは、

主婦としても、
家庭のゴールデンタイムを捨てて

講習に通うのですから、

北大の学究に徹した人生の先生の、
究極の一言を期待していなした。

NHKの最後の授業の番組のごとく
そのジャンルの専門に捧げた命の主だから言える言葉、、、

もしかしたら、
ポロッと、授業中に吐露されるかもしれない?

もしかしたら、
75歳になって、
究極の未来に気付かされるかもしれない、、、!

もしかしたら、、、、
家事と洗濯と中の

手探りの手段で、27000円という授業料を払って

1時間30分の探し物に出かけるのです。

「昨日のテーマは

「動物たちの子育て」でした。

動物と人間の違いは、

本能で動くか、理性で動くかの違いもありますが

理性の気が付かないところで、

内分泌という、、、

神の域の情報がもたらす未知の分野の作用のメカニズムを
研究していらっしゃる先生もネットには出ています。

体内の五臓六腑
そして、最も厄介な悩という
自分であって自分でないような、、、。

「内分泌やら、神経やら、伝達物質やら

受容体やら、環境因子からくるレセプターと内分泌の不思議!

きっとそれらを研究していた先生が、

14種も見つかっているというクロコダイルの生態や

オスメスの決まるのさえ、環境因子に左右されるという
内分泌の謎を、究極の

人間の知恵の及ばないひとことを

君らの息子や、孫に聴こえればとという

研究という終わりなき謎の前に
ひれ伏した一言が聴けると思って、

2日間の病院泊まり、仕事で
へとへとになって帰ってくるだろう主人を
迎えもせずに
一人で夕食させることを選んで
夜学に出かけたのですが、、、

がっかりしました、、、。

研究にお疲れだったのでしょうか?



その講義には、専門の内分泌や、
環境因子で変わる実験動物の特性も、

一切、専門の知識に触れることが無くて、

NHKの真夜中のプレミアムの方が
ダイナミックな画像で、
大自然の画像が楽しめるという程度の大衆的な講義でした。

夕飯も食べずに
胸を躍らせて、
教室に飛び込んだのですけどね~~~(--!

哀れな、主婦の、
社会システムから蚊帳の外に居る者の
知的欲望は専門分野からは「却下」された思いがしました。

言うなれば、、、

実に楽しいTV番組の
簡単な画像と言えばよいのでしょうか?

レストランでの、、、

どれを食べよウか!!!

胸ときめかして、
これがいいかな?
こっちがいいよ?

まるで楽しいメニュウーのような、

大学生が
張り切って学際に配ろうと作成したような
楽しい、
興味は満足させる
カラー刷りの
充分3000円の値打ちはある内容のパンフレットは

羅列を楽しませてはくれました。

先生はきっと
日ごろのご研究で疲れていらしたのではと思いますが

例えば、スポンサーになっている「市民公開講座」なら

最高だったと思います。


北大アカデミーと、、、

アカデミーが付く以上、

生きてる限りの、
試行錯誤の悩める時間を下さる様な

ご自分の専門分野の、
解けない不思議な課題や、

大自然の
踏み込めない壁の一つに出逢ったとき

学者のため息交じりの
未来に託す夢を聞きたかった。

ここで、講習会の事はさておいて

何十年も前に

ビートルズが聴かしてくれた

「イマジン」が、思い出されました。

小野ヨーコさんという日本の女性が
ビートルズのメンバーの夫人として居たことが
忘れられない理由の一つでもありますが。

日本が原子爆弾の2発を受けて、

原子爆弾で、人間というみずみずしい天与の心ある生き物が
元素に分解して、勝った方も負けた方も
人間を辞めたような結果になることを

戦争の大きな問題だと思っていただけに、

彼らの若いグループが歌っていたイマジン」を。

私は、英語の歌詞を理
解できるまで
英語の辞書を引いた。

「IT」はやがて、
人間を超える能力を宇宙規模で発揮するだろう。

それを創りだす人間には「心がある」

どんなに科学が発展しても、心は作れないとおもいませんか?

元素をつなぎ合わせて、
完全な人工人間を創るとしても

最後の、元素を、
まるで、、、「パズルの最後のピース」のごとく
はめ入れたとき

人工人間の形骸の中に

人工人間の心が、

その瞬間に生まれるのだろうか!!?


人工知能や、記憶データーから、

「これが愛ですABCDE/」、、、と

心空しい科学の愛の心」が、跳ね返ってくるかもしれない。

言葉にも、歌にもなさじ、、、わが想い
、、、その日そのとき、、、胸から胸に、、」

これは与謝野晶子の作品ですが、

人間のように
無言で心を伝えられるのか?

天与の不思議な生命体は

地球丸ごと、良い環境の中で生まれたものが
地球の生命体として残ってるものが
大半ではなかろうか?

森羅万象すべてがバランス良くて
しかも 
空気が美しい環境が必要なのではなかったのか?

許された天の創造物としか思えないのは

科学の果ての宗教心に近い思いでしょうね。

75歳の私は、、、
もう10年
この世に居られるかどうかわかりません。

この年になると、
国境も、人種も、差別も、万里の長城も、
他国との壁も、
ドイツの壁のように
一時的な人間の、
悪あがきの結果のように思えてきます。

本当の勇気をもって、世界中丸裸になって

心をぶっつけ合い話し合いに応じれば、
格差のある知的人生も、助け合えるはず。


5Gの世界はジャングルの中に、
形のない東京大学のような大学丸ごと

スマホやP.Cに、インストールされたり

必要な操作は

いっぱい、アプリとして出回るでしょう。

優れた感覚の日本人を拉致する時代は
とっくに過ぎてゆくのですから

世界が国境を越えて、
守るべきルールをしっかりと守って、
親子以上
兄弟以上、
夫婦の二人三脚以上に
世界が結束しないと、

今度は、とんでもない独裁者

が情報源を操りだしたら、
世界の秩序は、
マッタ―ホーンが総雪崩のようになった如くなりますから

ノアの箱舟に避難する暇のない、
知的大洪水が起こるでしょう。

幸いに、歴史が築いた地域という、、、国々が
立派なリーダーが居て
、今日まで、
人間が人間であることを守ってきてくれました。

もう、、、

戦争や、武器や、不動産で経済が成り立つ時代が

真っ赤な夕日を投げかけて、
沈んでゆきます。

日本は、唯一、、、「核の恐怖」を、心底知っています。



ピカソのゲルニカも、幼稚園の幼児の絵のように、
瑞々しい、芸術のメッセージがありますが、

原子爆弾は

「命の分解です:

人間が元素になって

影になっているのです。」


核戦争は、、、人間を辞めるのか、、、
地球を別の星にしてしまう。

安倍首相の役割の大きさが解る今度のサミットは

日本人にしか果たせない、、、

人間の人類としての宝物の心が架かていると
思えました。

隣同士にも、低い垣根は必要なのが解ります。

しかし、お互いを尊重するが故の垣根であってほしいと思いながら

わずか、、、あと十年、、、
在るのか?無いのか?の
75歳の婆ちゃんは

日記に、故人のたわごとかもしれないが、、、

若き日に、、、

「イマジン」を訳したときの感動がよみがえってきた
大阪の
サミットです。

時代遅れの、婆ちゃんでも、
日記には思う事が欠けるのですから

stressは貯めなくて済みます。



さて、、、、北大のアカデミーの事に窓りますが

日本は、見えないけれど、
男尊女卑の体質が、家庭全体を覆っつっています。

先進国のように
、女が男を選べないのです。

だから、
好きな男と結婚できた女性は

旦那に似た我が子にぞっこん参って、
命かけて育てるという
幸せな喰われ乍らも、
臨んだ玉虫の厨子の中で観音様に従えます。

しかし、、環境や、貧乏や、組織力で
結婚という個人的な感情で結ばれるべきなのだろうか?

成り行きで結婚状態になって、
相手の男性が、
人間的な育児や、
保護能力や
コミュニケーション能力に

著しく未発達で、
女房になる人間に、
性的な快楽しか求めなかったり

家庭の、雑務の無給量のお手伝いのように扱ったり

社会に向けて、
「女房は自分の持ち物だから」と表現をしたり

子供はお前が産んだんだから、
女房の責任だと突き放して

育児の不安を取り除く相棒の役を放棄するとか、、、

女性の負担が、
時間的にも、
仕事量的にも、
交際する友人も無く
家族パーティも無い、誕生会も無い。
外面紳士に徹していた時、

女性は、、、果たして、、、
主人に似ている我が子に、素直な無垢な母の愛を注げるだろうか?

たぶん、旦那は強いし、言いたいことも言えないし、

旦那に背くと、生活も困るという仕事を持たない女房は

旦那に似ている子供の形骸に対して攻撃の心を向けるのが

もしかしたら、、、世の中の、、、幼児虐待の何パーセントかを
占めているのではないだろうか、?

環境が、恐怖だと、
自己防衛の、
凶暴さの野生に火をつけるような

「内分泌の動きがあるのではないか?」

薬理学的にも

ある種の精神疾患に「ドーパミン」が作用していたり

アセチルコリンのレセプターが動かされたり、、、

ストレスや快楽で、内分泌や、

エンドルフィンの関係があるのは確かなようですよね

健全な出産や育児には


環境がもたらす恐怖を撤去する政治に
世界中が向いて行かないと、
怖い世の中になりそうですよね。

その中でも「戦争!」

特に、「核戦争は、、、
人間という生き物に失望と信頼を失う心の危険があります。」



日本は、国の始まりから、、天皇陛下という歴史とともに
今日もこれからも、
国民とともに存在し続けている歴史が
日本人は、いつなんどき、どんなことが有ろうと、
じぶんは日本人だというアイデンティティに揺るぐものはありません、

心の中に自分が日本人であるという、、、父にも母にも代行の利かない
大きな存在が、どんなときにも、歴史とともに在り続け今日に至っているという
文化そのものが、国民とともに「日本人であるというゆるぎない心があります、。

アイデンテェティのような自己の存在の理由を、、
容認してくれる精神を
支えてくれる伝統の中で、

あの、核戦争の原子爆弾の中で、

木端みじんになりながら

「核戦争の方が、、、原子爆弾の方が間違っている!と!」
心が元素に分解されなかったのは、

天皇陛下が「戦争に負けたとか、、、勝ったとかではなくて、、」

玉音放送で

「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び、、、終戦という人間宣言」をされた

人間の究極の、人間であり続けるための、お言葉がラジオから流れ

日本人は、人間であり続けるための、

復活に向かって行けたのだと思います。

原子爆弾は、人間が人間を分解して、元素のしてしまう、、、

亡きがらも、生きた証のすべてが分解された廃墟の地球が残るのです。

この経験の真っただ中で生まれた75歳の婆ちゃん事、、、私は

今回のサミットで、世界が一つになって、人間の素晴らしい心や

人間のオリンピックや、パラリンピックの精神の強さの生きざまが

瑞々しく、インターナショナルの共有の価値ある心として

戦うんなら、、、武器を捨ててほしいと、、、

女性だから、、、武器は要らないと、、そんな世界を夢見ています。

個人の日記帳ですから、迷って入って読んだ北大生が居たら、、、

腹が立ったら、、、迷い込んだ方が間違いだと思って、

言いたいことを書いている婆ちゃんの、戦争が無かったら、、、

8人兄弟だったという、、、悔しい思いもあるのです。
戦争を知らない戦後、、

母は無くした4人の子供たちを偲び
弟を高齢出産に踏み切り挑戦してでも。。。
戦地で失った子供を取り戻すつもりであったと言いていた。

「生まれた弟は、、、取り戻した子供とは違って、、、いた。」
母は言いました。

この子を見て!
戦争を知らない、、、未来の子よ。」

過去からやってきたのではない。
過去は、この子の誕生をもって、供養できたといっていました。

「戦争中に死んだ子供らは心から供養できるようになった。」、、、と。

戦後生まれた弟は

枯れかけた母の心に
太陽のようなエネルギーを
注いでくれた。


母は、一度は捨てていた音楽を始めた。

小学校の音楽の先生に音楽を教えたり、

先生になる生徒が必要とされる音楽を指導したりして
81歳で、会場ぎっしりの、多くの親しい人に送られて
人生を全うしました。

末っ子に、全部任せてあるからと
いつも、孤独ではなかった。
団塊の世代の役割のまただ中で
CTの精緻な画像の開発メンバーとして
日本にCTや、MRIや、らせんCTの開発にかかわり、
国立がんセンターの多くのお仲間とともに
結束して頑張っていたダ時期と重なった母の死は

北海道から、単身帰郷した私に
昔懐かしい人々とも会う機会となりました。
弟とCTの開発を共に頑張っていたお仲間でショウか?
結束するというがんと闘う先生方は、兄弟以上に

母を亡くした弟を支えてくださり、悲しみのはずの葬式が
母の人生の大往生の祝賀会のように明るく、見送れたことが
感謝でした。
北海道に嫁に行ってしまい、里帰りもままならず、
親孝行も、全く、、、手が届かなかったことが

弟という、戦後生まれた新しい生き方の王道を行っているお仲間のおかげで
私は、せめて、台所の片付けだけでも、、、と
弟の頑張りに、感謝したものでした。

主人は外科医としての予約の勤務が優先で、
子供たちと、北海道から、母を偲んでいました。

団塊の世代の役割を立派に背負って
医療分野で、がんセンターの黎明期の体当たりのがん征圧に

立派に業績を残せたのも、無邪気な戦後の快活さが弟を守ったのかもしれません
母は、自分の人生の最後は、末っ子に任せてあるから、心は穣に
ピアノの弟子を育てられているよ、、、亡くなる3日前まで、、、
50人以上のお弟子さんと、充実した日々を過ごしながら、、、はい!さようなら!
弟のおかげで、、、母は、54歳からの第二の人生を、全うしました。

子育て、、、弟子育て、、、戦争のさなか、、
富国強兵時代の多産推奨で、
8人も子供を産んだ明治生まれの
「日本の女性」は、、、すごいですね。
高齢出産の末っ子に、第二の人生を生きる力をもらえた母は
100人以上のお弟子さんに囲まれて、旅立ちました。

きっと、、、北海道から、実の娘が来ていても、
娘以上に若くて美しいお弟子さんに見送られて、
私も、感謝、感謝で、台所で片付けをしながら、
人前には出ないで、母の面影と、楽しく話しながら見送りました。

父の54歳の時のお別れのように、、、涙は出ませんでした。
弟の長女で小学生の姪っ子が
思いっきり元気な大きな声で、
「みなさん!!!静かにしなさい!!!
おばあちやんが、眠れなくて、眼を覚ましますよーーー!!!」

大真面目に走り回る姪っ子たちや甥っ子を叱るので、
皆、、笑いの合唱になりました。

弟が中心で動いてくれる時は、
なぜか、、、どんな時も、、、皆明るかったことが感謝です。

母の子育て、弟子育ては、見事な実績でした。

知性と、終戦から復活した、、、いいえ、、、復活させた父が、
名医だったのかもしれません





40歳過ぎてからの、再びの育児と、

再びの専門だった音楽の道で
子供たちを教えはじめ。
弟子を音楽大学にも進学する手助けになれた
母は、

疎開地という、
親族の居るところで
13年もかかって

4人の子供を喪った戦争の恐怖から立ち直ったようでした。
終戦後の心の立て直しに父がすべてを捨てて、
母の故郷を心の復活場所として選んでくれたことが

医師だった父の究極の治療だったのかもしれませんね?


母の故郷の皆の心の受け皿として、
唯一の医療機関として
村人とともに生きた父の転身が大きかったと振り返ります。


戦争が始まる前は、医師として、音楽家として、
自分自身を表現していた
両親でした。

父の市ヶ谷の実家も、
戦争中に無くなりました。

嫁に行く私に持っていってもらうしか
何処に置いたらいいか
ワカラナイという
軍隊手帳。
奉公袋。
千人針の武運長久のたすき。

戦地に行って軍医として戦った時の千人針は
私の時代が終わるとき、
結婚先で姓の変わった心ある他人の判断で
生き残った一人娘の私と共に

一緒に灰にしてもらうつもりです。

私が死んだら、
戦後は終わらせなければなりません。

次の、世界平和に向けて、
日本は
重大な役割を続けてゆく義務があると思います。

世界で2発もの原子爆弾が落ちた破壊を体験して
強い心が
キセキの復活を果たした
世界に比類なき文化のあることが
各自のアイデンティティを支えて
復活に向かわせたと信じています。

父も、父の10歳下の弟にあたる叔父さんも
兄弟二人そろって、
戦争帰りの身体を使い切って。過労死でした、

しかし、昭和天皇陛下、平成天皇陛下の御苦労は
終戦から復活まで、そして、新たなる令和に時代を迎えても

国民とともに生きてくださり、
戦後の慰霊の旅の人生を
国民の心とともに生きてくださり

終戦を示してくださいました。

国民の一人でいらっしゃった

美智子妃殿下が

戦後の若者に、元気をくださいました。

皇太子殿下の恋、、、夢のような青春を示してくださり
ミッチーブームは
お洒落ではつらつとした
女子大生をすっかり元気にしました。

はしゃぎたい心を抑えて、

美智子妃殿下の
品のよい、服装やなさり方をお手本に

すっかり元気が出た青春時代でした。

私が大学に入学して
間もなく、父が早逝しました。
疎開先では、
アメリカに追いつき追い越せの
戦後の新しい教育が出来ないからと、

4人の子供たちの為に

生まれ故郷の故郷の東京の下町の
お寺の跡地に
三度目の開業を、、、
戦争と、疎開と。妻の心の復活の治療生活で
疲れ切った体で

疎開中だった親族一同を
東京に移動させた開業だったのです。

慈恵会医科大学卒業の父の友人や先輩が
近くで開業をしていた事が幸いでした。

医科大学に進学していた長男は
医師としての相棒にはなりませんでしたが

同級生の中に、母校の教授になられた先生や
戦後の新宿で独身のまま開業されていらした先輩や

駅の近くで、医師会の役員をされていた同窓生や

はたまた、、、医専出身で父の技術を取得に来ていた先生やらが
皆で3度目の、無茶な開業を支えてくださったおかげで

東京の、実家のあった市ヶ谷には無理でしたが
下町で、開業医を必要としてくれている戦後の
陣地や、貧しい人たちが、
神様のように、父を慕ってきてくださいました。

父が死んだ日、
家族は突然の事で
皆、涙も出せない、、、ボー然としていましたが

患者さんたちが、
大きな体を震わせて、泣いてくれていました。

下町の患者さんたちは人情に厚くて、

止めたのですが、
「先生が煙になって、天に行くまで見届けたい!」

忙しいさなか、涙も出る暇もない突然の葬儀に

煙になるまで先生を送るという
下町の人情に負けて、

母は、慰霊のバスを頼みました。
私だけが、涙を瀧のように流して
患者さんと一緒の次元で

泣いていました。

沈黙の母は、声なき声の深さかな?。
でも、、、今振り返ると、

学徒出陣で帰還出来た10歳違いの弟を
早稲田大学を卒業するまで
学費応援と、
自宅に家族とともに同居することを10年以上続けて
多いときは17人ぐらいが、
食堂でぶつかり合いました。

ドサクサの生活の中で、
美智子様の美しい清楚な品のようスーツ姿に見とれながら

家は家、私は私!と割り切って、

英会話も頑張り、大学も卒業して、
日本復活の団塊の世代の応援団として

父の居なくなった高校生だった弟が
国立一期校に進学して医師になって
「がん」という病に
早期発見の検診検査研究機関のリーダーになったときは

これで、がんは共存しながら生きて行ける病気にちかづいたことを

興奮する思いで「やったね!」と

遠い北海道に嫁いでいても
電話という便利なもので

がんセンターの黎明期のコロンブスの卵をやってのけた弟の
新聞記事の切り抜きを、宝物のように
姉の私の元気な源として、
戦後の医療部門の団塊の世代の復活の実績を観る思いでした。

畏れ多くも、宮さまや、国会議員の国を背負って、居る方々の
がん検診を任されて、間接的に、国家になくてはならない方々の
がんの早期発見で延命に功労があった事は

父も、生きていたら、東京に戻ってきたことの実感を
喜んだことで逢ったろうとおおうと、、、

彼岸でも、命日でもないのに、東京に出てきては
お墓参りをしたのでした。

父母に、頑張った団塊の世代の一員として
公に役に立つ仕事をしていることを
宝仙寺の弘法様の像の下を通り、お墓に話しかけに行きました。

日本は、終戦後、、、立ち直りましたよ!
植民地でもないし、占領も、されていませんよ、
素晴らしい独自の頑張りが出来る団塊の世代のおかげで

復興しましたよ。
これからは、世界の平和の為に
大きな役割を果たすことでしょう。

父と、、、叔父さん、、、
戦争が無かったら、、、
80歳までは生き抜いてくれたでしょうね。
戦地でがりがりに痩せて帰還した後は
外からは見えなくても、
腎臓や、心臓や、肝臓のくたびれは、、、寿命を縮めたことだろう。

でも、お二人は、仕事に誇りを持っていたから

夢中でしたから、、、
仕事に没頭してましたから
本人は二人とも、
過労だから、
休まなくてはと考える前に

神様が天与の膝で休ませてくれたのでしょうね


手塚漫画が大好きだって一家で漫画を読んでいた。
これは、手塚治虫さんから葉書をもらったり、
ファックスをもらったときに
大切にしていたファックスを写真保存したものです。


54歳で、働きながら
自分が死んだのもわかっていないような

生きてる延長上で、働きながら眠ってしまいました。

女子大の教授だった叔父さんは、学校に本を寄付して
文庫を寄贈して、消えてゆきました。
その中に、手塚漫画があったかどうかは知りませんが

我が家が手塚漫画から受けた影響は
ハンパなものではありませんでした。

結果的に父が頑張って残したものと言えば、、、

父の長男と末っ子である「医師の兄と弟」と、
薬剤師の私と、
年子の薬剤師の兄を育てました。

長男の兄は、息子を医師にして
私立大学であった事と
浪人をしたことで
全財産が消えて施設に居ます。、

薬剤師の兄は娘を
薬剤師と栄養士にして

東大卒業の学者の男性と
薬剤師の実践に強い見事な技術者の後輩と
結婚するという幸運のもとに
奥さんの薬剤師も、目下孫バカというわけです。

「次男の兄は元来が文科系に強い傾向の語学出来る薬剤師ですが
4年間も、ドイツに行っていたせいか、
べ―トベンや、近衛さんの日本に初めて持ってきたという
ムーンライトの楽譜の
イントロの話や、「運命」の出だしの「ジャジャジャジャン!」が
原作の楽譜は「ン、、ジャジャジャジャン」となって
日本式の運命だとか、母とは40通もの航空便を
ドイツから交換するという、
未亡人になっていた母にとって
、弟、次兄、お弟子さんが居てくれたことは
天国の「父のなせるわざ」だと、
私は、笑みがこぼれたモノでした。

私は、父と、母と、兄弟と、結婚してからの、他人の出発から
家族になっていった自分の人生の子育ての総合から考えて、

北海道がマイホームタウンとなるまでには
50年かかったと思います、

ひたすら、孤独に強くならねばと、日々、自分に言い聞かせた50年間でした。
しかし、悔いがありません。

医師をするという、見えないサポーターの役割を
舞台裏でするという事は、感情の起伏の無いままに、
時間がすっ飛んで行きました。

我が家全部の部屋が「医師をする」者の舞台裏になっています。

自分をしている時間がパッチワークのようなつぎはぎであった事が

作品にはなりませんでした。

無給医時代であった事、青医連など、
国家試験ボイコットで
医師になる試験が受けられなかった時代だったこと、

大学生を3人かかえて、娘を嫁に出した主人の家も
戦後の、一億総貧乏人の時代だったこと、
博士号を取得するのに、実験動物が高価で、7年も
家庭に月給が回ってこなかった事、

世間は医師の妻と言うと、「お金持ち」と短絡する人が多く、
期待に背いて、がっかりさせないために、
人の輪の中を避けたこと。
いつしか、孤独に強くなり、山登りが好きになり、
白山など、3000メートルに近い山に
チャレンジしていたことなどが

樹や草花や雑草が、友人交流に代わってしまいました。、
雑草の庭を、面倒を見て、人生の時間が過ぎていました。

次兄も、良く電話をくれますが


呆けもせずに、、、
5Gの時代に備えて四捨五入したら80歳に近いのに

宇宙旅行の実現を夢見ています。

我が家は全員、良く稼ぎ、全額を教育界にまっしぐらに支払って

他にしたいことが無かったのですか?

勉強バカとちがいますか?

良い仕事をしている割には
一日にかつ丼が食べられれば、、、金持ちでショウ!!
すんなり答える人ばかりです。

世に言われる諺に、、、「医者バカ」という人たりですね。

私の外科医の妻になって50年経ちますが
誕生祝のプレゼントも無いので、
最近、、、、生きてるうちに
奥さんにセーターでもプレゼントすることを
してみたらどうなのよ?

買ってきました!
三越の三階で、一万以上したと、、、威張りながら、
結婚後初めての誕生祝のプレゼントです。

嬉しいじゃないですか!
着て見せるから、、、待っててね!
主人も、得意そうに、
何しろ三越で買ったんだからな!
売り場のおばさんが、、、これが最高ですよって、、、
勧めてくれたんだ、、、!

首が入りません

サイズも会いません
主人は、私が結婚した当時の9号を買ってきたのです。

今は!!!15号なのに、、、(涙!!!あほ!)



このような戦争の終戦は
日本人の敗北ではなかった、
戦争そのものが間違った手段の世界の歴史上の
避けがたい、バランスの結果だったと
私は、、、

原子爆弾は間違っていたと心から広島の博物館で思いました。

人間が人間の姿さえまっとうに未来に伝えられないような

地球を哀しいエゴの結果、元素に分解して、森羅万象すべてが

人工の計算された未来の矛盾と地球崩壊に進んでゆくという

心丸ごと破壊してしまい、生き残った人間かいたとしても、

狂気の現実におびえるだろう。

この機会に、原爆の恐ろしさ、
科学の間違った使い方、

武器も、国境も、経済も、人種差別の偏見も

もうすぐ解決される

情報の交流で

得意なところを出し合って、

補いあい、助け合い、戦う前に
共存共栄する方法を考える

皆の地球になれば

オリンピックの金メダルのように

素敵な勝敗が輝き、

人類の究極の発展に向けて、

ミクロのレベルで切磋琢磨できる

世界が認める各ジャンルの指導者が

輝く時代のリーダーを勉め、

勝った者も。負けた者も、

役割の在り続けるシステムが出来たら素晴らしいですよね。

その時には
マッタ^ホーンは「雪崩が起きない山になって、輝くから、、、!」


陛下の玉音放送のもとに、

国民の戦後の復活の、何千倍ものご苦労と
日本国民の象徴として、国民の心の天与の親として
日本人が日本の文化という心を
原子爆弾も、元素にはできなかった、、、
細胞の復活があったと信じています。

私が死んだら、、私の中でも終戦から戦後は終わるのですよね。

未来の孫の時代には

情報を共有してバランスのとれた、差別も、民族も、国境も

排他的な境界線ではなくなって

エチケットを守るためにも、

互いに尊重するが故の、

無くてはならない

小さな垣根になってくれればと祈りながら

戦後に活きた小さな命の一人の婆ちゃんの本音です。




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