花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

核廃絶

2007-07-03 00:26:46 | Weblog
昭和19年,敗戦の兆しの中で,父は軍医として大陸で敵、味方無く傷の手当てをしながら
自らも、激務の中でボロボロになってゆきました。

父を追って大陸に渡った家族は,戦乱のさなかに3人命を落としました。
「硫黄島からの手紙」のように、日本の兵隊も民間人も、最後の一人まで,戦いに巻き込まれてゆきました。

足の吹き飛ばされた兵隊さん、、。
顔を壊されてしまった兵隊さん,,。
「先生,,、足が痒いのです!,,,左足の先が,,,。」
弾丸で吹き飛ばされた左足は、大腿で、父が着ていた白衣を裂いた包帯でしっかりと
止血されて、足は無い!,,,痒い、痒い、と兵隊さんは苦しんで死んで行った。

駒のように従軍して死んでゆく兵隊さんの手を握り、せめて「医師にみとられて,人間として,死んで行く,,,んだよ,,,」無言の叫びが何処からか聞こえる。
お父さんの役割は、しっかりと手を握って死への旅に出る兵隊さんの孤独を共有すること
だった。

まだ,,、人間である。
ここまでは、凄絶であるが,,,人間である。

しかし、原子爆弾の投下は,今まで信じてきた「みずみずしい有機体に魂の宿った生物全てを「原子記号」に戻してしまった。

ピカソはゲルニカを描き、勅使河原創風は銀座のドッ真中に「砂漠の砂」のような花を生けた。
その華は「動物のシャレコウベと,,,確か,,、壊れた飯炊きの釜,,,」

原子爆弾は人間の世界の戦いの「ルール違反だと思いませんか!」
人間を否定するばかりではなく、緑の地球の皮をはいでしまい、ドロドロと溶岩の灼熱の
血液で「心」も調和も人類も,生きとし生きる森羅万象全てを「元素のチップ」に変えてしまう。人類否定ばかりではとどまりません。
壊れる「こころ」そのものを壊してしまうのですから,,,。

長崎にも、広島にも、小学生になった吾が子を,母の私が、「母」という存在そのもの
未来永劫続くことを祈り「命」と「元素」の間のむなしさを、あえて吾が子にみせておこうと、北海道から、はるばる連れてゆきました。

戦場で死んだ兄2人と姉1人。
形ある死であった。
人間としての死であった。

しかし、原子爆弾で死んだ人たちは原子のまま「影」になっていた。

祖母も皆,竹やりを投げ出した。
最後の一兵まで戦え!!!と,,,、がなりたてていた男達は放心した。

ここまでやられなければ,,、日本人は降伏しなかったのだろうか???
ここまでしなければ,,,戦争は終わらなかったのだろうか???

ここまでしてしまったら
戦争で無くなるだろう!!!!!
ここまでしてしまったら、
何千年もかかって築き上げた「感性」「こころ」「文化」,,,∞,,,の否定じゃないか!!

核は封印してください。
核があるというだけで、
未来が見えなくなります。

元素に戻りたくありません。
人間は
奇跡が起きて,,,地球上に現れた「命」の一つです。
その「一つ」が
多くの「命を」木っ端微塵にする権利なんてないと思いませんか!!!!

東京大学入試問題に

「人間が一人も居なければ,地球上の他の命の楽園は守られます。」
○か×か?????

このまま核廃絶に向かわないと,人間は朝敵どころではありません。
地球の敵になってしまいます。

朝まで書いて書いて,,、まだ言い足り無い。

世界の皆さん,「地球の命を」永遠に輝かせてください。

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