日本が侵略戦争に巻き込まれた時代、
ほんの一部の人の
野心のために
世界戦争が始まりました。
時代の流れとは申せ、
「鎖国から目が覚めた日本人」は
日本が生き残るためには、
世界に認められてこそ生き残る!、、、気が付きました。
明治生まれの私の祖父母家族は
アメリカにわたりました。
祖父の兄はカリフォルニアに
「日本人街をつくる!」という
インタナショナルな夢に人生をかけました。
祖父は
「明治20年代」に生まれました。
3か月もかかって太平洋を船で渡り、
アメリカの文化や農業や
酪農を学び帰国しました。
祖父の兄夫婦は戦争に巻き込まれ、
祖母だけが強制的に帰国となり
晩年は日本で暮らしました。
祖父母のおかげで、
電気蓄音機で「ダンス」を覚えたり、
油絵具で描かれた「ゴールデンゲイトブリッジ」を
真似て描いたり、
ずいぶんと影響を受けました。
「300年間」も、外国貿易や交流を規制した江戸時代は
国内の独特の文化を栄えさせました。、、、
しかし、、、
「鎖国」は長い眠りだったように思えます。
今、北海道は「オリンピック」「サミットを境に
「国際都市となりました。」
北海道が世界に知られて、
ルスッツあたりも
洞爺湖と同様
国際色豊な発展を見せています。
若者の感受性の中に、
しっかりと「国」が動く時の
すごい警備がインプットされたと思います。
振り返れば
日本はここまで来るのに
いろいろありました。
一部の軍部の侵略思想の人々によって
、戦争に発展してしまいました。
国民は、「赤紙一枚」で、
国の兵隊として、
死んでゆきました。
召集され、生き残った者も
「敗戦」と、
「原子爆弾」、
「マッカーサーの指導」など
「鎖国の眠りのツケ」が一時に押し寄せました。
徳川の天下が「300年」も続いた、、、、。開国のドラマが
NHKの
「篤姫」で放送されていますね。
小さな日本の島国が
「日本という地域だけの繁栄を考えて鎖国」
「自分たちだけの世界」を創った。
「徳川幕府」のもたらしたものは
開国のための戦争!
ザンギリ頭を叩いて文明を受け入れ、
やっと、目覚めた!
「世界情勢」も、
「アメリカの資本の巨大さ」も
計算に入れる視野もなく
ひたすら、自国の「欲の僕」のように、
「侵略と支配」の思想が
戦争へと向かっていった!
「俺、俺、日本、、、」
自分たちがいかに世界から見て
ローカルな考えであるか、、、
いかに、思いあがっていた事か!
戦争をおこしてみて、
敗れてみて
初めて知る、愚かさ!。
戦争のあとは、住む場所もなく
昨日までの糧もなくなった。
敗戦後38度線を境に
「北朝鮮は地域色一色に支配政治」
差別は
文化の発展も
歪なものとなったようです。
一部の人々の「権力の貪り」が、
戦争を引き起こしたのです。
多くの努力の結果
やっと到達した、
「世界的視野に発展する考え」を
「地域に閉じ込める。」
「俺だけしか見えなくなる盲点!」
北海道もサミットを境に
インタナショナルに発展してゆくでしょう。
「俺、俺、地域のみの権力、支配欲」が、
まかり間違えば
国ごと、廃墟になるのです。
「閉鎖した地域」だけで特殊に発展した
元禄文化など、、、。
「鎖国」は
「国を造り上げた国民」は
自己満足に盛り上がって居た。
世界レベル、
全日本レベルからは
「眠り姫」となって、
取り残されてゆくのです。
気がついたときは、
原子爆弾が落ちて、
「刀も」、「ちょんまげ」も、「文化」も
「ゲルニカの世界」へ抛り出されて、
元凶となった、
「支配者」は、
それでも「俺、俺!」と
地域繁栄を叫び続けたのです。
自分のレベルを自覚しないで、
戦犯となって、
哀しい人生の幕を「孤独」に閉じるのです。
**************
麻生総理は、
戦後のドサクサの、
絶望の日本を救った
「吉田首相」のゆかりの方でもあり、
また
、
外交を得意とされる、
エリートでいらっしゃると、
マスコミでも報じられていました。
音楽も、絵画も、科学も学術も、文学も
「ノーベル賞」クラスの日本が
世界に羽ばたいています。
「地域色一色で纏まってしまっては」
「緩やかに相手にされなくなってしまうのです。」
そうなってからでは、
簡単に復活できるとは思えないのです。」
視野を広く持って、
二度と廃墟になった空しさを味わうことがないように
戦争だけは回避せねばなりません。
+++++++++++++
日本が「元気になるためには」
また!
北海道が元気になるためには、
一部の利益や権力や支配に委ねないことではないでしょうか!
ほんの一部の人の
野心のために
世界戦争が始まりました。
時代の流れとは申せ、
「鎖国から目が覚めた日本人」は
日本が生き残るためには、
世界に認められてこそ生き残る!、、、気が付きました。
明治生まれの私の祖父母家族は
アメリカにわたりました。
祖父の兄はカリフォルニアに
「日本人街をつくる!」という
インタナショナルな夢に人生をかけました。
祖父は
「明治20年代」に生まれました。
3か月もかかって太平洋を船で渡り、
アメリカの文化や農業や
酪農を学び帰国しました。
祖父の兄夫婦は戦争に巻き込まれ、
祖母だけが強制的に帰国となり
晩年は日本で暮らしました。
祖父母のおかげで、
電気蓄音機で「ダンス」を覚えたり、
油絵具で描かれた「ゴールデンゲイトブリッジ」を
真似て描いたり、
ずいぶんと影響を受けました。
「300年間」も、外国貿易や交流を規制した江戸時代は
国内の独特の文化を栄えさせました。、、、
しかし、、、
「鎖国」は長い眠りだったように思えます。
今、北海道は「オリンピック」「サミットを境に
「国際都市となりました。」
北海道が世界に知られて、
ルスッツあたりも
洞爺湖と同様
国際色豊な発展を見せています。
若者の感受性の中に、
しっかりと「国」が動く時の
すごい警備がインプットされたと思います。
振り返れば
日本はここまで来るのに
いろいろありました。
一部の軍部の侵略思想の人々によって
、戦争に発展してしまいました。
国民は、「赤紙一枚」で、
国の兵隊として、
死んでゆきました。
召集され、生き残った者も
「敗戦」と、
「原子爆弾」、
「マッカーサーの指導」など
「鎖国の眠りのツケ」が一時に押し寄せました。
徳川の天下が「300年」も続いた、、、、。開国のドラマが
NHKの
「篤姫」で放送されていますね。
小さな日本の島国が
「日本という地域だけの繁栄を考えて鎖国」
「自分たちだけの世界」を創った。
「徳川幕府」のもたらしたものは
開国のための戦争!
ザンギリ頭を叩いて文明を受け入れ、
やっと、目覚めた!
「世界情勢」も、
「アメリカの資本の巨大さ」も
計算に入れる視野もなく
ひたすら、自国の「欲の僕」のように、
「侵略と支配」の思想が
戦争へと向かっていった!
「俺、俺、日本、、、」
自分たちがいかに世界から見て
ローカルな考えであるか、、、
いかに、思いあがっていた事か!
戦争をおこしてみて、
敗れてみて
初めて知る、愚かさ!。
戦争のあとは、住む場所もなく
昨日までの糧もなくなった。
敗戦後38度線を境に
「北朝鮮は地域色一色に支配政治」
差別は
文化の発展も
歪なものとなったようです。
一部の人々の「権力の貪り」が、
戦争を引き起こしたのです。
多くの努力の結果
やっと到達した、
「世界的視野に発展する考え」を
「地域に閉じ込める。」
「俺だけしか見えなくなる盲点!」
北海道もサミットを境に
インタナショナルに発展してゆくでしょう。
「俺、俺、地域のみの権力、支配欲」が、
まかり間違えば
国ごと、廃墟になるのです。
「閉鎖した地域」だけで特殊に発展した
元禄文化など、、、。
「鎖国」は
「国を造り上げた国民」は
自己満足に盛り上がって居た。
世界レベル、
全日本レベルからは
「眠り姫」となって、
取り残されてゆくのです。
気がついたときは、
原子爆弾が落ちて、
「刀も」、「ちょんまげ」も、「文化」も
「ゲルニカの世界」へ抛り出されて、
元凶となった、
「支配者」は、
それでも「俺、俺!」と
地域繁栄を叫び続けたのです。
自分のレベルを自覚しないで、
戦犯となって、
哀しい人生の幕を「孤独」に閉じるのです。
**************
麻生総理は、
戦後のドサクサの、
絶望の日本を救った
「吉田首相」のゆかりの方でもあり、
また
、
外交を得意とされる、
エリートでいらっしゃると、
マスコミでも報じられていました。
音楽も、絵画も、科学も学術も、文学も
「ノーベル賞」クラスの日本が
世界に羽ばたいています。
「地域色一色で纏まってしまっては」
「緩やかに相手にされなくなってしまうのです。」
そうなってからでは、
簡単に復活できるとは思えないのです。」
視野を広く持って、
二度と廃墟になった空しさを味わうことがないように
戦争だけは回避せねばなりません。
+++++++++++++
日本が「元気になるためには」
また!
北海道が元気になるためには、
一部の利益や権力や支配に委ねないことではないでしょうか!