花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

戦後の日本は「生きるために、、、生きた」、、、菊の花の教え

2019-10-11 18:57:00 | Weblog

 

音楽大学生だった母の青春時代に、友人たちと、

上野公園に居た時、

一人、、大声で泣いている少年が居たという。

同級生の女性と3人で、「なにごとか?」、、、と少年を囲んだ。

少年は、

女性3人を無視して、

いつまでも声をあげて、、、

池に向かって泣いていたという。

実はこの少年が、、、

私の父の若き時代のワンショットである。

 

宮内庁に勤務していた実父(私の祖父)から、

東京大学に合格したら、自分の好きな道にゆけば良い、、、ただし

東京大学以外の所に行くのなら、

外科医になって、民衆の為に貢献しなさい、、、と

条件を付けられて、

東京大学に入学したら、、、、

北海道の広大な大地で農業をしたい、、、と思ったそうです。

つまり、、、農林省という仕事につくのでしょうか?

現場の農業をしたいのでしょうか?

ともかく、、、農学部に行く夢は破れて、

地域の為、外科医の道に軌道が変わった瞬間でした。

心機一転、慈恵会医科大学を卒業して外科医の道を選んだ父は

富国強兵の国策の中を、戦場の至近距離の総合病院の院長として

現地の、医師に、西洋医学の外科手術や

傷の手当てや イギリス医学の指導の為に

戦場の至近距離の病院で暮らす厳しい人生の波に運ばれてゆきました。

農学と医学は隣りあわせだと、生前父は言っておりました。

大学時代はラグビー部に居たそうで、

ラグビーのタックルの話などを聞かせてくれましたが、

そのころは、まだ、サッカーの釜本選手に夢中だったので

ラグビーの話は、、、ピンときませんでした。

五郎丸選手が、

日本のラグビーを

女性たちの間にも

ラグビーの面白さを伝えたと思います。

五郎丸さんの名前の入った冷凍の炒めライスを大好きになりましたからね。

そして、今回の日本チームのラグビーの活躍には

笑わない一番選手の気持が、日本の武士道のようですね。

こんなに、、、面白いラグビーだとわかった時には

父はもういません、、、。

今なら、父が話してくれたラグビーの面白さがわかるようになりました。

最高に心身ともに鍛えられた選手のチームワークの芸術のようなパスの動きや

ダブルアタックからシングルになるときや、

ジャブのような繰り返してゆく動きの中から

選手と選手の間隔が拡がり、チャンスが見えてくる面白さや、

反則が勝負に直結するような、、、重い結果を残すことが

ハイレベルの試合では、如実に結果が出てくるので

チームワークの全員の働きの大切さが見えるので、

心身ともに、スポーツマンシップが問われる種目だと、、、思いました。

長生きすることで、昔、、、父が話していた時の様子を思い出し、

今なら、眼を輝かせて、父のタックルの話など

聴いてあげれたのにと、、、思いました。

五郎丸さんンは、名選手だけに、

TVの解説も、私たち年寄りにも、ワクワクさせる、、、素晴らしい解説だったと思いました。

すでに、、、防ぎきれなかった台風19号の被害の現実に

ラグビー選手の皆は

負けずに復活してゆくであろう、、、日本の負けない魂を見せてくれたと思いました。

哀しい出来事の続く日本の災害に、

頑張る気迫を、、、きっと伝えてくれると思いました。

 

 

                     つづく

 

 


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