花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

北海道の医師不足を補うためのひとつの考え

2011-05-26 12:01:17 | Weblog
今回の災害でも、医師の不足、
看護婦さん、薬剤師、医療全般が
緊急時には不足していることが伝えられました。

ボランティアで薬剤師は
3000人が動き、現地には2000人が
赤十字スタッフと協力体制で活動したと、
「北海道の薬学大会」の
ポスターセッションで写真で紹介されていました。

東北の薬剤師は
日ごろから「お薬手帳」をこまめに配布し記入していた。
それによって、
にわかに入り込んだボランティアの薬剤師は、
ずーと
患者さんを担当していた薬剤師と同じく
処方ができた例が多々あったと
ポスターを前に、
写真の投稿者が話してくれた。

何もおきないときは
「プロの根性の仕事」も「真似事の仕事」も
何とかなるかもしれない。
しかし、
利益を考えないで、
自費実費でボランティアの現場を体験すると

民間の薬の情報を
「お薬手帳」の持参として、
配布していたことが
「何か起きたとき!!!、、、
これほど心ある仕事はないと思えた。」

******  かみ締めるようにつぶやいた。

北海道にはまだまだ医師が足りません。
何か起きると、
病院は戦場のようにERで
パニックになるかも知れません。

被災地では
「研修医」が日夜若さにものを言わせ、
寝ないで働き続けた。

インタビューには次のように答えていたから、
頭が下がります。

*****

「確かに、、、大変でしたね、、、
今もなかなか寝る暇はないが、
最初はまるっきり寝ていませんでしたね、、、。

都会の大病院とか、大学で研修していたら、
なかなか、、、出来る機会のない症例を
思いっきり寝ないで、担当させていただいたから、

力がつきました。

*****

研修医は「医師の免許を持っている。」
腕のよい医師になる「臨床」は、
これから体験して力をつけなければならない。

自分から、力をつけようと、
必死でがんばり
新しい経験を日々待ち望んでいる戦力でもありそうだ。

本州がお金をかけて一生懸命医師まで育てた研修組みが

研修するのなら「北海道のマルマル病院だ!」という
「研修医希望名門研修病院」を作ればよいという
ことにはなりませんか?

地域の政治としては、
地域の直接の利益を考えてしまうから、
実力より「地域実益還元型」を政治は考えるものですよね。
院長は北海道出身者が多いのは事実です。

しかし、、、
芸術家とか、
医師のような「アーティスト」に似た心の動きのある人は

利益だけにはついてきませんよね。

利益ばかりを考えた
民間の会社が運営する病院が陥りやすいのは

目先の利益に目がくらむことではないでしょうか?

千葉の亀田病院は優れた医師がたくさんいると聞いています。
父の同窓生が創世記の一員ですので
しばしば、父から名前を聞いたのです。

沖縄の病院も優れた医師の集う病院があるそうですね。

外科医師の父、の内科の兄弟、
医師の夫、医師の子供、と
周りが医師の多い
聞き役の私には、
なるほど、、、という意見が飛び交うのを耳にする。

民間の個人が立ち上げた医療施設が
大学にまで発展した順天堂。
「白い航跡」胡蝶の夢」など読むと面白い。

昨日「ヒストリア」でTVでやっていた
「緒方先生の塾」

札幌にも在る、民間から
大病院に発展したK病院。

ここには全国から研修医が来ていたそうである。

先代の北大出身の院長は
「よい医師の集まる病院」ということを願い
常に言っていた。
医師の質が落ちてしまう運営だけは避けなければならない。

たとえば「ペット」が入っても
読める医師がいなければアウトであると。

よい医師が集まれば
自ずと全国に医師間で知れ渡り研修医が集まる。

研修医を「よい医師」に育て、
地元が魅力で動かないでも満足できるよう
力を発揮できる舞台になる地位を作ることで、
持てる力を表現できるようにする。

施設と指導の充実を図れば、
病院は臨床と、
研究のタイアップもかなうようになり
よい医療、オーダーメードの医療が出来るようになる。

利益追求の
医者を休みなくなく働かせ稼ぐという
重さ×距離=仕事量のような
パタリロの鞭のそろばんでは計算できないような、

見えない部分のメンタルな
ポテンシャルエネルギーを得る。

そうなると、
そのエネルギーは、患者さんを引き寄せ
医療の活気のある未来につながる施設と成る。

ドクターヘリも頼もしくビルの屋上に待機する
緊急病院の医師は
病院の発行する雑誌でも、
災害地の働きが掲載されていた。

彼らはカリスマ性のパワーがみなぎる。

希望とビジョンと自己実現の夢を求めて
研修医がもっと多くきてくれれば、
現地救済が即医療の体験として、
時代に即応した医師の研修もかねてゆく。

地方勤務のときは、ネットで画像も診断も教育も届ける。

医療界の外側にいる他の学部を卒業した凄腕の経営陣が

経営にのっとって、
利益を主体に
数字で経営手腕を発揮することになれば。
「金で買った腕」を各部署に配置することになり、

元来が
「ビジョンに燃えてる主体と主導と医療のアーティスト」のような
外からは見えない部分のすごいエネルギーが、
金銭の操縦ではうまく行かないと思います。

医師は優秀性も必要でしょうが、
偏った、医療に猛進する適性が必要だと
思って観察しています。

「自分の思うようなビジョンが、即行動に移せたら、、、」

周りのサポートを充実させると、
彼らは恐ろしい忍耐と積極性で
患者さん主体に救うことを考える。
自己実現の納得に向かって
疲れを知らない働きで結果を出す。

しかし、
「経営者」という医療人ではない者の目には、
俺のほうが東大だ!
京大だ!。慶応だ!、、、
早稲田だ!、、、云々と
高校3年次のアチーブの
点数で、優劣で支配しようと考えるのは無理もない。

優秀性は受験的には突破力さえあればOK.
後は適性だと思いました。

息子が医学生のころ
解剖ご遺体に「敬意の名前をつけたといいました。」
毎回「マルマル様、貴重なご遺体を、学問にささげられたことに
敬意と感謝で、今日も教えてください。」と
挨拶しながら、授業を受けたといっていました。

すべて授業が終わり
お葬式も済ませ、
ご遺体の名前が発表されたとき
「僕は、僕が捧げたお名前と同じだったので、腰が抜けるぐらい
びっくりしたよ、夢の中で、笑った!」と
母の私に打ち明けてくれたことがありました。

ありがたいことです。
息子は医者になることを天が選んでくれたのですから。

オカルトではありません。
医師になることは、天命だと思ったのはこのときです。

それからの毎日は、
国家試験合格のためのサポートを
全力で出来るようになり、
ひたすら、6年間は自分の人生を凍結して
医師の誕生に捧げることを教えてくれたのは
「解剖学のご遺体様」でした。

尊いお体をさえ、、、
医学に役立ててくれた方がいらっしゃるのです。

医師になっても、
無機質な「利益の数字」を追わないでしょう。

PCのデーターが即経営術に影響してゆく。

しかし、、、私の見る限りにおいては
身の回りの医師たちは、

開業して銀行に追いまくられる現状では

利益に振り回される医師となり、
医療のレベルは利益主体にならざるをえない
政治主導の診療にならざるを得ない。

手に負えない患者さんを大学病院や
巨大病院へ送るという。

順天堂の静岡病院を訪ねてみた。
救急のドクターへリポートが
病院のテッペンを丸くかたどり
救急車がサイレンを鳴らして走る。

産婦人科もお母さん方を守っている。

大学の付属病院なので、
研修医が勉強にやってきている。
夜中の戦力である。
病院から300メートルあたりの時間外の居場所から
夜も昼も、病院の周りに医師が飛んでくる。

札幌で「研修医のあふれる病院に成長しても、
企業のオーナーが
目先の数字的PC的損得で
研修医が集まらないような、

地元優先の旗を立ててしまうと
本州からの医師を呼べなくなると思ったりします。
自己評価と
他からの評価の異なる価値観に傾倒してしまっては

よい医師の集まらない病院になってしまう。

よい医師、、、、
医療は社会のものであり
会社のものではなく、
医療自体が自発的に成長してゆく性格のものだけに
会社のほうで医療という精神に沿って
サポートする必要が出てくる。

「よい医師」が、企業についてくるとすれば

企業の介入の仕方が
「医療界の心を含めてサポートできなければなりません」

一歩間違うと
、金という問答無用のエネルギーで

経験の学問といわれてきた臨床医学を
金で横面をたたくことになりかねません。
医師たちを駒にしてしまうのなら
駒にしかなりえない医師が集まる病院になってしまうということです。

仁というTVを見ています。
大好きな番組です。

兄は9歳年上です。
内科医で、
指導医で専門医で、数々の認定がある
「スキル人間です。」

大学卒業後、父が「築地にがんセンターが出来るよ」
その一言で、当時「医師の神様」
といわれる凄腕の医師の集まったがんセンターで
専門医を許されました。

時々妹の私に真剣になって聞くことがあります。

「お兄ちゃんはこの件はこう考えるのだが、、、お前の意見を聞きたい!」

「私は専門家ではありませんから、
ギリシャ劇で申すと「市民」の声ですよ」

「それでもいい、視点の異なる意見を参考にしたい!」

兄弟という」気安さもあって、
私は思ったことを言うことにしている。

当時としては白い巨塔の医局ではなく
がんセンターの研修に飛び込むのは
少ない生き方だったと、妹の私は
がんセンターまで、同行した。

「医学博士のある医師とない医師は
どのように価値が違うかね?
民間の意見も知っておきたい」

「医学博士を取得していない私が言うのも
口幅ったいが、医史学が趣味のヒストリアの私は
市民の声としては答えても責任がない。

明治のころの
「医学博士は医学大博士とともに、
国家的な称号だと思いますが

厚生省が「医学博士を管轄する」という時代に
なったということは、
政治的に国会秘書ではないですが
物申しやすいという称号で、
運営や政治に役立つ仲間であるという
連判状のような気がします。

学術や研究ならともかく、
例えば外科病院なら
熟練の外科医で、手術例が多く、腕がよくて、

創世記から病院の人事性格を捉えていて
病院の毛細血管に至るコメディカルも

やる気が沸いてくるほど
活力を与える医師の方が
「医学博士」や称号より
臨床現場では戦力となるのではないですか?

それに、「医学博士(○)大学」という
後ろを省いて名刺に書くから、
一律の
高い評価と混乱しますよね。
東京大学や旧帝国大学、千葉大学、
名門私立医科大学の博士号も

他の学部を卒業したトンボの目玉を研究した医学博士だって
いると思えるし、、、、

今は論文博士は、消えつつあります。
手塚治虫は「デンデンムシノ精子」を
研究したとか、、、しないとか?

臨床をきちんと研究してきた医療の実力派も
今までやってきた研究の
申請していない人が申請を終わると

実質的に
「大学院」を出ないと、
なれない時代が目の前まで来ているし、
医学博士=大学院卒業と言える称号になるかも知れませんね。

イギリスの博士号のように、
称号のアルハベットが即「ケンブリッジ卒」なんて
主張できるのなら、日本の博士号もかっこいいですね」
金メダルみたいで、、、見せたくなる。

*****

「なるほど、、、医学博士の価値はどうかね?」

私的には薬学の同級生でも
独身で病院薬剤師という臨床に従事した友人は
「薬学博士」ではなく、、、「医学博士」を取得しているようです、」
結婚式に出てくれた同級生も、
医学博士を取得して医科大学の臨床機器分析の
ドンになってるし、、、。

パスツール研究所に行っていた先生は
「薬学博士」を取得してきて
国家の与えて国家権力のもとの称号だと説明してくれた。
その後、パスツール研究所を見学してきました、

サポーターは婦人だったかもしれない?と
私的には思いたくなるほど、
女性的な繊細な環境でした。

「フランスの博士号」は明治時代の
「大博士」のような重さで
研究歴があることの証明だと思ったわ。

その点、
「日本の臨床論文の医学博士」は臨床で取得するから、
基礎の研究とは意味が違ってくるし。」

*****

ありがとう、、、
一般の薬剤師レベルの考えがよくわかったよ。

病院長がね、
博士号があるとか、ないとかで左右されると言うことは
暗黙のうちに、
その院長の出身大学が
上層部にいるということになるのかな?
仲間の連判状という証みたいなことかな?

話が大きすぎて私にはわかりませんよ、、、
だけど、
医療を扱った本や、歴史や漫画では
そのような黒幕はよく出てきますよね。

現実は

そうとは限らないわ、
院長が出向く先が政治的な交渉の場で
事務的な場であったのなら、

大きなダイヤでぎらぎらしているアクセサリーが
お金持ちという条件だったりするかもしれないし。

素人には、
国立がんセンターの所長と
博士号がどっちが「医療人としての実力者」か
混乱していると思うのよ。

*****

お兄ちゃんは
ひたすら医療にまい進してきたから
「いい医師」、「凄腕の医師」になるために夢に生きた、
名門といわれる先生の弟子になって腕を磨いたと思うのよ、

元来「医師」はそれでいいんじゃないでしょうか?
「院長」とか「副院長」とか「理事長」は、

私的には「立ち寄った駅のベンチのように、誰が座ってもいい」

病院の医師が切磋琢磨する気力を
うしなうことのないような
医療のビジョンを持てば、いいのではないかと、
私は思いますが、
勘違いして、
私物化したり、自分ひとりで「俺は専制君主」だと輝いたり
俺様が病院を運営してきたと、
自分で自分を胴上げするようになったら
ほかの医師が迷惑しますよね。
病院はチームで、それぞれがベースを守ってるから。

「院長が脳みそ」というわけではなくて、
病院がすべてが「国家免許取得の脳みそ軍団」なのですから、
群雄闊歩の各科の、
「脳みその代表になれる院長」はありえないから、
経営者も、院長も、
病院という気合の入った生き物のような活気を
そいでしまって、
金に利益に走ったとたん、

馬車はかぼちゃに戻ると思いますけどね。

父も敗戦で病院の院長を退いているし、
お兄さんだって、そうでしょう、、、。

カリスマ性の在る医師軍団が、
宗教的なカリスマ性に取り込まれると
赤軍派みたいなことになるし、、、。

医師は医師同士、協力して、今までと同じく、
患者さんに、最高の医療を届けられるように

経営者側にわかってもらうことが

末永く、
時代にも
次代にもかなう
医療体制が取れるのではないですか?

私は医師ではないですが、
中国四大中医学院はじめ、
ヨーロッパの
500年前から存続している病院や、
ホスピスや、
20箇所以上の病院の内部見学を
させてもらえました。
教会と隣り合わせの精神病院を見学したり、
ゼミを受けてきましたが、

一番恐れていることは、
企業の介入で
本来の医療が利益主体になってしまうことです。

医学の高台に病院を建てないと
時代の津波が押し寄せると
跡形もなくなるのでは
会社と同じ位置、利益の位置は
低地ということかも知れません。

ヒポクラテスの時代からの病院資料が
「ウエルカム医療博物館」に
残っていましたが、

医の心は他のジャンルが理解できないほど、
圧倒する輝きが
見えない部分に感じられました。

EBMの時代の医学になって、
いろいろなテクニッシャンのような
医師が出てきているように、
外側からは見えますが、

私は部外者として思ったことは、

企業は己の手のひらに、
好きな形にして医師を閉じ込めて
戦力として駒にしたと思ったときは、

本来の「医療に従事した医師はその手のひらの上には居ない」と。

つまり、企業が手のひらに載せた医師は、
自分で自分を胴上げするのが心地よいと、
名声に酔える医師が残るでしょう。

本来、医師は、格好をかまうこともしないで、
人間の「人体という宇宙開発」に
人生を注ぎ込んでいた
「夢追う人」ではないでしょうか?

去年「森鴎外」の行った「ドイツ」に行ってきました。
小さな開業医の病院が、印象に残っています。

北海道に、
主人の父の親の長男が
明治時代に開業をしています。
晩年、本州に戻っていっています。
医師を育てたようです、
親戚だという医師が名乗ってくれました。

運命の赤い糸があったのですね!
驚きました。

本州から来た指導者も晩年本州に戻っています。

北海道で医者不足を補うためには、研修医時代に
指導してもらいたいという病院を創ることです。

よい医師を北海道で養成し、
ここに、骨を埋めたいと言わせるように
彼らに「舞台を任せる」度量が必要です。

せっかく、すばらしい」先生が指導にいらしても、
この狭い日本の中で、
いつ「島ごと沈没する」かもしれない列島で
セクトを争っていては、
「いい医師」は本州に戻ってしまいます。

陸別の関寛斎のミュージアムにも
泊りがけで行ってきました。
お子さんから網走刑務所の医師が育っていました。
最後に自殺されていました、
夫人は黄八丈の着物で
関先生の日記の表紙を造っていました。
お子さんには
北大の農学部を卒業されたかたもいました。

医学と農学は、私は
もっとも近いと父から教わりました。

本州から来た研修医に、
医師の奥さんとして、キラキラきらめく人ではなくて
北海道のよさを痛感させられるような配偶者も育て
謙虚なサポートで自立できる理解者を育て
北海道を好きになってもらうことですよね。

医大だ、北大だ。地元だ、本州だという垣根を取っ払って
研修医が研修後も
北海道に住み着けることが大切に思うのですが
いかがですか?
魅力と品性が無意識に
医師のみんなが大切にしているように
思えるのですが。

*******

そうだね、、、医学博士とか、権威とか、どこの大学だとか、
まず、垣根を取っ払って、
「よい医師」の育成が
「地元に残る政治をすることだね。」
能力を使い倒し、
腕をふるっても、立場を与えないのでは
最終的には「レベルは停滞します。」

順天堂の歴史を見てると、
優秀な医師を跡取りにしてきた歴史があります。

世襲制や地域性にこだわらなかったことが
すばらしいと思いました。

一人の医師が医師になるまでの金銭を考えても、
一人一億以上かかるでしょう!

研修に来て、北海道に「ほれてくれれば、」
本州の親御さんも
腕をふるえて、のびのびとよい医師になってくれるのなら、
日本中どこにいても言いと思いますよ。

医学博士、、、どう思うか、、、答えになったでしょうか?

    兄さんへ       妹より

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