花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

いつの間にか、、、春になっておりました。

2009-04-10 23:13:25 | Weblog
  

我が家にとっては、、、
激動の5年間でした。

何所をどうやって通過してきたのか、、、
振り返る時間もないままに
今日、今、やるべき事に追いかけられながら、

月日はすっ飛んでゆきました。

オイルショック
バブル
国際経済の津波?

サブプライムローン
株安、

エコライフへの回帰
工業生産の落ち込み

会社、企業の大量倒産
青白き、、、インテリの再来。

医療界の荒波
医療訴訟
小児科医の激減

医療崩壊への兆し、

無機質に近い「会社」
生身の歴史を生きてゆく人間の「命」

瑞々しくも
デリケートで精神世界を背負った「命」

企業が果たして「命」を商品にすべく
医療を定款によって、少数の役員で
医療現場の舵をとりつづけられるものなのだろうか?

厚生省の年金への取り組み
医療システムの再構築、、、
自分の親の老後と格闘した厚生大臣は
医療現場の患者さんの視点で医療を見つめた経験者。

一生懸命頑張る年金への取組と
年金制度そのものの持つ手品。

現場の視点と外側の視点
政治的な視点と現場の現実的なギャップ。

1990年代ごろから、
医療の始まりの歴史を訪ねて、
ヨーロッパや中国の医療施設や病院や
ホスピス、
サナトリウム、、、

訪ね歩きながら、

明治生まれの父が話していた
ロンドンの古い病院にたどりついた。

実に、、、500年という歴史を生きている。

政治家は政治には優秀性があるのだろう。
しかし、医療とか、福祉とか、
人間の社会背景をひっくるめた現場の問題を
現場の流れを汲みとるのは容易なことではない。

サッチャーさんは
医療費を外側の視点で縮小した。

日本は、どうなるのでしょうか?
同じ轍を踏むのか?


何百年も前は教会だった所に
行き倒れの病人が運び込まれていたという病院にたどりついた。

神父さんや尼僧の保護で
食事の世話に至るまで世話になりながら社会復帰していったという。

ウエルカム医療博物館には
医療の始まりから今日までの歴史が展示されていた。

地下の本屋さんで
世界の医療の歴史の本を買って、リックに背負って、、、、

そのまま「セントメリー」の病院に行った。
ペニシリンが
「青カビ」から抗生剤を世に送り出すまでの資料が展示されていた。

昭和30年ごろ
太い注射の針で
お尻に「白いペニシリン液」を
ブスリと刺された経験を持つのは私だけではないはずです。

抗生剤が医療革命を起こした時代であった。
その頃、明治生まれの外科医だった父は

ペニシリンの出現で
多くの手術後の化膿に対処出来たはずである。

そんな事を考えながら、、、

フランスに飛んだ。
フランスでは、
教会の薬草の歴史に触れる事が出来た。

中国の生薬や
東南アジアのジャムウや
インドのアユるべーダーも
教会の薬草の影響が大いにあると思った。

フランスにはワインばかりではない農産物が
歴史的な生薬の保存瓶などが
デルフト焼きに焼きこまれた麻薬の名前からも

医療という「精神世界」は、
政治や権力を超えた所に真髄があるように思えた。

教会と病院が一体になっている精神病院もあった。

パスツール研究所では
エーズの研究に取り組む研究員が学閥や国境を越えて来ていた。
大学時代
パスツール研究所で研究され
パリ大学で教授をされた女性の先生に
生薬学の授業を受けながら、

さっぱり、、、フランス語が解らず、
猫に小判のじかんであったと反省しながら

狂犬病の研究で世界に知られた、
パスツールの研究所の
学閥を離れたシステムに
医療の発展に必要なのは

権力や政治の介入や、会社の経営という
収入第一の
無機質な支配ではなくて

医療にビジョンが持てる若者が集まってくる
能力の集えるサポートではなかろうか。

サポートするサイドも
医療に意義を感じる「医療バカ」である必要性を感じました。

鶴首のフラスコを見ながら
科学のロマンは
育てる側にも親ごころが必要と感じました。

パスツールの場合は
夫人が財閥だったことも大きなサポートであったのではなかろうか?

音楽や、芸術と同様に
理解を超えた無条件のサポートの上に
医療の世界は科学とEBMを軸に
「アート」「芸術」「精神世界」「形而上の集中力」を伴って
花が開くように

その蜜によって生還する病人の必要とするエネルギーを
放出できるのではなかろうか?

人間一人のエネルギーは宇宙を巻き込むモノがある。
人間を相手に医療を考えるとき

政治や権力や保険制度や経済で
支配やコントロールできるとは思えない

歴史を背負っている現実に出会った。

動物の命と
人間の命と何所が違うのか、、、?

宇宙開発!
スペースシャトルは飛んでゆく

人間の「命」と
地上を限界とする動物の「命」とは

「命」の重さはちがうのか?

北海道に住んで40年になる。

東京の小学校から大学まで卒業した私にとって
北海道はかなりの間
外国のように思えていた。

友達も。親類も、親も隔てる青函。
若かりし日の能力と体力を使い果たした65歳。

医療制度という
終の棲家を思うのはわたしだけだろうか?


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