今日は5時に目が覚めて、
急に立ち上がろうとすると
くらくら、、、としました。
ワクチンの副作用ではなさそうです。
目をつぶって、グラリ、、、グラリ
自分から、身体を回して、
起立しなおしました。
すっきりと目が覚めていないせいもあるのでしょう、、、
副作用情報を読んだからっと言って、、
、催眠術のように
自分で自分を誘導するのは止そうと思いまして
冷たい水で顔を洗って、、
ほら、、、眩暈なんか。。。していません!
50年目の
ゴムの鉢植えに
ぼんやりとした早朝の光を呼び込み
おはようさん!
北海道の夏は5時から11時ごろまでが
気持よく働ける時間です。
毎日、、、手洗いを頻繁にするようになってから
早朝のうちに、
おしぼりを洗濯して干してしまう。
そのあとで、お湯の温度を高めにして
朝シャンをすると、
頭がすっきりと、、、、軽くなった気分がする。
早朝のシャワーは
すっきりと目を覚まさせてくれる。
corona対策に、、、
毎日衣類は総取り換えをして
早朝のうちに洗濯して、
干してしまう。
、、、、、
確かに、、、眩暈もどきの
寝ぼけた判断力で
洗濯物を干し終わると
8時ちょっと過ぎ、、、
次なる、tyousyoku jyunbi ni torikakaru to simasyou (^^
77歳の誕生日までには、
ワクチンが、
corona対策の免疫を
私の体内に、完成するはずですから、
人の少ない時間に、、、
今度は
東急前の終点で、、、バスを降りたら、、、
真夏のカラフルな
ちょっと、、、サイケデリックな
ワンピースの並ぶフロア~~で
若さを取り戻して、
ウインドショッピングのお礼に
地下の食料品売り場にて
久しく見なかった、、、日本の月餅など
買って帰ろうかな~~~!!
ワクチンを、、、受けようかな~~
、、、うけるのよそうかな~~~
サブちゃんの演歌みたいな毎日を
電話してくる、、、幼馴染の婆ちゃんよ!!
どうやら、、、
私は、、ワクチンの副作用に合わずに
coronaの免疫獲得5合目あたりの
登山成功らしいわよ!!
8月には、、ワクチンの免疫山頂目指す登頂成功予定!
8月上旬には、、、
駅前バスの終点の
デパートに
2年ぶりで、、、真夏の、お菓子と
主人への感謝で
m(^^)Y
ウナギパックを買ってきますね!
20年以上、、、
ウナギは食べたことがありませんよ。
思い出せば70年も前の事ですよ、、、
頭は正常ですよ、、、
南紀で育った私は、
真夏の早朝、昨夜に仕掛けた「投げバイを、、、」
1歳違いの兄さんと、、、、
そろりそろりと
引き上げると、、、
ハゼの餌に、
喰いついた、、、
でっかいウナギが
大暴れしていたっけね!
8つ違いの長男に
ウナギをさばいてもらって
七輪の炭火の上で
そのまま焼いて、、、
みりんと醤油と混ぜて
つけて、、、喰ったけね!
南紀のウナギ、、、
真夏の御馳走やったっけね!
あの味知ってしまっている私は
子供が、、、孫が、、、主人が,、、
ウナギ食べても
食べる気がしなくて、、、
何十年も、、、ウナギは食べていません。
70年前の古座川に、ゴールデンゲイトブリッジの様なデザインの
モダンな橋がかかていました。
疎開地には、、、アメリカ帰りの人も
ワシントン大学を卒業された人も、、
東京の大学を出た人も、、、文化を持ち込んでいましたよ。
この橋の下流の、海に向かう所に
滝の拝だったかなあ~~ 名前忘れたけど
私のお母ちゃんが生まれた当たりと思うんよ、、、ね。
明神村の下流の方やったかな???
私が、、ほかのウナギは、、、欲しくないと、、、
ウナギを買ってこないせいもあって
成り行き上、、、
主人もとばっちりを受けて
我が家の食卓に、
ウナギが出されることは
半生以上、、、
記憶にございません。
南紀の、、、古座川の近辺は
鮎と、ウナギ、、、最高でしたね!
子供の頃は、疎開地へのお客様同様で、
外来者の私は
異邦人と同じだったかもしれません。
一歳違いの兄さんは、のんきな性格で
歌がうまくって、、、競争心が無くって
母に言わせると
「神様が自然の天地に産ませた子供」と
私の100倍以上も、、、性格が気に入っていました。
従軍していた父と、この兄を抱いて
最後の連絡船で帰国できた時
故郷にたどり着いたときは
一粒の米も無く、、、
村で用意した診療所で
七か村、、、無医村のメッカで
たった一人の医師として
村に、、、医師を連れてきてくれたと、、、
村の精米所の叔父さんが、母に
米俵ごとくれたとのことでした。
食べるものが手に入るようになって
栄養失調で、、一度は、、、
死んだと思われて
母の知人に囲まれて、泣いていた母の前で
奇跡的に、、、命を取り留めた兄が
母にとって、、、
「一度死んだ子が、、、故郷の自然が
神様の命令で、、、この子を
産みなおした、、、」と
母は、、、しばしば言っていました。
母は、一歳違いの兄を溺愛していた。
私は誕生日をしてもらった記憶がないのですが、、、
兄は、「小学生」の時の誕生日には
蓄音機や、、、アコーデオンを買ってもらい
東京に帰ってきてからは
コロンビアの、4個もスピーカーの入った
ステレオを買ってもらっていた。
高校生になったとき、
競争心のほとんどない兄は
音楽の先生の居る学校に進学した。
芸大出身の男性の音楽教師がいる都立高校だった。
このような兄であったから、
子供の頃は、もっと自然体で
人と争う事は無くて、、、
地元の皆と、、すぐに馴染んで
友だちも多かった、、、
年子の兄のおかげで
兄のグループに入って
川遊びに、没頭した夏の思い出が
ウナギを見ると、、、
思い出します。
川には、、、
ハゼも,ナベタも、ボッカイも
ハイゴもウグイも、、、エビも、、、
子供らのと唐物の遊び相手だった。
兄が、ミミズの餌づくりや
ウナギの「投げバイ」には
「カブらた?」という、、、
お化けミミズが餌としては最高だと
村のおっちゃんが
ゆうて≪言って≫いたというんで
スコップ持って、「カブらた」探しに
畑の周りの潅木の近くの黒土を
掘り起こしたが、、、
なかなか見つからなかった。
兄の同級生の地元のお百姓さんの家の子が
「カブらた」を見つける名人だった。
結局、、、私たちは
ハゼを釣って、ハゼと、
ミミズをネットに入れて
ウナギ籠を瀬に仕掛けて
南紀では、、、
小ぶりのウナギを捕まえるのが
成功した。
弟は南紀に疎開中に、、、生れました。
村中で喜んでお祝いしていただきました。
父は村人に信頼されて、医師の仕事の為に
家族と過ごす時間は、、、記憶の中にはありません。
村人に慕われた父は、一つ違いの兄さんと
どこか似た性格でしたが
兄のように、、、のんきで、でたらめなところは
父には無くて、手厳しいところがあるのに
村人は、、、尊敬のまなざしで慕ってくれているのが
子供の私にも、、、解りました。
「
この人たちに別れを告げて
父は、、、
最後の力を振り絞って、、、故郷に帰ってきました。
東京は「芝公園」の近くの
慈恵会医科大学を卒業した父は
40歳半ばで、、、戦後のアメリカナイズされた教育を
子供たちに受けさせないと、、、命をかけての帰郷でした。
父が東京に帰って住んだことのない下町に開業しました。
同級生が、温泉での同窓会などの誘って下さったㇼ
疎開中に、同級生の研究材料として
村人に確保してもらったイノシシの頭などを
大学に送っていたことも、、、親しさが薄れないで
東京に帰って来たことを、
皆がサポートしてくれているのが
家族には、、、心強い出発でした。
父の学生時時代の写真なんて、、
、残っている人は少ないでしょうね!!
明治生まれですからね!
故郷東京に帰るまで
疎開していた南紀の話を
もう少し、、、
日記に残しておきたいと思います。
弟が、作文で和歌山県の県下一位をゲットしたとき
作文の主人公として出ていた弁護士さんが
弟の天才的な才能に、、、わざわざ、、泊りがけで
汽車に乗って、、、バスに乗って、、、無医村まで
会に来てくれました。
私の記憶なので、、間違っていたらごめんなさい、、
イノグチ、、、先生と、、、
作文には書いてあったような記憶があります。
弟は。井ノ口先生に啓蒙されて、
世の中に役立ちたいと、、、一生懸命に
何をするにも、、、ユニークな発想で
団塊の世代の
ニッポン復興の為の
医学分野で
日本に貢献できるようにと
頑張って生きたようですよ、、、
幼いころの、、、弁護士先生!!!
弟は、、、田舎に住んでいた時
先生のような人に出逢った一瞬が
大きなビジョンに生きれるように
目的を持つことを知ったのかもしれませんね。
人は、、、誰に。。。出逢うかで、、、
才能に花が咲いたり、、、
自分の才能にさえ、、、気が付かなかったㇼ、、、
人の人生って、、、出会いかもしれませんね。
さて、、、再び、、、故郷の大水の日に
村人も、子供も。。。
命の危険も気が付かずに、、、
「日頃よりは、、、ずーと大きな魚が獲れるので
泥色に濁った川に、、、大きな網を持って
巨大フナ。。ウグイ、、、ウナギ。。。探して
激流に向かって行ったから、、、
神様は,、、いらっしゃって、、、
向こう見ずの馬鹿どもを、、、
守ってくれたのですね!
大水が出た後、、
でっかい球糸で出来た網を、
沖家の、、おっちゃんに頼んで貸してもらって
鮒をかきに行ったらば、、、
後から、、おっちゃんが、
もっと大きな巨大な網ご持参で
「ええか!よう見とくんやで」!、、、
大水の後🌸、、油断しとったら、、、
魚ごと、川の中に引きこまれて、
溺れたら、、アカンからな!!
おいちゃンの足の置き場と、
網の使い方見て
近くの木に
「命綱を回して、流されんようにするんやで!!」
日ごろは、川原に、、、牛さんを引っ張って
草を喰わせるんで、、、
子牛が、私をを追いかけてくるんで
沖さん家の牛に、朝も、夕暮れも
川べりで、ちょっかい出していた私たちに
おいちゃんは、、
「牛にちょっかい出すな~~」
「 怪我してもしらんぞ~~~!」
子供らが、危険と隣り合わせの無知な大胆さで
大人たちをハラハラさせていたことが、、、
思い出とともに解るようになったのは
戦後教育の為に、、父の故郷の東京に帰ってからでした。
東京に居た13歳から24歳までンp10年あまり、、、
24歳で、北海道の留萌を体験して
77才目の前になるまでの50年間を
北海道の、、、家の中で、、、
独りぼっちで過ごしました。
寂しいとか、、、苦しいとか、、、感じる暇のない
北海道の季節の激しさの中で
無い知恵絞って、、生き残るのに
今日のうちに、、、明日の用意をする毎日でした。
幸い、、、北海道に来た時の若さが、
恐いもの知らずで
50年はすっ飛んでゆきました。
やっと、、、これからは、、、北海道の旅行をして
ドコモココも、、、なんて読むのかな~~~という
未だに読めない地名の北海道を思うとき、、、
生きてる間に、、、釧路ぐらいには行ってみたいと
思っている。
どうや~~~!
ワクチンで、、免疫獲得できそうな今、、、
頭のなかだけでも、、、
行動範囲拡がったやろ~~~が!!(^^
これだけ日記書いても、、、くたびれないから、、、
ワクチンの副作用は、、、目下のところ、、、
ゼロと判断して、、、
明日も、、、日記が書けるかな?
洗濯機が洗い終わりの呼び声出していますので、、、
二回目の洗濯終了です。
又明日!