花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

10日の8時です、2度目のワクチン接種から86時間

2021-07-10 08:16:58 | Weblog

今日は5時に目が覚めて、

    急に立ち上がろうとすると

       くらくら、、、としました。

         ワクチンの副作用ではなさそうです。

      

目をつぶって、グラリ、、、グラリ

     自分から、身体を回して、

          起立しなおしました。

 

すっきりと目が覚めていないせいもあるのでしょう、、、

 

副作用情報を読んだからっと言って、、

、催眠術のように

自分で自分を誘導するのは止そうと思いまして

      冷たい水で顔を洗って、、

        ほら、、、眩暈なんか。。。していません!

        

 

         50年目の

          ゴムの鉢植えに

          ぼんやりとした早朝の光を呼び込み

             おはようさん!

 

    

北海道の夏は5時から11時ごろまでが

気持よく働ける時間です。

 

毎日、、、手洗いを頻繁にするようになってから

 

早朝のうちに、

   おしぼりを洗濯して干してしまう。

 

そのあとで、お湯の温度を高めにして

          朝シャンをすると、

   頭がすっきりと、、、、軽くなった気分がする。

 

早朝のシャワーは

    すっきりと目を覚まさせてくれる。

 

corona対策に、、、

     毎日衣類は総取り換えをして

          早朝のうちに洗濯して、

                干してしまう。

 

          

、、、、、

確かに、、、眩暈もどきの

       寝ぼけた判断力で

         洗濯物を干し終わると

             8時ちょっと過ぎ、、、

        

 

  次なる、tyousyoku jyunbi  ni  torikakaru  to  simasyou (^^

 

77歳の誕生日までには、

      ワクチンが、

       corona対策の免疫を

   私の体内に、完成するはずですから、

 

        

     人の少ない時間に、、、

       今度は

       東急前の終点で、、、バスを降りたら、、、

        真夏のカラフルな

          ちょっと、、、サイケデリックな

            ワンピースの並ぶフロア~~で

              若さを取り戻して、

         ウインドショッピングのお礼に

           地下の食料品売り場にて

           久しく見なかった、、、日本の月餅など

              買って帰ろうかな~~~!!

           

      ワクチンを、、、受けようかな~~

            、、、うけるのよそうかな~~~

 

         サブちゃんの演歌みたいな毎日を

             電話してくる、、、幼馴染の婆ちゃんよ!!

 

          どうやら、、、

       私は、、ワクチンの副作用に合わずに

         coronaの免疫獲得5合目あたりの

             登山成功らしいわよ!!

         8月には、、ワクチンの免疫山頂目指す登頂成功予定!

 

           8月上旬には、、、

           駅前バスの終点の

           デパートに

    2年ぶりで、、、真夏の、お菓子と

          主人への感謝で

           m(^^)Y

              ウナギパックを買ってきますね!

 

         20年以上、、、

       ウナギは食べたことがありませんよ。

 

        思い出せば70年も前の事ですよ、、、

        頭は正常ですよ、、、

         

    南紀で育った私は、

       真夏の早朝、昨夜に仕掛けた「投げバイを、、、」

      1歳違いの兄さんと、、、、

             そろりそろりと

                引き上げると、、、

                 ハゼの餌に、

              喰いついた、、、

 

          でっかいウナギが

            大暴れしていたっけね!

 

          

      8つ違いの長男に

        ウナギをさばいてもらって

          

            

         七輪の炭火の上で

        そのまま焼いて、、、

         みりんと醤油と混ぜて

       つけて、、、喰ったけね!

           

       南紀のウナギ、、、

        真夏の御馳走やったっけね!

 

       あの味知ってしまっている私は

 

       子供が、、、孫が、、、主人が,、、

           ウナギ食べても

           食べる気がしなくて、、、

        何十年も、、、ウナギは食べていません。

 

        

    70年前の古座川に、ゴールデンゲイトブリッジの様なデザインの

    モダンな橋がかかていました。

   疎開地には、、、アメリカ帰りの人も

   ワシントン大学を卒業された人も、、

      東京の大学を出た人も、、、文化を持ち込んでいましたよ。

 

   この橋の下流の、海に向かう所に

       滝の拝だったかなあ~~  名前忘れたけど

    私のお母ちゃんが生まれた当たりと思うんよ、、、ね。

   明神村の下流の方やったかな???

      

          

      私が、、ほかのウナギは、、、欲しくないと、、、

       ウナギを買ってこないせいもあって

 

       成り行き上、、、

          主人もとばっちりを受けて

         我が家の食卓に、

          ウナギが出されることは

             半生以上、、、

           記憶にございません。

 

 

         南紀の、、、古座川の近辺は

          鮎と、ウナギ、、、最高でしたね!

            

        子供の頃は、疎開地へのお客様同様で、

            外来者の私は

         異邦人と同じだったかもしれません。

         一歳違いの兄さんは、のんきな性格で

        歌がうまくって、、、競争心が無くって

         母に言わせると

          「神様が自然の天地に産ませた子供」と

         私の100倍以上も、、、性格が気に入っていました。

 

       従軍していた父と、この兄を抱いて

        最後の連絡船で帰国できた時

        故郷にたどり着いたときは

        一粒の米も無く、、、

        村で用意した診療所で

          七か村、、、無医村のメッカで

          たった一人の医師として

          村に、、、医師を連れてきてくれたと、、、

         村の精米所の叔父さんが、母に

           米俵ごとくれたとのことでした。

 

           食べるものが手に入るようになって

          栄養失調で、、一度は、、、

          死んだと思われて

         母の知人に囲まれて、泣いていた母の前で

          奇跡的に、、、命を取り留めた兄が

            母にとって、、、

          「一度死んだ子が、、、故郷の自然が

           神様の命令で、、、この子を

              産みなおした、、、」と

            母は、、、しばしば言っていました。 

         母は、一歳違いの兄を溺愛していた。

          私は誕生日をしてもらった記憶がないのですが、、、

         兄は、「小学生」の時の誕生日には

          蓄音機や、、、アコーデオンを買ってもらい

          東京に帰ってきてからは

         コロンビアの、4個もスピーカーの入った

         ステレオを買ってもらっていた。

         高校生になったとき、

         競争心のほとんどない兄は

          音楽の先生の居る学校に進学した。

           芸大出身の男性の音楽教師がいる都立高校だった。

   

         このような兄であったから、

         子供の頃は、もっと自然体で

         人と争う事は無くて、、、

         地元の皆と、、すぐに馴染んで

         友だちも多かった、、、

 

          年子の兄のおかげで

         兄のグループに入って

 

         川遊びに、没頭した夏の思い出が

         ウナギを見ると、、、

          思い出します。

 

         川には、、、

        ハゼも,ナベタも、ボッカイも

         ハイゴもウグイも、、、エビも、、、

         子供らのと唐物の遊び相手だった。

         兄が、ミミズの餌づくりや

         ウナギの「投げバイ」には

         「カブらた?」という、、、

           お化けミミズが餌としては最高だと

          村のおっちゃんが

             ゆうて≪言って≫いたというんで

           スコップ持って、「カブらた」探しに

           畑の周りの潅木の近くの黒土を

           掘り起こしたが、、、

          なかなか見つからなかった。

         兄の同級生の地元のお百姓さんの家の子が

         「カブらた」を見つける名人だった。

           結局、、、私たちは

           ハゼを釣って、ハゼと、 

           ミミズをネットに入れて

          ウナギ籠を瀬に仕掛けて

           南紀では、、、

        小ぶりのウナギを捕まえるのが

           成功した。

 

   

弟は南紀に疎開中に、、、生れました。

  村中で喜んでお祝いしていただきました。

   父は村人に信頼されて、医師の仕事の為に

     家族と過ごす時間は、、、記憶の中にはありません。

 

    

 村人に慕われた父は、一つ違いの兄さんと

     どこか似た性格でしたが

        兄のように、、、のんきで、でたらめなところは

     父には無くて、手厳しいところがあるのに

        村人は、、、尊敬のまなざしで慕ってくれているのが

     子供の私にも、、、解りました。

    「

  この人たちに別れを告げて

    父は、、、

      最後の力を振り絞って、、、故郷に帰ってきました。

  東京は「芝公園」の近くの

    慈恵会医科大学を卒業した父は

      40歳半ばで、、、戦後のアメリカナイズされた教育を

   子供たちに受けさせないと、、、命をかけての帰郷でした。

 

   父が東京に帰って住んだことのない下町に開業しました。

   同級生が、温泉での同窓会などの誘って下さったㇼ

    疎開中に、同級生の研究材料として

   村人に確保してもらったイノシシの頭などを

    大学に送っていたことも、、、親しさが薄れないで

   東京に帰って来たことを、

     皆がサポートしてくれているのが

    家族には、、、心強い出発でした。

  

                  

               

父の学生時時代の写真なんて、、

、残っている人は少ないでしょうね!!

 

   明治生まれですからね!

     故郷東京に帰るまで

         疎開していた南紀の話を

         もう少し、、、

      日記に残しておきたいと思います。

         

     

弟が、作文で和歌山県の県下一位をゲットしたとき

    作文の主人公として出ていた弁護士さんが

       弟の天才的な才能に、、、わざわざ、、泊りがけで

     汽車に乗って、、、バスに乗って、、、無医村まで

       会に来てくれました。

         私の記憶なので、、間違っていたらごめんなさい、、

           イノグチ、、、先生と、、、

        作文には書いてあったような記憶があります。

 

            

  弟は。井ノ口先生に啓蒙されて、

      世の中に役立ちたいと、、、一生懸命に

 

       何をするにも、、、ユニークな発想で

       団塊の世代の

         ニッポン復興の為の

           医学分野で

             日本に貢献できるようにと

           頑張って生きたようですよ、、、

 

      幼いころの、、、弁護士先生!!!

           弟は、、、田舎に住んでいた時

           先生のような人に出逢った一瞬が

          大きなビジョンに生きれるように

           目的を持つことを知ったのかもしれませんね。

 

      人は、、、誰に。。。出逢うかで、、、

       才能に花が咲いたり、、、

           自分の才能にさえ、、、気が付かなかったㇼ、、、

       人の人生って、、、出会いかもしれませんね。

 

        さて、、、再び、、、故郷の大水の日に

          村人も、子供も。。。

         命の危険も気が付かずに、、、

        「日頃よりは、、、ずーと大きな魚が獲れるので

       泥色に濁った川に、、、大きな網を持って

        巨大フナ。。ウグイ、、、ウナギ。。。探して

        激流に向かって行ったから、、、

           神様は,、、いらっしゃって、、、

      向こう見ずの馬鹿どもを、、、

             守ってくれたのですね!

 

           大水が出た後、、

   でっかい球糸で出来た網を、

           沖家の、、おっちゃんに頼んで貸してもらって

            鮒をかきに行ったらば、、、

       後から、、おっちゃんが、

      もっと大きな巨大な網ご持参で

      「ええか!よう見とくんやで」!、、、

       大水の後🌸、、油断しとったら、、、

        魚ごと、川の中に引きこまれて、

          溺れたら、、アカンからな!!

        おいちゃンの足の置き場と、

         網の使い方見て

         近くの木に

        「命綱を回して、流されんようにするんやで!!」

 

         日ごろは、川原に、、、牛さんを引っ張って

         草を喰わせるんで、、、

        子牛が、私をを追いかけてくるんで

          沖さん家の牛に、朝も、夕暮れも

          川べりで、ちょっかい出していた私たちに

          おいちゃんは、、

         「牛にちょっかい出すな~~」

         「 怪我してもしらんぞ~~~!」

 

       子供らが、危険と隣り合わせの無知な大胆さで

      大人たちをハラハラさせていたことが、、、

         思い出とともに解るようになったのは

        戦後教育の為に、、父の故郷の東京に帰ってからでした。

        東京に居た13歳から24歳までンp10年あまり、、、

         24歳で、北海道の留萌を体験して

         77才目の前になるまでの50年間を

         北海道の、、、家の中で、、、

          独りぼっちで過ごしました。

         寂しいとか、、、苦しいとか、、、感じる暇のない

        北海道の季節の激しさの中で

        無い知恵絞って、、生き残るのに

        今日のうちに、、、明日の用意をする毎日でした。

 

         幸い、、、北海道に来た時の若さが、

          恐いもの知らずで

         50年はすっ飛んでゆきました。

        やっと、、、これからは、、、北海道の旅行をして

       ドコモココも、、、なんて読むのかな~~~という

      未だに読めない地名の北海道を思うとき、、、

       生きてる間に、、、釧路ぐらいには行ってみたいと

       思っている。

 

      どうや~~~!

       ワクチンで、、免疫獲得できそうな今、、、

        頭のなかだけでも、、、

          行動範囲拡がったやろ~~~が!!(^^

   これだけ日記書いても、、、くたびれないから、、、

      ワクチンの副作用は、、、目下のところ、、、

         ゼロと判断して、、、

         明日も、、、日記が書けるかな?

   洗濯機が洗い終わりの呼び声出していますので、、、

       二回目の洗濯終了です。

        又明日!    

    

 


2回目フアイザー62時間目

2021-07-09 07:59:27 | Weblog

9日の8時です

6日の6時20分から、、、役62時間経ちました、

48時間をすぎた昨日の7時には

食べ物や牛乳が無くなって

安静にしていると、、、

主人があと1時間で帰宅時間に入りますので

気分も身体も正常な自覚ですので

買い物に出ました。

 

その前に、、髪に櫛を入れようと

鏡を見ました。

右目が、なんとなく目頭の方が

血管の数が多くなったのかなというような・・・

少し、漠然と、充血まではゆかないのですが,、、

  気になりましたので、

等張液に近い目薬で、眼を潤してから、

 

  車は、

万一のことがあると

事故に繋がるので

    リュックを背負って、

近くのマーケットに向かいました。

      

さすがに、、、この時間は、、、

駐車場が、、、

ガラガラのがら空き!!

 

入り口のアルコールを掌に吹きかけて

マスクで拭くわけではありませんが、、、

アルコールの手でそっと

「気は心」

マスクの外面に、

 アルコールの匂いなとつけて

 

気合を入れて、

    ワゴンにかごを2個乗せた。

 

10日に一度の「纏め買もの」

 

いつものように、テイバンno sinawo籠に 入れてゆく。

 

づ脳がまともに働いている証拠に

レシートを、羅列しておきます。

       (^^!

::::::::::::::::::::::::::::::

ネオ バターロール  181円

スイートバターブレッド6枚切り食パン116円

半額に値下がりして、残っていた焼き鳥(発作買い)311-156

唐揚げ弁当429-215

有料レジ袋  3円×2個

小葱138

シンデーsuiteトマト321

アルコール除菌ティッシュ327

納豆127

卵豆腐2×105=210

かまあげシラス213

千切りキャベツ108×2

味わいラーメン2×95

田舎蕎麦2×116

有機大根サラダ108

生シイタケ138

野菜198

 

万一副作用がこれから出ても

食事代わりにすぐ食べられるお菓子をストックしようと買いだめする。

ポテトチップノリ塩91×2

フライドポテト116×2

フライドポテト別種116×2

伊藤ハムフレッシュロース4回使い切りパック311

擦落牛乳181

十勝牛乳224

有料レジ袋2円

 

仮にめまいなどが出てくるようなら、、、お菓子で過ごそうと計画。

生活志向コーンチョコ102×2

ピーナツチョコ102×2

生活志向海鮮おせんべい102×2

江戸揚げ149×2

生活志向ポンスケ102×2

ホクリョウなんでも卵145

十勝絹豆腐149

サントリー伊右衛門84×3

コカ・コーラアクエリアス84

纏め値引きと、、、100円の券が出ましたので

主人の休息にと、、、ブルーマウンテンの買い置きを決心!

ワンパック1077円ですからね、、、

いくつ買い置くか、、、迷っている私。

。。。。

UCCぶるまんVP  2003個買い置き!!

       1077×3=3231

まとめ買い値引きがありますので(^^!

券の分が無料でもらえます。

カード払いなので、、、合計は興味のある人は計算してみてください。

毎回10000円で足りている、、、コース購買のメニュウです。

**********************************

今回も、

頭はいかれてないことが解りましたでしょう??

いつもと同じ

買い物が出来ましたからね!!

 

此処で、、、

私はこれを、、

買い物用リュックに入れます、

 

底に、ビニールをしいて、竜句の中にアルコールをスプレーして

 ビニールコブクロに入れたびゅう乳2本から

横にしてそこから入れます。

伊右衛門の御茶3本+アクエリアス1本+牛乳2本

525×3本+500×1+(1000グラムとして)1000×2

これだけで重さは5075グラムであり、、、5キロの重さである。

この上に、買った食料を乗せていって、、、ヨイショッと

担ぐわけですが、、、パンはつぶれると元に戻らないし

          お菓子類は、、、壊れるとヤバィ!!

それで、地球のプラスチックごみにはなりますが

有料の袋を買って、、、壊れ物は別にして、手で下げてきます。

 

此処で、、、私自身が危惧したことが、、、おきなかったのですよね!!!

 

2回目のワクチンの接種を受けた直後、、、

二キロに満たないバッグを持っていましたが

久々の外出なので、筋肉強化の為に

右足にふくらはぎ、ひざ、大腿と

細切れのスポーツsupporterを着けました。

一回目の接種を受けてから一週間ぐらいして、

日ごろの神経痛の痛みが、強く感じるのは、、、気のせいだと

ワクチンへの副作用のフアンがなせる、、、感受性の問題だと

注意を自分自身に向けなければ、、、普通に働けていましたが、

夜、、、

床に入ってから、、、

   こむら返りが起きることもあり、、、

歳には勝てないと、、、自分で仕事を減らすことだと

   こむら返りが通過するまで、、、結構、、、つらい!。

3時間も立っていると、

大腿が神経痛の様な痛みが起きることが稀ではなくて

 

主人は「ヘルニアが在るから、、、神経痛だと思うよ!?」

取り合ってくれなくて、、、

長く立っている仕事や、

休みなく家事を、

   立ち仕事だけで埋めると

3時間ぐらいすると、

     大腿のあたりから

ふくらはぎが固くなってきて

しびれるような痛みが起きてきていました。

それが、、、

    2回目のワクチンの後、、、

       15分間の待機時間は

        全くなんでもなかったのですが、、、

    帰路について、5分ぐらい、、、駅に向かって歩いていると

右足が、、、まるで痛くて、、、動かせなくなりました。

遠くに、、、

勤務の病棟から

駅に向かう主人の姿が視えたせいでしょうか?

緊張感がどっと消えたせいで、、、

   筋肉もブッたるんだのでしょうか?

普段なら気にもならないサポ―タ~が

  足を締め付けてくるような感じがして、、、

歩道の上でも、、、出来るなら、、、

サポーターをはずしたいと思うほど、、、

違和感に近い締め付けを感じて

  足が循環障害を起こしているかのような、、、

激痛になってきました。

遠くで、主人が、手を挙げて,合図のサインを送っては来たが

距離が離れていたので、大声を出すことはできませんので、

「遅れて、マイペースで

、駅の改札口に行くから

、先に行っていてください、、、と身振りで発信すると、

主人はOKサインとともに、

速足で

駅の二階に向かう

エスカレーターで

私の視界から消えてゆきました。

よちよちと、、、変な激痛は、、、右足だけに走ります。

左脚にも、同じようにサポーターはしているのに

左足は、全く以上は有りません。

右足は、、、動かないという、、、マヒ状態の中

私は、、、、これは左脚の血管が

   酸素を運搬できていないのではないか??

いつもの、、坐骨神経痛の痛さとは違うと思った。

ズボンのベルトを緩め、

サポーターの位地をズボンの上から

布ごとつまんでずらし、、

立ったっまま。。。足を休ませながら

一歩一歩、、、駅のエスカレーターで

なんとか、、、主人の居る2階までたどり着きました。

 

若い時から、、、主人と息子の居る街に旅行しても

新幹線のホームに向かうときも

並んで歩くという習慣は無くて

主人はスタスタ先に行って、

結果として、、、同じ乗り物に乗りさえすれば

全ての時間は「てんでんこ、、、個人主義」

当たり前の習慣になっていたので、、、

脚が動かなくって、、、遅くなっちゃった、、、と言うと、

「そんなに痛いのかい?

   坐骨神経痛だな、、、いつもの!」

頑張って、JRで札幌駅まで、脚をひきづる様な頑張りで

到着しました。

そして、、ニューモデルの、、天井が高く、、窓の大きい

タクシーが当たり、、、乗り込んだとたんに

痛みは無くなったかに、、、思えました。

2年ぶりの「たくしー」 ですから!!!

景色の良い所の道を選んでもらいました。

ビルの灯りは少なくて、

食事処も、鮭の出そうな料理屋も

   19時台なのに、、、シャッターは降りて

     閉店モードでした。

   ビルの灯りも、、、めっきり消えて、、、

雨の空にともる、、裸電球ににて、、、

    物悲しい、異常事態の活気のない町中を

      痛みの感じなくなった足だけでもご機嫌になって

    2年ぶりのタクシーの、、、

贅沢気分を味逢わせていただきました。

coronaは、、、入院したときのように

     ちいさな領域に、、、私を閉じ込めて

    毎日、、、感染の恐怖への緊張を強いるから

     足まで悲鳴をあげているでしょうが、、、!!

   coronaよ!!!

    これ以上の傍若無人な感染を増やすことは

   日本国民が、、、全員、、、怒りを持って、、、許せない!!。

街が、、、こんなに、、、さびれているではないか!?

、、、いやいや、、、これは、、、時代が変わり

世代交代のdigital企業が世の中を占領するのかも、、、しれない。

スマホを持っていない私は、、、

困ってからでも、、遅くはないと

維持費の少ないガラケーで、

時代について行っていない年齢に

   突入している、

駅の二階で、JRが来るまで休んでも

   痛みが取れなくて

階段を下りるのが辛くて、、、参ったのに、、、

タクシーに乗れて、、、窓の外の変わる景色を

乗客目線で、無責任に楽しめて空間が良かったんか、、、??

家の玄関に立った時は、、、しびれているという感じでした。

家に着くと、衣類を全部洗濯機に入れて、

100度のお湯で漬け置いて

ボイラーを高温にして

頭からシャワーを浴びながら坐骨神経に沿って

温め、湯ぶねの中で、阿蘇腰を温めました。

30年以上動いているマッサージ機で最短コースをかけてから

今日のいきさつを主人に放すと、

坐骨神経に沿って、解剖学のように説明しながら

指圧をして、上からシップを貼ってくれました。

そして、、、一時間もしないうちに、、

まるで、、、何も痛みが無かったかのように、

筋肉も、突っ張ってないし、、、立っても座っても

痛みは無くなりました。

主人の専門は外科ですが、、循環器外科などで

大阪方面に有った、

  当時は循環器センターの

      最先端だというので

学んでくるとか言って、、、

家から3か月以上、、、国内留学と称して

   知りたい、、、勉強したいの虫が動いていたことがありました。

そのとき、、、きっと血管の微妙な医学を覚えて

  お土産に、、、激痛の走る脚や

    マヒ状態の坐骨神経症の痛みと

        血管との関係を、、、学んできたのかもしれませんね、

 

家では、、、何もしない人で、、、

タオルかけを壁に取り付ける事を頼んだら、、、

適当な、、長さのねじくぎを探してきて

グラス宇留野断熱材の入った、、、石膏ボードに

形だけのタオルかけを造り、、、

   タオルがかけられない、、、。

その家事のこなし方には、、、

2回目に何かを頼む気がしなくて

何十年も、、、いえは自分の部屋のある,、、

   下宿人のように、、、

    食事だけは、がっちり用意しているという

     おかしな、、マイペース夫婦になっています。

甘えた気持ちは一切起きないけれど

  持ちつ持たれつ、、、得意分野を出し合って

二人で一人のつもりで、、、

  どちらが早く死んでも、、、

     ありがとう,、、が言える共同生活をしよううね!!

そのような心構えで、、、生きてきた来し方を振り返ると、、、

「医師をする」、、、

   「患者さんンを第一に、、、目の前の病気にカシヅク?」

家も、家庭も、子供も、、、、仕事の前には、、、

考慮したり、、、、の領域には、、、

入ってこない解りやすい日常が何十年も続いているから。

もしかしたら、、、意地悪しているのと間違うほど、、、

気が付かないはずでした。

しかし、、、今回の、、、

2回目のワクチンの予防接種を受けてから

家に帰るまでの行動と、

家に帰ってからの行動は、、、

   足がマヒ状態の患者を、痛みをとって

     回復させることに絞り込みをかけて

    家で、、、初めて、、、医師をすること、、、を

実地にして、、、結果を見せてくれたのかもしれません。

あれ以来、、、かなり重いリュックを担ぎ

両手にパンと、、、応急用のお菓子類を持って

15分間の道を歩いてきたのですが、、、

   坐骨神経は、、、痛みを伴う事は無い!!

そして、、、マヒしたのと勘違いするほどの右足は

何事も無かったKのように、、、

目下、、、完治している、、、

 

私は医師ではありませんので、、、

一切の診断能力はありませんが

長々と、、、詳細を述べたのは、、、

断定する何ものも無いのですが、、、

接種後、、、15分の待機時間を無事に経過して

接種会場の外に出ると、、、小雨が降っていて

5分も歩かないうちに、、、

右足だけが、、痛みを伴い、、、動かなくなった。

右も左も脚には運動用のサポーターを3枚づつ

足首からふくらはぎ、、、膝と大腿に

3枚づつのサポーターを着けていた。

右左、、、同じ条件なのに

右足だけ、、、

異常状態の痛みを伴い、

動かしにくい違和感があって

タクシーに乗ると、、、痛みを忘れ、、、

家の門の階段では、、、

かなり痛みはとれてはいたが

階段を上がるのには、、、登山のように

右足を持ち上げて、次の段の上に足を落とすという

解くsyな歩行で、家に入りました。

劇的に良かったのが、、、

衣類を全部脱いで、洗濯機に入れて

一切の締め付ける者の無い状態で

ボイラーの高温の風呂に使っていたという

血管の条件を、

  温めることで、循環を良くしたという事でした。

だからと言って、、、その後爆睡して、、、

起きたら、、、昨日の動かなかった脚は、

嘘のように正常に戻っていて

12時間後あたりから、、

、脚のマヒ間隔は消えているという、、、・

そして今、。3日目の今日は、、、

リュックいっぱい買ってきた食料を

何、、、不自由なく、、、調理しているという

劇的な病状の変化!!

プラセボ効果と一緒で、、、

精神の緊張や,、、自覚しない不安であっても

こうした、、、

詐病の様な、、、

脚がマヒして動かないという、、、

魔法があったのだろうか?

家では、お客様の主人が、、、初めて、、、家で

家族を相手に「医師をする」という事を

実行した結果、、、患者の私は

身心一如の治療法に

   自覚無き誘導をされて、、、治癒状態にあるのだろうか?

不安が発生すると、、、又、、

右足の痛みの伴った

マヒ状態がおきるのだろううか?

全て、、、ややこしい、、、データーが

アトランダムに詰まっている私の脳が

   クラッシュをおこしたのだろうか、、、???

副作用かどうかは、、、corona自体の正体がつかめない今

判断することは私には,、、およそできない。

事実を日記に書いておくことが、、、

何年か後に、、、coronaの正体が判明したときに

何かの役に立つ症例かも知れないと、

自分の異常な右足の体験を、、、日記に書いておきます。

   呆けないうちにね!

 

 

 


2回目ワクチンから40時間過ぎた時点の日記

2021-07-08 09:39:20 | Weblog

精神的な緊張があったせいかもしれません。

火曜日の18時20分、、、接種後は坐骨神経痛が痛み歩きにくかった。

       バス、JR乗り継ぎで、

                                     teine 駅から。さらに歩くからと

 

       大腿、ひざ、ふくらはぎと

            運動用のサポーターで締め付けて

              筋肉を強化しようとしたのが、、、

                    まずかった。

 

       血管を圧迫してしまい、、、

         循環障害とまでは

              ゆかなくても

        坐骨神経痛がひどくて

            左足をビッコひきながら

                   駅まで歩きました。

 

       自宅に着くとすぐに、、、

          サポーターをはずし

            45度ぐらいのお湯で

         足の血管をあっためて。

       膝上からシャワーをして、

    循環が良くなったところで

 

            横になって、

 

  坐骨神経に沿って、指圧してもらい、

      シップを貼ってもらいました。

 

しびれも痛みもとれて、、、爆睡できました

     

翌日は洗濯や干し物の様な

          軽作業で、

       一日TVや新聞を観ながら、、

          大事をとって外出はしませんでした。

 

       

 

24時間たったころ、

    夕食に暖かい、、、「雑炊」と「うどん」で、

   胃には負担を かけない食事をしました。

 

26時間後、、、コロンボ刑事を観るか、、、

         刑事7人を観るか、、、迷いながら、、、

            TVを観た。

 

7日は七夕だね、、、などと、、、

     夜の12時近くなって

        星の見えない空を見ていた。

 

  

 

8日は、、いつものように、、、

       5時に起きました。

     今日は「雑紙」を捨てる日なので

たまりまくった書類整理をしながらも

 

「身体に負担をかけない仕事」を選んでしながら、

 

自分の体調を、客観的に診るように注意しながらも

   発熱や、眩暈や、、、

     頭がボーとすることなど起きないかと

  自分の事を注意しながら、、、本を読んでいた。

 

   、昨日爆睡したおかげなのか??

  坐骨神経も傷まないし、、、

      とりわけ発熱もないし、、、

        めまいも起きない。

      主人の煎れてくれた

         ブルーマウンテンの

        香りも聴き分けられるし

 

安静に3日間はしておこう、、、と。

  自分が決めた以上、、、

   楽をしているという状態です。

 

8日の10時ですから、、、

    40時間たっていますが、、、

       身体状態はごくごく普通で

          変調をきたしてはいません。

 

木綿の半そでと、7分ジーパンで

   膝小僧を出したまま、、、ガムテープで

    絨毯の上の、、、埃をとっています。

 

、、気流に乗って肺に入る様な埃が気になって

 

「でっかいゴミ」は気にはなりませんが、

  「見えないゴミ」が気になる気性で、、、

 

  ガムテープで、床をペタペタ,、、

        這いまわるのが習性です。

   

洗面所は、、、髪が床に落ちているので

   朝晩、、、ガムテープでペタペタ、、、

   猫になったように、、、

      見えないゴミにじゃれています、、、です。

 

        ともかく、、、

    副作用らしい副作用も無く、、、快調です。

         2回目のワクチン控えて、

           心配されている方もいると思いますが、、、

     2日目になっても、、、

    何でもないことを日記に書いておきますね。

居回目の花が終ったとき

    花芽を残して

剪定したのが良かったのかしら??

 

今年2度目の開花です。

 

  花って、、、可愛いですね~~~!

ワクチンというのは、、、長いスパンで

   データーをとり続けないと

     人体の代謝や構成要素にかかわっているという

   必須アミノ酸の結合で、、、いろいろな

    遺伝子や、、coronaや…coronaもどきのスパイクや

   ワクチンにも、、、大いにかかわっているようでしょう??

 

   それが、必須アミノ酸のメッカの様な

      人体に入り込むんですものね!!

何が何して…どうなって??、、、coronaの何万もある手が

   海底で、小魚狙っているように、、、

   アミノ酸を,、、パクンとつかんで

    変異型になったって、、、不思議じゃないでしょう。。。ね。

 

ワクチンの事は、、、まじめに考えてると、、、

     解らないことだらけなので、、、

      ワクチン打って、、、死んでしまうようなら

       本当のcoronaにかかったら、、、

          そのまま、、、

      あの世行きの列車に乗るでしょうね!!

     熱が出るなと、、、肩が痛くなろうと、、、

      アナㇷィラキシーにさえ、

        出くわさなければ、、、

     リスクなんて、、、

     コロナに感染して重症になって

      生死の世界彷徨うこと思えば

    ワクチン受けて、正解だと思いますよ。

 

  私は、60歳までは病院で薬剤師をしていたので

   頭の中には、不安要素となるアミノ酸や

    コドンや、、、アンチコドンの星座が見えますが

 

   ありがたく、、、予防ワクチンの注射を受けながらも

   自分の意識の外で、、以下に、、書いた,、ァルファべッとが

   脳裏を回転して、、、感謝して注射を受けているのに

    無意識に、いろいろな化学反応を考えていて

     精神が疲れて、、、精神的な拒否反応が

      坐骨神経症になったとしたら、、、

 

    キリストが、、、

     「立ちなさい,、、貴女は歩ける!」

        一言いえば、

       坐骨神経痛の足のしびれは、、、

     痛いの痛いの、、、飛んでゆけ ̄ ̄ ̄!

            即完治だったでしょうね。

 

       精神がピリピリすると

       坐骨神経痛が痛くなる事ってあるんですかね??

       予防注射の副作用とは関係ないと思いますよね!?

          (**)???????

 

人体宇宙も、、

    corona宇宙も、、、

      アミノ酸の星空のようです。

 

星座が、、、ドノ?アミノ酸で造られるかによって

   coronaの感染力が変わってくるとすると

    

     TACG    AGGC

DNA、、、ATGC、、、       RNA、、、、AUGC

     A GGC   UCG AU    tRNA

       。。。。。。。      グリシン  セリン

       忍者の言葉(転写と合成)、、、、

        なんのこっちゃい???

      たんぱく質合成だ~~~!

   rRNA+たんぱく質

 

   グリシン   セリン 👈 この名前って

 、、、新型コロナの変異型のアミノ酸の付加、、、

      新聞に出ていたの気が付いた??

    インド型はじめ、、、これからも、、、生れるでしょうね、、、


2回目は時間10分前に到着、スムースに終了

2021-07-07 06:57:17 | Weblog

1回目の時は、いろいろと考えすぎて

持ち物も多くて、予約時間の2時間前に、建物の外側から

書類に書き込む要領や、実施時間の10分前でないと

待合室の無いことなど聞いて、ほっと落ち着きました。

会場の近くの公園で、久々にゆったり過ごし

10分前に、建物に入れていただき、行列に加わりました。

 

2回目は、雨模様の天気なので、

近くの公園で一休みという訳にはゆかないので

4時30分に札幌駅へのバスに乗りました。

ガラガラの空間が多くて、

時間的に込まない時間なのですね。

 

東急のデパート前の終点でおりました。

2年近くデパートに行っていませんので、

一階のアーケードの華やかな夏の装いの通路は

気分転換になりました。

サッサ、、と歩きながらのデパートは

5分間の通過でも、、、

   買いたい、、、!、、の誘惑を

     ぐっとこらえられたのが、、、

       時間ぎりぎりに出たからでした。

 

しばらくは、

マーケット、コンビニ ドラッグストアーしか

行ってないという事は、、、

2回目のワクチンという、、、

   「なかば社会責任かな?」という

   国民の全体のcorona集団免疫に向けて協力すべきかな?

やっぱり、、命欲しいから、、、(^^!!!

 

自分だけは逃げないぞ、、、って

思いながらも

しないで済むのなら、、

、誰も受けたくはないが

札幌の、、、病院は副作用報告をネットでも見れるほど

細かく発表してくれたことが、

受ける側への、、、心の大サービスだと思った。

わかってて、、、肩が痛いかも、、、熱が出るかも、、

解っていて、、、自分で決めたんだ!!!

何だ坂,、こんな坂、、、私だって登れるウィ!We!We!We!

 

年寄りが、、、万一、、

   コロナにかかったら、

      天国行超特急という、、、

       孫子への責任の緊張も、、、

大卒までは、、、見届けたい!!、、、

オリンピックまで頑張るが、、、

    だんだん欲張りになってきます。

他人に

世話にならない身体を保ち、、、

生きてゆきたい!

それ以外の望みは目下見当たりません。

前の日まで、、、弁当作って

残りのご飯はおにぎりにして、、、

梅干し茶dy家を楽しみながら、、、

婆ちゃんは、、、寝たまま、、、

   起きてこなかったという、、、

     当たり前が、、、いかに難しく

1人で生まれて、、、

1人で死んで行き、、、

灰になって天地に戻る。

原子爆弾も、元素になるが、、、人間の最後は、、、灰。

やっぱり、、、coronaで葉死にたくありません。

見えないウイルスに、、、

人生の最後を持って行かれるなんて

  人間そのものが

   ウイルスの様な

     遺伝子と、たんぱく質と

        クエン酸、、〇×酸、、、

カルシュウム,、骨、、、、リン、、、火の玉、、、

 

植物だって、

有機化学のパッチワークみたいなものだし

、、Etc。

植物を、野草のまま庭で育てていると

動物より、、、

  戦い方が科学的で、、、

    ギョッとするときがある。

松の苗と

モミジの苗を、

同じ鉢植えで育てると

  スゴイ戦いの枝を伸ばし始める。

おまけに、、、竜虎相打つ鉢植えの中に

雑草もどきが生えて来ようモノならば、、、

   松も、モミジも、、、黙ってはいない!!!

地面すれすれに、、、

  雑草もどきの双葉のうちに

     光を遮り、、、光合成させないという、、、

頭が在るのか?、、

   無いのか?。。。

    天地の案山子か?おぬしは?

下枝を、、びっしり、、、歩兵のように伸ばし始める、、、

丁度、、、盆栽にされた松の木が

  髭根を、、、coronaもどきの様な円形になり

そのひげ根も、

coronaの何万とあるアミノ酸と結合するように

ミクロの科学のエッセンスを、、、

ヨハ―ソンとパターソンの闘いのように

小さな鉢植えの中で、、、戦って見せてくれる。

視覚に視えるところだけではない

根の絡まりあいなんて、、、すごい!!!

    浅井、、、朝倉の、、、お城のように、、、

人間に、、、決して劣らない!!

  それどころか、、、成分も、、、生き残りをかけて

    生えたところで、、、調整して

     周りの植物の成長を妨げる方向に科学してゆく。

学生の頃、、「トリカブトの花に研究心をそそられた、、、:」

これは「白いトリカブトの花で、、、

今は無いが、、、若いころ、、育ててみたこともある。

トリカブトは紫の花が通例、、、普及していた。

北海道でも、、、

生け花用のトリカブトを

群生させているところがあった。

  なんで、、、ワクチンと、、、

植物のトリカブトが、、、

関係あるのかって?

 

繋がりは無いかもしれないが

リンゴの落ちるのを観て

ニュートンは万有引力を観た。

私なら、、、シメタ、、、落ちてきた、、、丸かじり!!

たった今までなっていたリンゴ、、、喰ったことある?

満足感で一日の幸せにしたかもしれない。

トリカブトは、、、喰えない!

   おひたしにしたら、、、死ぬぜよ!

全草に、、、毒がある、、、禁じ手の魔性の美しい花である。

 

この花が咲いているところを、、、山野で探索したことがある。

水の豊富な所にも在るが

北海道なら、、、海に面した山にも咲いていた。

富士山は、昭和の時代に行ったときは

トリカブトの群生が5合目のあたりに見えていた。

それから何年も経って、、

子育ても

たけなわの40歳になったころ

実に20年後に富士山に登った。

以前に観たトリカブトの群生は

イギリスのおもちゃの兵隊さんを、10メートルもずらして

整列させたのではないか?????と。。。

目を疑った。

トリカブトの花は、、、孫子、、ひ孫の誕生を借りて

移動して、、、歩くのでした。

おまけに、、、

生える場所によって、、

ほとんど,、、毒性が、、、少なくなって、、、

   猛毒ではなくなり、、、

漢方で、シュウジ、、、しやすくなるという事であるが、、、

肝心の薬効はどうなのだろうか??

ともかく、、、生える条件で、、、毒性がちがうという事を

「、、、そうですか。。。不思議ですね??」

黙って納得しないのが、、、

薬学漬けになった私の、、、ややこしい頭!

当時、、、どう薬科大学に

トリカブトについてかなり詳しい、、、

Bkyoujyu がいらっしゃった。

サンピラーの生薬学会などでも

北海道の学会には

いつもいらっしゃっていた中心の先生でした。

最終的にはさおの先生が化学式の図解入りで

私たちの様な、生薬学会のおばさんに説明してくれたのですが

ややこしいトリカブトの構造式の、、、

一部の突起に、、、メチル基とか、、、

いろんな原子団が付くと

毒性の強さが変わるというのですよね。

つまり、、、coronaというウイルスの骨格の

何番目かの突起に、、、

いろいろなアミノ酸がくっつくわけですよね

毒性の変わるトリカブトと同じにしては

まずいかもしれないが

リンゴが落ちた、、、!!!

   美味い!という人と、、、万有引力を考える人では

coronaの遺伝子と、、、スパイクや、、、アミノ酸の謎は

すでに、、、手の内にあると考えると、、、

日本の学者の中には

頭の中では、、、

ワクチンが創れている人もいるはずだと思えてくるのですよね。

変異型になるのは、、、これは条件ではなかろうか??

免疫と、coronaとの温かいのうちに、、、変異するのは

不思議ではないと思えてくるのですよね。

ITに考えさせると、、、面白い副作用の予想とか

抗原抗体反応の、、、パターンとか、、、

一杯出してくる時代とは違うんかいな??

ともかく、、、

データーの出きっていない

ワクチンの

ハッキリしていることは、、、

目下、、、

リスクより、、、

ワクチンから受ける恩恵が大きいという事ですよね。

ワクチンで、、、どうにかなってしまう身体なら

ほんまもんのcoronaにかかったら、、、

   あの世への直行便に乗ったのと同じになるさかの~~~

ワタシャ、、、納得して、、、2回目受けてきました。

いろいろあっても、、、アナㇷィラキシーさえ起きなければ

2回目の枠tンを受けたことは、、、

   私の心は、、、

「正解だと!!」結論付けて、、、ワクチンを受けました。

 

先生看護師さんの、連日の奮闘に感謝在るのみです。

又、2回目のワクチンを受けて、19時30分には

手稲駅について、、、

いつもよりは早めに帰宅する主人と合流し、

主人の勧めで、札幌駅から、、、

乗った事のない、、、天井の高い、、、窓の大きな

ハンサムの運転手さんのタクシーに乗れて、

何十年も、タクシーに乗らないうちに

駅前タクシーは、、、こんなに進化したことにびっくりしました。

電子マネーも、、OKだそうで、、、

家庭の主婦をしていると、、、どんなに、、、モノを知らないで

蚊帳の外に居て、、、

偉そうな事を言っているかがわかりますよね!!

主婦という立場は、、、

  誰も本気で聴いてはくれないけど、、、

     思ったことを日記に書くという、、、

        不思議なドレナージが在るんです、

長々と、、書きました、、、

2回目も、、、今のところ何でもないので、、、

      うれしくて、、、指が踊ってしまいました。

          

伊豆には息子が住んでいて、、、このたびの

熱海には、、、息子を訪ねるたびに行っていたので

身近な地域の露の災害に、、、

心から、、、驚きと、、、哀悼と、、、自衛隊のスピーディな

危険を顧みない土砂撤去に、、、

日本の国が守られていることに

北海道から、、、感謝しています。

息子は、、、タクシーの運転手さんが

梅雨時の道を心得ていて、、、一任して

タクシー移動して、、、無事だったことは、

明日も明後日も、、注意して移動して、

救急病院での役目を果たしてくれることを

願っています。

男の闘いは、、、すごいものがありますね。

土砂の撤去の限界の72時間という時間までには

危険の中のお仕事だったと思います。

日本は、、、大陸のプレートの交差点の様な島ですね。

富士山の様な、、、

活火山から、、、一拍休みに入った火山国で

火山灰のローム層の崩壊は、、、

どうやって守ればよういのでしょう??

伊豆は、父の母も若い時に勤めたところです。

熱海の「寛一お宮の物語」は

幼いころ父から聞きました。

息子が伊豆で働くようになってからは

熱海には、、、

その度に立より、、、

お土産を観て回るのが楽しかった。

マオウ美術館は山坂あがって、、、

確かに急な坂の上にありました。

あのあたりの澤は、、、急な坂道の別荘地で

私たちの様な、、、庶民には。。。

「伊豆山、、、手、、、素晴らしいながめだわね~」と

あこがれるだけで、、、住んでる人は

次元が違う社会でも、要人に違いないわね、、、と

北海道からは、又一味、、、違って見える眺望の伊豆山でした。

心から、、残念な気がします。

被害に遭われt方には、心から哀悼の意を表して、、、

富士山も愛する山ですから、、、なんとか

これからの災害に備えて

日本の

宝物の一つである

風光明媚な地区の復活を祈るのみです。

 

 

 

 

さて、、、接種の、、、2回目の話から

日記帳というのは、、、

    自分勝手に、、

      、思う事に話が飛んでしまいます。

接種は、

一緒に生きる者への集団免疫をつくるプロセスだから

、、、なかば、、、義務だと、、、潔く思います。

心から、納得して、、、

受けることにしたのは、、、

    結構,、、最近の話です。

      享けると決めていながら、、、

       深夜になると、、、

   77歳の歳というのは、、、自分を信じるのは

        ためらう事もある年齢です。

思い切って、、、デパートの前が終点という

駅前行きのバスを選んで

   大正解でした。

     接種2回目を控え、、、

       信憑性のいまいちな、、、TVの

        医寮には素人の

         半可通なコメンテーターの

       副作用報告の、自分的意見を聞いていると

        最もな違憲だとは思いますが

         「有意の数字」かどうか、、、

        出どころや、、、選んだ年代層や

         合併症のあるなしや、、、

       条件は多岐にわたると思います。

 

それだけに、集団ワクチンを実施した病院の

   医師会向けの副作用報告などが

   ネットでも見れるので、、、

     私は今回のcoronaに関しては

   専門家の意見以外は、、、左右されないように

    心がけて居rます。

正しく、、恐れるという事に、、、尽きることだと

     自分自身に言い聞かせています。

 

今回のさりげない、、、早すぎる帰宅の主人も

   亭主、、、というよりは、、、

医師として行動しているのが

長年の付き合いで解ります。

「1回目が平気だから、、、

いつもどうり、

自分の仕事のスケジュールで

動いてください、

私は、自分で接種を決めたのですから

   どんなことも、、、自分で責任をとりますから、、、

 

言ってあったのですが、、、

   自分が2回目のワクチン接種後に使った

シップの残りを持って来てくれて、

坐骨神経痛の痛みも和らぎ

安眠できました。

坐骨神経痛であると、、、思っているだけで、

実は、感染症の専門の医師のサイトの副作用報告には

右足に、一例であるが、「マヒ」があったと書いてあった。

 

副作用か、、、どうかは、、、?

判定は難しいですが、、、

筋肉にサポーターを撒くと、、、

逆に、、血行障害の様な痛みが来ました。

 

自宅について、、、右足だけではあるが

   足首,、、ふくらはぎ  膝、、、大腿の

   わっかになったsupporterをはずすと  

     痛みが噴出し、

       マッサージをかけてから、

        坐骨の周りから

         大腿にかけて

          シップをしました。

      痛みが楽になって

        爆睡して、

      翌朝5時に起きた時には

       接種に行ったときの衣類など、

      帰宅すぐに熱湯につけてあったものを洗濯して

       洗濯機が回っている間に

         日記をつけています。

薬も、副作用も、、、

    プラセボ効果に類似する

       精神作用があるのではなかろうか

 

       グラグラにすると言う

        女性の、緊張心を、、、ルンルンにする

   たった、、、5分の

     アーケードの様なフロアーって

        リラックスな気持ちになった事。

     異次元治療になった事、

 

、海底の大きな魚の口もとで揺れる餌もどきの

        魅力に負けた小魚は

          目にもとまらぬ早業で

             エスカレーターで

    巨大な魚の腹の中に入ってしまうのかもしれません。

 

巨大な魚の腹のなかと違って

デパートは、、、時間を忘れて、、、

年齢不問の、、、シンデレラにしてくれますからね。

     楽しい、、お金の要らない、、、

 目からのサービスが

     享けられました・

    精神のウオーミングアップが出来たところで

 

    此処で、、、

     2回目のワクチンに遅れるようでは

     社会責任のとれない,、

       しんでれら、、レラ、、、m(--)m

 

まだまだ、、、生きる為の闘いは続きます。

  買い物は後にして観るだけ!、

   駅に直行、、、

   JRもバッチリ、、、

     小樽行きに乗れて

小雨になった歩道から

   真剣な気持ちに戻れて、来ました。

  緊張しすぎると、、、

 

    薬だって、、、プラセボ効果というのが在るから

  気分的なものが、、、

 

  副作用を強く感じることだってあるはず!

  1回目がなんとも無かったのだから、、、

 

   2回目は、、、我が胎内の抗体が

   しっかりと、、、免疫の兵隊を整列させて

       準備が出来ていて、、、

  本当のcoronaか、、、

     ワクチンの、

        coronaもどきかを見分けるだろう、、、!

 

   我が体であって、、、

     「抗体という主役頼み」の

       外野席の応援団長の気持で

          行列に加わりました。

 

36度2分、、、通過しました、、、

        ℃の体温。

医師の先生の問診を受けて、、

    一回目には特別の事が無かったことを報告して

        すんなりと、、、

       同じ左手に接種を受けてきました。

 

    15分間の会場待機を終えて、、、

 

        待機時間を過ごした証拠になる記録用紙を

      出口で、係に渡して

          駅に直行で向かいました。

 

        安心したのか、、、

          坐骨神経が痛み出して、

           これは、

           普段着装しない

    「supporterで締め付けたせいかもしれない」、、、と

       血液の巡回の悪さかもしれないと、、、

            あせるが、、、

             道端で、、、

           ジーンズを脱いで、

        サポーターをとるわけにもゆかず

 

      駅の階段を、、、

       エレベーターの密は避けて

         よたよたと、、、90歳の歩みで

          見晴らしの良い駅構内のベンチに就きました。

           

其処からは、電話連絡をとって

   syujin  to  matiawasete 

        タクシーで帰りました。

 

 

坐骨神経がイタカッタので、、、

   札幌駅から、

    老人料金で3千円ちょっとは

          大助かりでした。

   1人当たり1600円で、、、観光気分の夜の札幌

      南北に横断、、、

    2年前とは違って

   街のビルには、、、灯りが少ない、、、

   繁華街であるはずなのに、、、シャッターが閉まっている。

   澄川まで来ると、高架橋の下あたりから

   灯りがチラホラ、、、と女性のスカートが視える。

      広い高架下駐車場には2台の車、、、

 

    街は静かな住宅街の様な

   裸電球をつけている様なムード

 

      元気なタクシーに、、運よく乗れてラッキー

  近頃、始めた、、、天井の高い、、、窓の大きな

       素晴しいタクシーで、、、

         感謝感激でした。

       老人割引にしてくれました。

 

       世の中の暖かさですね。」

家に帰ってから、、、

   坐骨にシップを貼って

      後は爆睡しました。

 

      しらかわ夜舟も、、、朝に到着

    7日

     すっきりと、、、坐骨神経痛は治っている!!!

fudan ha 「 isyasikadekinai!!」,,,to ,,,

      「kajiwo tetudawanai ,,dannna」ga 

    「sodaigomi 」,,,ni  mieru toki mo atta ,,,

        isiha  isidake dekireba ,,,OK

           得難い、、坐骨神経の即刻痛み撤去を

          ツボ押しのわざと、シップで完了、、完治!

 

二回目のワクチンの後、

      早めに帰宅して

      私のアクシデントに備えてくれていることが、、、

        なんとなくわかった。

 

    坐骨神経痛の治し方が、、、すごい!!

        たった一日で、、、

     今朝は、、、びっこをひいていない私!。

主人は若い時は、大学を出るまでの40歳後半まで

  心房中隔欠損症などの、、、

心臓にできた穴を須佐具様な手術を執刀していた。

学位論文は循環器の分野の、バイパスの基礎実験で

    北大から、学位論文に対して博士号を授与されている。

 整形外科に先生にも

    知人や、尊敬する先生も居たことは知っていますが、

   循環器の分野の外科医が

     坐骨神経の痛烈に痛むのを

      わずかな時間で、治してしまう裏技があるとは

   今回はじめて、我が身を通して、、、助けられた、

    しかし、、、これが万一

     感染症の専門医のサイトの

        副作用報告にホームページにつながっていると」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         書いてあるように

      右足のまあ日の軽いものだとしたら

          

      

    おかげで爆睡で来た事が、、、

      一日経っても、、、特別な不自由な症状は無い。

   肩の痛みは、、、確かに。。。意識すると

    1回目よりは、、自覚する痛みがある。

 

     老年夫婦には、、、

     お互いが必要だと感じた事は

     2回目のワクチンを受けてきた、、、

      専門分野にうつつを抜かしていたのではなくて

     今日の不安を一気に消し去る実力があった事に

     今までの、、、置いてきぼりの、、、うやむやが

         許すぞ、、、って感じ。

 

肩が、、、確かに

1回目よりは、違和感があるから

ココ、、、10日間は、、、

家事も、不要不急はしないことにして、、、

、免疫君の応援をしたいと思っています。

カロナール(解熱剤)も、、、

    出番は無ければ良いのですが、、、

      体内で、、、coronaもどきと激戦するのですから

    熱ぐらいは出ても、、、当然かもしれないと

        一応用意しました。

      カロナール、、、アセトアミノフェン、、、

、、解熱剤は用意した方が安心で油断できそう!、、、と!

 

    こんなに日記を書く余裕があるのが、、、嬉しい!

 

     7月6日、、、生き残りに向けて、、、goー


2回目のワクチンを受ける準備

2021-07-06 03:25:44 | Weblog

幸いなことに、医療人接種として

  半年前には、主人の

ワクチン接種の  1回目ン状態を家庭内で観察できている。

接種後は、腕が痛いという事であったが

発熱も、アナㇷィラキシーショックも無かった。

次の日も、、、腕は痛いと言ってはいたが、、、

 

2回目のワクチン接種の時は

意回目の接種の場所よりも、

多少ではあるが、位地は上かげんの所に接種。

 

居回目と違うところは

  多少、、、違和感のある腕の痛さとか

   発熱もどきの,、、熱感とか、、、

   食べ物がパンとか  うどんとか

    消化の良い物ばかりを食していたという事です。

    弁当には、

      炊き立てのご飯と

         梅干の五パーセント塩分のものを

    ほぼほぼ、、、持って行くから

     後はヨーグルトやプリンなど、

    便秘にならないようなものを

     組み合わせて食べるように勧めている。

   通勤は早朝からいつものように、出かけていた。

 

    変わったことと言えば、、、?

   2度目の接種の前日は風呂に入って、

    よく眠った様子だったが

    2度目の接種後は

    10日ほど、、、風呂に入らないので

    蒸しタオルで

     頭から、脚まで

      手拭いとおしぼりを使って

     汗交じりの埃や、あかの素となる汚れの撤去で

    洗濯物が毎日出ていた。

  主人の勤務病院は、北大,医大、全国の私立医大

   研修医、 指導医、専門医、海外留学の先生方

    大きな組織で、学術と臨床が

    世界の評価の⑩以内に入っているのを

   本屋の雑誌で見たことがある。

 

  家内からすると、、、親しく出入りできるほど

   身近な存在ではなくて、

    藤棚の剪定をしていて

   脚立から落ちて、

  膝の下を切ってしまい

   創の中に砂や砂利がめり込んでしまい

    やむなく、、、救急車にお願いして

    主人の勤務する病院の救急外来に行って

      傷の手当てをしてもらったことがあった。

   頭にたんこぶが、、、が出来てしまって

    先生は「傷は見えるからよいですが

         頭の方が心配ですね、、、」

   画像をとって下さり、しばらく安静にして、

    タクシーで帰って来たことがありました。

   ちなみに、、、

     タクシー代は7000円ほどの

        距離の位地に有ります。

    「たまたま、、、晴天、、、救急が享けられた事は

      ラッキーでしたが、、、普段は、このようには

        スムースに行くとは限りませんから、、、」

私は運が良かったのですが、、、

  coronaの感染が始まってからは、、、

     救急車は 忙しすぎることがTVでもわかりますので

   不注意に、、、自宅で、、怪我をしても、

      行くところがないと思いますので、

        心から、、、注意して暮らす毎日です。

 

   今回は、病院の別棟の

     特設会場で、1回目の接種を受けていますので

            2回目は、、、緊張度合いが少なくて

            忘れ物は無いか?

 

     必要書類はそろっているか?

     敬老カードのバス券は、バックに入れたか?

     KITARAのJRカードは持ったか?

     ガラケーと言えども、救急連絡は果たせるので

      小ぶりで、目立たないガラケーをバックに入れた。

 

     2回目は、、、解熱剤を飲むことになるかもしれないし

     ロキソニンが使えるようになったそうで、、、

     筋肉痛が有っても、バッチリ、、、痛さ逃れの手段はある。

 

     病院では、事細かな接種後のデーターを

      公にしてくれているので

     ネットで観ていると、、、

        2回目の翌日までは

         家事をしなくても済むように

        パンなどをストックして

       米を焚いて、弁当を作る時に

      ついでに、握り飯を造り、冷凍しておくことにした。

      2回目接種の翌日から3日間は

       パンと、おにぎり、、、

        インスタントみそ汁など

       主人の為に、、、カンパンを用意した。

     「もし、、、副作用で筋肉痛がひどい時は

       自給自足で、、、頑張ってね!・」

         こういう気持ちですよね。

      さ~~~~、夜更かししないで寝よう!!

    睡眠が一番大切なことだから。

       おやすみなさい、、、、

     


昭和生まれの、、、勝気の功罪

2021-07-03 02:22:02 | Weblog

金持ち喧嘩せず、、、と言われる言葉を知っている?

喧嘩と戦争は、、、どこが違うかって?

個人的な価値観の違いや

評価の違いから

個人的な感情に移項して、

埒も無い摩擦が発端になるのが喧嘩だって?

そうなのかしらね~~~

 

喧嘩しながら成長してきた子供時代を振り返り

戦争という社会性のある闘争を知ったのは

社会科の授業や、日本史を通して

漠然と

「戦争という、、、大規模な権力争いを感じていた。」

足りない、、、物資、、、

不安。。。もっと安定して暮らしたい。

社会性を帯びてくると

権力、支配力、、、財力、、、等等、、

少しでも良い教育を受けたいとか、、、

 

人間社会も

   ゴリラの世界も 

      チンパンジーの世界も

野生動物の遺伝子が、そうさせるという、、、不思議?

     明日に続く、、、、

       ねむ~~~~い~~ZZZZZ...

   おはよー、、、さん、、、

 

戦中に生まれた

私も、、主人も、、、

金持ちと程遠い、、、戦後を生きてきた。

 

戦後の日本には

お金持ちが居なかった.

 

軍の最上官が東京裁判で

戦争責任をとって、、、、云々という授業を

社会科の先生は,、、話されていたのを思い出します。

 

戦争は

   個人や

     特定の人の責任や意志で

       始まってしまう現象なのでしょうか?

プロマスロックに誓いを立てた、、、

      法の下の新大陸も

インデアンの先住民族との戦いや

クンタキンテ、、、黒人のプライドの映画

人が人を奴隷にすると言う歴史があった。

 

ジョンウエインの西部劇、、、

二兆拳銃で、、、皆敵を撃ってしまう、、、映画!

ジョンウエインは大好きだけれど。。。

こんな映画を楽しんで観ている自分にあきれながら、、、

戦争の映画は、、、よく観る。

 

眼下の敵、、、ロバートミッチアムだったかな?

クルトュルゲンスのブルーの瞳には、、、まいりましたね!!

ゲリークーパーも、、、

たが為に鐘は鳴る、、、で

美人女優と、、、最高でしたね!!

 

あの俳優が、、、なんて言ったっけ、、、

ラストシーンが、、、カッコよかった!

 マリリンと共演したのもありましたっけネ!(^^

 

戦争は恐ろしい、、、

でも映画では戦争の関わった映画に

心がえぐられるほど、、、感動させられるのは

何故???なのでしょううか?

 

日本の映画はどうでしょうか??

腹切、、、切腹、、、

腹切、、、玉砕、、、

そして、、、

万歳岬から飛び込んでいく日本女性の姿には

人の目も気にならないで

涙がポロポロと、、、流れて、、、止まらなかった。

戦争を起こした人が居るのか?

戦争に巻き込まれてしまったのは、、、

人間もコロナのウイルスと同様で、、、感染させながら

世界大戦に、、、拡がってしまったのか?

 

アメリカ人で

理解できる人は居ないと思いますが

本心なのか、詭弁なのか、、、

戦いの本質の解る男子なら

先ごろのTVで語るアメリカ人の将校が

「原子爆弾は、、、戦争を終わらせるためだった、、、」

 

この発言をどのように理解したらよいのか、、、解りませんが

男性が戦争を必要と考えるなら

同じ社会的立場であれば

女性も、戦争を必要と考えるだろうか?

 

命をかけて、10か月、、、

自らの体内で子供を育てて

身体の形が変わる様な、出産を経験して

男の子を育てるとき、

 

闘うな、、、

喧嘩するなと教えることは出来ない。

 

未来に放たれた矢のように、

遠くまで飛べよと、、、

    エネルギーと時間をかけて

          応援は出来ても、

メビウスの輪のように、

 

親の生きる人生と、

     子供の生きる人生は、、、

       交叉していたのは、、、

          胎内での10か月だけ。

 

昭和生まれも、

大正生まれも、、

明治生まれの婆ちゃんも

  ひと昔前の、、、    女性は、

地球の役割の、、、大きさを

    感性でキャッチしていた。

感謝と

畏敬の念と,、

森羅万象、、、神のなせる技としか思えない

自然の恵みや偶然に、救われたり、、、

     生死の境に立たされたり

         狭い産道を通過してくる

     出産の経験をする。

    

天が、、、自然が用意してくれた

「子宮と胎盤」がやってくれる偉業に

  我が胎内を

    10か月の

       ホテル代わりに提供したのだと

          昭和生まれの日本女性のなかにも

         私自身の様な、、、

   本来あるべき、、、母性と言ったらよいのか、、、

     私が生んだ私の子供だというような、、、

     私物として溺愛できる

         捨て身の母性の欠落した女性もいる事は確かだ。

    本当に、、、出産の功労者は、、、

        胎盤だと思いませんか?

          子供を人間の子供まで体内で育てたのは

        胎盤ですよね、、、??

       私は四球というホテルを、、、

   胎盤にお貸ししただけかもしれません。

        

            子供に対する

       一体感を感じてない若いママも

          居る事だけは確かです。

      

最もわかりやすい原始の経験を通して

   女性は、「生命の誕生」という、、、

        「大仕事」にかかわるのですが、、、

          神様の魔法にかかっているのでしょうか?

 子供は、自分が育てて、自分が生んだのだと信じる。

      一方、、、

子育ての途中、

    チフスや、ジフテリアや、天然痘、、、

    中にはcoronaに類似した

       ウイルスで、子供を亡くした母親も居た。

 

昭和初期に生まれた日本の母親は

     富国徴兵政策のさなか

       出産と子育てが、、、

       お国の為の仕事だと

         義務であるかのような

           戦時下の時代を

         通過してきている。

         

     

   子供は自分が生んだんだから,、、

    自分の私物のように、

  子育てに明け暮れてゆく。

         

  あまりにも文化の違うアメリカに

 啓蒙されながらも、、、

    日本の、伝統と、

      アメリカナイズ、、、

          西洋文化、、、

        南半球の国々

      アフリカ、、、と

    世界の国々との交流の中から

   世界に足並みそろえて行けるように、

        全てにおいて、

   他民族の大切にしている事柄に気づき

    国際交流のイロハから、、、

       戦後っこは

七転び,、、八転び頑張った、

 

昭和生まれは

第二次世界大戦の終戦までを

原子爆弾の異次元の闘いの驚きの中で

戦争の時代を生きた。

 

資源も無い、小さな島国、

 

NHKで昭和時代に

「黄金の日々」という番組を見た・

栗原小巻は可愛い女優さんだった!

染五郎さんも、、、若いね~~~!

 

つい先ごろまで、、、鎖国をして

300年間も、、、

    巨大集落の様な

     御山のてっぺんには、、、

       殿さまが居た日本は

 

丁髷を落として、ザンギリ頭になったから

インターナショナル???、、、な考え方が

    出来るという脳ミソまでには

       程遠かったのを思い出す。

 

       でも、、、

   一人の青年の中にみえる

「世界に向いて目を向け始めた」脳の動きが

「人間の造った社会」を

グローバルに考え始めた、、、「目覚め」であり

 

coronaではないが、、、

人間も変異型が生き延びたのかもしれませんね。

   

   日本は原子爆弾を落とされて、、、

     士農工商どころか、、、人間が一瞬で

      元素になってしまったのですから、、、

       人間をやっていることすら、、、

         次元の違う、、、異次元の戦争で、

          日本の国土は焼土となりました。

無差別に、、人間も建物も,、、モノも、、、

      一瞬で、、、元素!!

 

       多くの兵隊さんも、、、

       学徒出陣で、、、未来ある学生さんも

       出陣していきました。

 

       そして、、、最後は、、、

       人間が爆弾を抱えて、、、特攻するという、、、

       人間を辞めなければ

        出来ないという次元の

         最後の一人まで、、、玉砕する、、、

     日本人の不可解な、、、大和魂の前には

       ルール違反の「原子爆弾」が

      問答無用の「人間の元素化」で

     日本の「アナログの考え方」が、

    科学によって、、、吹っ飛ばされてしまった。

 

   人間が人間でいることが、

 

   「個人的な信念?」

    身分も、性別も、国籍も、能力も

    自分勝手な分類で、、、

    身分を差別していた日常が

    男性も女性も、、、老人も若者も、、、建物も石物も

    植物も、動物も、、、一瞬で、、、元素化!!!

 

    ユダヤ人を悲劇に追いやったナチス!

    ヒットラーは人間の姿をした悪魔だと思った。

 

   このあたりから、、、原子爆弾という

   悪魔の兵器を、、、人間であるはずの科学者が作った。

    人間であるはずの、、、人々が

    日本の。広島と、長崎で、、、原子爆弾を投下させた。

 

    全人類に対して、、、問答無用の、、、元素に分解!

 

   戦争になっていない、、、

 

  ルール違反だと、、、

     地球も人類の愚かさに

       、、、どこまで、、、

        我儘な要求にエスカレートすれば

        人間は気が付くかと、、、

        地球が怒り始めた。

 

  とにかく、、、

    藪をつついて、、ヘビを出さないと

       満足しない、、、人間の性という、、、

     世代が代わる毎に、、、

      さらに、、月に行きたい。、

       竜宮へ、、

       火星へ、、、

       金星へと、、、、

   銀河系のほかに、、銀河系がああるのだ!

     文化、、、学門、、、科学、、、

      東大、、、オックスフォード

         ハーバード、、、   

   表向きのエリート大学や研究者というより、、、

 

     その中に、、、物理学者が居て

   一〇〇〇〇〇〇〇〇℃の、、、温度が作れた!!

         水素爆弾の出現、、、

   オッペンハイマーは、、、

    日本に落下させた原子爆弾が

     広島の空に「キノコ雲を造り、、、

       街は廃墟になった瞬間!!」

 

     物理学者として、、、

   実験は成功だと、、喜んだというTV放送を観ていて

   日本の気持も知らないで

     悪魔の実験が成功だと喜ぶような人材を

       人間社会では

         未来に適応する人間だと、、、

      認めてしまうのか?

   この事件の前には、

     戦犯になった人たちの、

      認識が、島国日本、、、

       ちいさなエネルギーしかなかった日本

      マッカーサーの言った言葉

 

     日本人は12歳だ!

 

 確かに、、、

    12歳という意味は多岐にわたって

       視点をかえれば

     鎖国から目覚めた日本に

 

    世界の合力、、、ベクトルが

     鳥瞰図のように、

   グローバルな視点で世界を把握することは

    無理であったことは、、、結果が示している

 

だから、、、私は、、、戦犯になった人たちを

  「戦犯」として裁くのには

アメリカという大人の前の12歳の日本人の中に

責任がとれる能力の人が、、、果たしていたのだろうか???

 

 人間を知る           

平和な未来を目指そうという

団塊の世代に押されて、、、

戦後の貧乏時代を

ガタガタになりながらも

新しい時代を受け入れていった。

 

戦前に産まれし者の、、、頑固さも

世代交代して

団塊の世代が、、、

日本人の勤勉さと

真摯な大和魂の遺伝子をどこかに潜ませ

DNAがadenineチミン グアニン シトシン

グリシン、、、セリン、、、

訳の解らない,、、リポゾームをいじくりまわして

コドンがどうした、、、アンチコドンがどうした、、、

coronaがどうしたという、、、

 目下、、、大事件にかかわるたんぱく質や、、、ウイルスや

TVでお馴染みの、、、rRNA  RNA,,,DNA

バリン  グリシン  イソロイシン  セリン

これらのタンパク質が、、、コロナウイルスの

何処にくっついたか、、、

どのタンパクとどれが入れ替わったか、、、

そんなことで、、、変異型がドンドンTVで放送されていますが

原子爆弾は

コロナウイルスのパンデミックどころではありません。

地域ごと,、、なくなって、全滅してしまうのですからね、、、

 

coronaも怖いし、、、何が潜んでいるのかと、、、

疑心暗鬼の毎日で、、、油断はしていませんが

 

原子爆弾の投下からも、、、復興を果して来た日本人は

きっと、、、どんなことにも負けないで

世界の平和を、地球丸ごと考えて、

全地球上の命あるものすべての共存共栄を

永遠のエネルギー、、、太陽のエネルギーの貯蔵庫として

地球のエネルギー不滅のサイクルに、、、

地球そのものを保存して

破壊しないようにして、、、

地球上から、、、本当の貧乏な国を出さないようにすることが

戦争を無くす方向の第一歩ではないでしょうか?

人類の世界平和を、、、被害に有った日本人が

その被害を知っている私たちの年代の日本人は

75歳を過ぎました。

 

世界中の国が世代交代してゆく中で

戦争の核戦争の怖さを語り

地球の生物こそが、、、地球上に、、、

本当の貧乏人を出さない

太陽のエネルギーの貯蔵庫であることを

NHKは、世界に、、、放送を続けてほしいと思いました。

 

団塊の世代の、、医学の分野で

   日本人が「CTって?何ですか?それ?」と

画像診断によって、手遅れのがんの手術と闘い続けた

一人の医師が、団塊の世代の者であったという

復興への頑張りが、coronaで起きる肺の画像なども

CTがしっかりとらえているのを観て

 

私という女性が、、賞を挙げられる立場に居るのなら

 

洗濯機とにも賞を、、、

CTを画像面で、

医師の診断に初期の段階で役立つ画像に

革新的な解像出来る画面に改良していった

東芝の研究陣と、画像のしぢうに日夜

がんセンターの廊下に寝泊まりした頑張り屋の弟に

賞をあげたい。「ありがとうで賞」を!!

 

coronaの肺の画像が、TVに出てくるたびに

明治生まれの

父の診療所に有った

初期のレントゲンを思い出すのです。

肺がんは初期の段階で、、、見つかっても

完治は難しいという事を聴きましたが

CTが出来る前は、、、外科の手術は

すでに手遅れになったがんに、精根尽き果てるまで

手術に工夫を凝らして、、、助けようと

医師の努力も空しく、、、手遅れになっていた症例に

父はがんセンターが出来た時には、学門と臨床の

コラボレーションできる理想の病院が出来ると

戦後の復興は、、、健康身体と、

がんの手遅れ手術を

    無くすことだと

      熱望していました。

その時から開発された画像診断のCTやMRI や

ヘリカルCTが、、、coronaで重症になった患者さんの肺を

TV画面でお茶の間に魅せてくれた衝撃は

医療人は、、、政治家と葉また別の考えで

艱難辛苦に負けずに、、、診断の確かさに向かって

画像の改良と、生涯闘った医師の存在が居ることを

新聞で知ったとき

 

日本の復興という希望に向かって

ひたすら、平和な日常が戻るようにと、、、

手探りの青春時代だったように、、、振り返る。

弟も、、、その一人だったことを

日記に残しておきます。

 

原子爆弾で破壊する者、、、許せないと思います。

 

放射能を浴びて、、、「がん」になってゆく患者さんを

CT画像の改造で、、、一人一人の早期発見によって

手術の手遅れを無くし、、、命を引き留める

原子爆弾の破壊の後の、、医学の復興。

各分野の団塊の世代の復興は

世界の平和に向けて、日本から、発信してゆく。

スポーツだって、、

平和に向かって、人間の身体の美しい体操を通して

人間は、、、元素ではない、、、

生きている美しさが表現されている。

戦後の復興期の相撲界の巨人たち!

栃錦,、、若の花、、、

昭和平成時代には

東京都江戸川区小岩駅の構内に

   栃錦の像があったのを覚えている。

居間は実家が売られて,、、

帰える所が無くなってしまったが

父の開業していた医療施設の隣が

栃錦の家だった。

私が学生の頃、、、

力道山のオープンカーが

栃錦を訪ねて来ており、、、観に行ったことを思い出す。

たった今、、、昭和時代から、、、平成、、、令和と

相撲の世界の番組を観ていた。

日本の復興の時代は

相撲も、、、小学校の再建の寄付の為

栃錦の出身の小学校の校庭で、、、相撲大会があった!

昭和30年代の頃だったと、、、思うのですよね。

オオダチの巨体、、、朝潮のもみあげ

若秩父の塩撒きの華やかさ

鶴が海のだったかな?

小柄なのに、、、技の巧妙さにびっくりさせられた。

自宅から、、歩いて、、、下小岩しょうがこうに

相撲を観に行った、、、戦後の復興期、、、

相撲も、、、最高の、、、国技でしたよ!

太陽のエネルギーを受けて、地球は生きていますよね!!

地球のエネルギーの保存庫を

原子爆弾や、水素爆弾で破壊しなければ

地球丸ごと、、、

貧乏になる事は無いでしょう

 

お金持ちと、、、貧乏人、、、

各国で違う事だろう、、、ネ?

 

戦争は

多くの貧乏人を造ってしまったことも

確かだと振り返る。

 

徳川幕府に代わって、

明治時代が世界と繋がり始めて

外国との交流では、

ほとんどの日本人は戸惑うばかりだった事だろう、、、

 

第一次世界大戦、

第二次世界大戦、、、

日本という国が、鎖国時代から

明治になって、世界が見えてきた時代に

今まで目隠しされていた外交や

世界の文化の違い

何よりも、、、

国によってイデオロギーがちがうという事。

眠れる獅子と言われていた中国も

毛沢東の出現

偉大な文化芸術を残した帝政ロシアも

スターリンの革命

 

激動の時代があった。

 

そして第二次世界大戦の戦後の

ベトナム戦争の長い長い、、、苦難のトンネル。

 

このサイトは77歳を目前に

coronaの予防接種の

2度目を受けに行く前に

 

70年を振り返るという、、、

個人の私的な日記ですが

 

政治音痴なので、、、

戦争の誰がキーマンだとか、、、

戦犯者は誰だとか、、、

一切、、、解りませんので

若い時の思ったままの

    記憶をたどって書いています

蛇行してゆく日本を心から愛して、

子供や孫に時代は

地球丸ごと、、、共存共栄してゆくための

過去は貴重な記録であり

未来への、データーであると思いますよね、、、

coronaという

世界共通の敵が

   猛威を振るっていますが

      このリスクは

   未来の世界の国々と、、、日本の

      平和への導きに置き換えれれながら

 coronaが収束に向かうといいですね。

老人大国、、、言い換えれば、、、

団塊の世代が70歳に突入したわけですから

日本の復興を果して来た、、、

この世代の人々が

世代交代で、

戦争を知らない、、、孫の時代に突入します。

板子一枚、、、下地獄という、、、

時代の常識が

てんでんこに、、、理解される

、、、体験の無い新世代が始まります。

スマホを使いこなせない老人のSNSは蚊帳の外です。

「平和ボケ」した時代があった事は確かである。

大食い女性は、、、復興期には出会う事は無かった。

平和ボケの時代には、、、

食べ物も余って、、、

捨てる時代だったようですね?!

自然の恵み、季節の恵み、太陽がくれた素材

昭和38年頃の事です。

大学時代に、

新宿の辻クッキングスクールに通っていた。

その時の、献立カードは

日本の料理という、、、

鎖国がもたらしたのであろう、、、

日本の料理なのである。

味も、香りも、

実に日本の季節の旬の味であり

TVや画像に表現できない隠れた部分が

    料理の、、、命の様な

味わって、、、静かに、、、かみしめて・・・

香り付きの季節の旬が密にならに皿を舞台に

季節を詩歌のように食べ物で表した。

森羅万象,、に、、、感謝できるような

季節感があった事を記憶している、

 

それぞれ、、、人間は、、、

皆、、生きてゆかねばならないから、、、

激務に従事した後などは

おやすみなさい、、、

朝になってしまいました。

 

この続きは、、又考えるとにしましょう

2回目のワクチンを明後日受けるので、、、たぶん、、、

肩や腕に来るので、、、日記はお休みになりますが

皆さんのサイト巡りは楽しみのして

欠かさず拝見させていただける予定です。

コロナの閉じ籠りの日常で

家事の合間、TVのコマーシャルの時、、

洗濯機の回っている間、、サイトとのお付き合いの時間です。

出は、、、第2回ワクチンの

心の準備が出来ました。

書きまくった日記が、、、何かを楽にしてくれました。

Goosan、、、ありがとうございます。

    おやすみなさい、、、しばらく、、、ウオチャーになりますね!

立ち寄ってくださった方には、、、お付き合い感謝いたします。

   ありがとうございます。元気で、、戻ってきますね!