枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

今年の収穫?

2010年10月24日 | Weblog
 ひょんなことから、枇杷葉の話しになり、自宅にあるという樹を切った。ということを聞いて仰天した。思わず、採りにいきますから、分けてください。と言ってしまう。詳しく聴けば、窓から届く範囲を切った。と言うが、これから花芽が咲き出すというのに、もったいない。取り敢えずは、12月中に採りに伺うことにした。危なかったよ。枇杷葉を邪険に扱うなど、信じられないが、私がもらえるようになっていたのか?

 花芽茶を美味しいと言い、待ってくれているリエさんたちに送れるし、アトピーや花粉症への対応にもできる。神さまが与えてくださったのだ。感謝していただこう。今年は、何処で調達しようか思案していたので、救いの手を差し伸べてくれたのだ。ほんとうによかった。我が家の摘果で採れる花芽は、旧暦の12月だ。こちらは、実が生るようにしなくてはならず、寒さに向かう日々には多忙極まる。

 季節の旬。その時にしか採れない物や、味わいは、自然の中で戴きたい。先日は、Aさん家に水をもらいに行って、松茸ご飯にお吸い物と、天麩羅をご馳走になりました。こんな贅沢は、一生ないでしょう。つい貧乏人の感覚で、金額を計算してたじろぎました。愛猫が云うには、治療費と思っておきなさい。とのことで、ありがたく頂きましたが・・・。お粥を食べているというAさんですが、ちょこちょこ翳めて、甘いものを食べておられます。これくらいよかろう?知りません。

 とても不思議な話しを二つ。Aさんの息子さんのお嫁さん。お腹を触ってみたら、赤ん坊が微笑んでいるのが視えます。おまけに、指を口に銜えてしゃぶっています。それを触ったまま当人に話すと、受診した産院のモニターに映っていた。と、即答された。いや、驚いたのは私です。また、当人が産まれる子どもの話をされた。大きくなった子どもと、既に会っているのだそうです。それを聴いている私も、感じることができた。

 産まれておいで。みんな、待っているよ。語りかけていると、黒い大きな瞳で、見つめていたよ。Aさんに、その話しをすると、ひどく驚かれ、信じてはいないようだったが、言った私ですら怯んでいるんだわ。でも、当たるんだよねぇ。決して宝くじには当たらないのに、なんでだろうか?銀河が、屋敷中を走り周っていた。今日の速報で、地震が報じられていた。これも佳く当たるんだ。

 後の一つは電気屋さんです。ガラクタを片付けたり、家の周りを綺麗にしたらしい。通りすがりに感じる空気が変わった。最も、枇杷葉茶を続けて飲むよう、お願いしておいたが、やはり、ちょこっと飲めば治ったように、錯覚していた。まあそれでも、こんな風にわかるということは、不気味で恐怖感を抱くのだろうな。正直者が莫迦をみる。と言う典型。生まれながらの素質に、枇杷葉の波動が加わったもの。

 それなのに、私自身のことは、さっぱりわかりません。きっと、知る必要がないのかもしれませんが、神=宇宙の意思で生かされていればいい。その間に、私を、枇杷葉を必要とする誰かのために、役立てばいいのですから。感謝以外にはあり得ません。リエさん家の枇杷苗、元気に大きく育っているようで、安心しました。茗荷や生姜の冬越しには、スクモがいいんだよ。籾殻とも言います。近所にあるかな?

 枇杷葉から覗いた苞。まだまだ硬く、羽毛に包まれています。この状態は、10月中旬過ぎです。今は、かなり膨らんできています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする