枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

年末には早いが・・・

2010年10月30日 | Weblog
 今日、急に思い立って、フェンスの外を片付けた。夏に剪定し損なった木香バラも、伐ってあるので枯れ始めている。引っ張って鎌で小さく切る。蔦もフェンスに下がっているのは切った。リナリアの種がたくさん落ちて発芽している。スイトピーは出ていない。ちょっと残念だわ。やっている内に本気になり、小さな草まで抜く。曇っているので時間ははっきりしないが、夕方であろうか。止めよう。明日も仕事だし、と庭に周った。枇杷葉の枯れた葉を落とす。

 明日も、台風の影響で雨らしい。お天気が愚図ついているのは頂けないが、徐々に回復してくるだろう。洗濯物が乾かないので、除湿機をかけておく。宮部みゆきの『蒲生帝事件簿』これはタイムトラベラーの話。時間旅行者とも言い、闇の中を移動する。確かに明るくは無い。で、思うのね。私が視ている者は、もしかしてそういった類の者なのだろうか?実感の無い、気配を消した存在。考えるにそうである。

 感応する力があれば、その気配を感じれるのか?見えることへの恐怖も、そういったことなら理解できる。錯覚か?とも思うのだが、そうでもない。実際に体験すればわかるのだが、何とも不気味なんだ。注目されるような主役ではない。妙にリアルで、酷く重々しいのだ。その中に居る時には、とても体が軽いのに、そこから出たら、四方八方に引き裂かれるように重い。重力も引力さえないようだ。

 枇杷葉で力が増幅するのかな?それとも何かが、力を与えてくれるからか。いずれにしても、ひどく体力を使う。新月に向かっている時には、こういった負のちからになるのでしんどい。危険 危険・・・警告・警告。頭の中に赤や黄の点滅が始まる。これらが止まないのは、私の心中で避けたい想いがあるから。触れたくない気持ちが残っているから。言えば軽くなるの?いいえ、更なる負担になってしまう。

 生きているこの時点から、其処に往ければ伝えられなくても、自分を変えることが出来る。その事実に依って、未来の自分に警告できる。私が、守れなくて諦めたことも、云わなければ可能だったことも。今を生きることができるのだ。其処に私は降り立ちたい。だがしかし、これらの事実を、誰にも語らず、生きなければならない。その孤独に絶えられるのか心許無い。人間は弱く、残酷だ。

 ランタナ。まだたくさんの花を咲かせています。
コメント
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