暮れに黒豆を仕損じたので、寒水を使って戻し、煮ているのが出来上がった。旨い!何回も水を替えて煮立たせ、ストーブでじっくり茹でた。1週間かかった。1昨日、味付けをして口にしたら、豆がふわっとしていて、咽喉に蕩けこむ。
黒豆の汁は、咽喉によく、甘辛いのをスプーンで飲んだ。くふふ・・・美味しいです。イタリアに移住しているMさんは、マクロビオテックの料理研究者です。今年の年賀メールで、ひよこ豆を使っての味噌を作った由が書いてあった。
生協のチラシに載っていたので注文した。ほんにひよこの形です。だが、これだけでは少な過ぎる。後、何袋か買ってから、味噌にしよう。それこそ鬼に笑われる。豆の威力が如何ほどの物か、色々と試してみるのも悪くない。
がんこちゃんでも、ころ豆で鬼退治をしていた。豆は、魔力があると言うが、昔には畑の肉と云われ、健康を持続する工夫が隠されている。炒って臼で挽けば黄な粉に。一晩水に浸して鍋で茹で上げ、布で濾し苦汁を入れると、豆腐になる。
おからになり(卯の花)、揚げになり、皮は牛の餌になった。ゴミで出すなどとんでもない。豆を外した茎は、風呂焚きの焚き付けや、暖を取る焚き付けにもなった。祖母が作ってくれる豆腐の味には、今後出遭えることはない想いがする。
豆腐を作る祖母が、立ち上がる湯気に見え隠れする姿が、昨日のことのように浮かぶ。母も居たし、幼い頃の自分もいた。火鉢に炭がくべられ、乗せた座布団の傍で、猫のミケが丸くなっていた。寒がりの私は、ミケを押しのけ手をかざす。
祖母の綿入れのちゃんちゃんこは、古ぼけていたが、妙に暖かかった。豆腐を作ってしまうと、祖母に返さなくてはならない。その一時が心地よかった。土間でするので足元が冷たく、靴下を履いていても、しもやけになった。
南側の、ここ数年実が生る、長崎茂木の赤枇杷の花。この花が咲き出すと、冬が来たなぁ、と思う。