枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

春に向かう行事

2012年02月21日 | Weblog

 雪祭り、かまくらも、裸祭りにお水取りも、春を待つ行事ではある。そのためには、冬の間の仕度が要るのだ。数年前には、雪が足らないと騒ぎ、今年は豪雪の有様に嘆く。自然は決して、人間の思うようにはいかないのが当たり前。

 原発も、人間が造ってきた自然破壊の付け。電気が足らない、という建前も、本音で言えば儲けることしかない。現在は、2基が稼動のみで、世相に逆らえなくなって、点検の名目で停止。然し、これら54基の原発を、再稼動させてはならない。

 リエさんの紹介の本があった。孫が一人でも読め、私も読みたく思っていた。定価も千円札でお釣りが来る。大人の中には、電力会社に丸め込まれている者も、居なくはない筈。電気代が一番安いコストだと言う。

 風力発電は、羽の回る音が煩く、民家の密集した場所では不向きだし、火力発電は元手が大きい。水力に至っては、めんどくさいと。それでは自然を破壊するのはいいのか?さもあらん。要は、自分で行なう場合には、きれいで簡単な方を選ぶのだ。

 私には、何もなく、できることは限られている。けれども未来は、自分だけのものではない。資源は大切に使っても増えない。だが核燃料は、それらをうわまる膨大な歳月を、地下深く、或いは無人島で管理される。尚、危険は伴う。

 原発が稼動する毎に、残していくゴミが問題で、放射能をばらまくからだ。これが、空気中に分散されて、体内に取り込まれれば、内部被爆にいきつく。この一連の過程に対して、あらゆる保障をしても尚、電気代が安いのか?疑問である。

 原発の怖さを知らなかった過去から、知ってしまった今では、その意味合いは違う。専門の知識を持っていた人は、隠していた。研究費という賄賂を受理していた。知らぬが仏、と言うが、知らぬ奴らはほっとけであった。

 皆既月食の時間での変わりよう。寒かったので、防寒して観ていた。古人も観ていたであろう月のさまは、安倍の清明、藤原不比等、卑弥呼に及んで感慨深い。

コメント
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