市販のカレンダーも、旧暦の物を求めているが、何かもう一つ物足りない。赤穂浪士の討ち入りも、金色夜叉の寛一の涙も曇らない。何が違うのか?そこで、購読している新聞に載っていた、太陰太陽暦を取り寄せてみた。
歴史を遡ることが可能になり、赤穂浪士の討ち入りに、月がどんな状態であったかわかる。決して大袈裟ではなく、其処での状態がすんなりと頭に入ってくる。日本に古来からあった暦には、暮らしに根付く利点が多くあったのだ。
祖母の頭に入っていた旧暦は、農暦であり、生活暦でもあった。畑や田を耕す日や、種を蒔く日にち。或いは刈り入れの、同じく接木や剪定の日が、びっしりと書き込まれていたであろう。それらは迷うことなく、毎年決まっていて、その日にちは変わらなかった。
子ども頃には、何を於いてもすることが、不思議でならず、同時に煩わしかった。加えて、祖母のすることが訝しくもあり、怖くもあった。何にしろ、祖母の言うことは正確に当て嵌まり、一分の狂いも生じなかった。
周りを山々に囲まれた山村では、知恵と工夫がなければ、暮らしは成り立たなかった。雨が降ればそれに合った仕事が、晴れればそこに連なる作業が待っていた。家畜の世話も、人間の生活も同じであり、援けあっての暮らしであった。
祖母との想い出には、本意ではない気持ちも伴うが、そういったことも含めて、記録に残しておきたい思いが交差する。書き始めて200枚以上のままになっている小説を、新たに書き直さなければ。とも想う。母も父も居ず、祖母が亡くなって40年である。
それなのに何故か、小学校の低学年の記憶が鮮明に残る。悪戯ばかりして、いつも怒られていた。祖母は静かな人で、怒ることをしなかった。祖母の生き様が、母の人生や、父との確執に捉われていく。
秋の終いに咲く、ランタナ。七色変化とも言われ、可愛らしい花です。