枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

時を翔ける・・・

2012年03月25日 | Weblog

 夜空に、金星、木星、月が、時計の針で、5時を告げるように並んでいた。あまりの美しさに、思わず車を止めて携帯で撮る。民家の明かりよりも、美しく輝く金星に魅せられる。況して、月の洸は殊更に魂を奪う。

 知らずしらずに、体が浮かび上がっていき、夜空を翔けて往くような気持ちになる。自然への畏怖の念は、厳かなる瞬間への対峙にも似ている。或いは、過去に未来に向かう、その一瞬でもある。時を翔けることは、想い次第でもある。

 風が冷たく感じられる中を歩いていると、野鳥が囀っているのが耳に入る。雲の流れが速い。立ち止まって見あげるほどに、目が回りそうである。椿の花の蜜を吸いに来ているのか。賑やかなさえずりである。山鳩が梢から飛び立った。

 春なのに、この寒さには閉口する。花壇を見ると、ラッパ水仙が咲いていた。序曲はホルンの演奏だ。耳を傾けていると、その静かな調べが聴こえてくる。やがて大きく高らかに、力強く奏でられる。シンバルや太鼓も響き渡るのだ。

 春の下旬になると、今は未だ小さな枇杷の実も、青い色を大きくさせる。小指から親指程になる。5月の連休が明けてから、寒冷紗を外して袋かけをする。それまでは、どうなることやら見当もつかない。枇杷葉は寒さには弱いから、用心に越したことはない。

 高齢者の膝の痛みを見る都度に、枇杷葉と蒟蒻とで治療をしたくなる。冷暖房を切りたくなる。体は、冷やしたらいけない。暖房をかけての冷たい物も、できれば飲まぬのがいい。厠は近くなるし、歩けないから途中で失敗をする。悪循環の繰り返しである。

 独り暮らしでも、枇杷葉茶を飲んでいたり、温圧療法をしているならさして困ることもない。自分の逝き方への信念があるなら、もっといい。産まれたのが一人でなら、死ぬ時にも独りでいいようにも思うが。

 観葉植物の中でも、勢いがよく、とてもたくさんに増える。鉢で吊るしていたら、大きくなり過ぎるので、株分けをした。

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