東京浅草の鬼灯市。浅草は、リエさんの父上さまの、生まれ育った所。何だか、行ったこともないのに、酷く懐かしいのだ。御宿かわせみで、主人公のるいや東吾、嘉助にお吉らが、賑やかに話している声まで聴こえそうになる。
鬼の灯と書き、鬼灯とはよく云ったものだ。形や色が、何とも鬼に似合う。鬼だって、中には風流なのが居てよかろう。或いは、人間と暮したいのも居よう。それが風変わりなのかどうかはわからない。何せ、暮したことがないのだから。
苦しみや哀しみを抱えて、人は鬼に転じるのか。或いは、凄まじい想いが高じて、鬼になるのかは知らないが、自分をじっと見つめて、鬼になっていくのかも、とは思える。感情を押し殺して生きなければならなくなったら、鬼になるのか。
バッタが食事中である。大きくなってほしいと、手間隙かけていると、旨そうなのか齧られる。夕闇の迫る時間、2匹捕獲する。枇杷葉が葉を広げて繁っている。夏分には、さやさやと葉を揺らせる。ハンモックを吊りたい。自分でできないか。
ドクダミ茶は後味がすっきりしており。千振りも苦味が爽やか。個人的には、飲みたければ自分で作るが、何故に面倒なのか理解に苦しむ。薬缶に水を入れて沸かす。たったそれだけのこと。安心であり、健康的でもあると思うが。
水無月になると、梅雨が明けると言うが、成程と納得。文月までの間、植えた苗が地に根を張るのだ。新暦にはあまり意味のないことも、旧暦に直ればよくわかる。祖先が大切に守ってきた、自然との約束事がある。天地明察の如しだ。
明日は、プランターに植えているじゃが芋を掘ろう。収穫という程ではないが、どんな具合になっているか愉しみだ。青空市に李や野菜を買いに行く。我が家のは、木ばかり繁って、一向に実が生らぬ。年季が必要かもしれない。
友人がくれた山女の種を、庭のあちこちに蒔いておいた。運よく発芽した物で、現在は更に減った。自然の掟は実に厳しい。