元禄時代の昨日、殿中・松の廊下で、浅野内匠守が、吉良上野介に切りつけたのは、うっとうしい気温の、不安定な日中だった。平成では、肌寒い一日で震えこんだ。来客があるので、ストーブを点けた。リエさんに逢えずでは、と大事を取った。
昨夜は、冷え込みから体調不良になりかけたが、何とか凌いで復帰した。団地の副会長を仰せつかっていて、昨晩は会長さんと、子どもさんとが夕食を共にした。パソコンが使えるので、半分は安堵。会長さんの考えで、すればいいことを伝える。
知人に散らし寿しを作って持って行く。帰路、Aさん家に寄り、水を分けてもらう。最近は、枇杷葉茶を飲まれていないのか、それとも歳なのかは不明だが、捗々しくないようで愚痴が出ている。金銭的に困った時に、何かとお世話になったお礼も。
然しながら、枇杷葉茶を無理やりに飲ます訳にもいかない。どんな場合にも、本人の意思は大切だ。自分で決めてしなければ、治療の効果は現れない。またそこには信じることも不可欠で、諦めずに続ける、ひた向きさも必要なのだ。根気は必須。
子どもが朝、起きられない原因には、大人たちの配慮が要るのは必然的なこと。真夜中を過ぎての大騒ぎで、登校時間に間に合わないのは、誰が考えても分る。どんなに遅くとも、午後の10時には蒲団に居なければ。食生活もとても大切なこと。
そういった様々な要因が、上手く絡み合ってこそ、生活習慣は出来ていくのを、大人の気まぐれで処理しては、子どもの成長は危うい。父親も居なく、母親は入院中であれば、致し方ない状況かも知れぬが甘え過ぎにも。生きることは簡単ではないよ。
皆、事情は多々あって、一生懸命に生きているのだ。子どもを守って、育てていく心を失わずにやっている。子育てに正解はなく、手探りでもあるもの。良し悪しも教えなければ、人様への迷惑もあるしで、親の立場は多面的でもある。親を見て育つ。
枇杷葉の初花芽だが、これは直径が2cm程の塊。それでも同じように開花して匂う。健気な律儀ものである。