枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

厭だと言おう

2020年08月05日 | Weblog
 嗽をするには塩で行うのが一番害がない。勤務していた時に病院から配布される化学物質に、少なからず違和感を持ち使用しなかった。咽喉の粘膜を傷めるだけでなく、内臓への影響にも著しい。臭いだけでも息苦しく辛い。誰にもに合う訳ではないので厭だと伝えていきたい。自然での暮らしには植物の影響が大きく、本日の記事にもあった樹教がいいなぁと思う次第だ。

 植物学の父と謂われる牧野富太郎博士は、地球上に命があるもの、宇宙の森羅万象を教えてもくれた。人間はそういった植物の命に頼り援けられて生きている。動物に魚にも鳥に由っても同じ事だ。また、目には見えないあらゆる菌にも、用途は異なれども生かされている。今回のコロナは或いは大切な物を消してしまったから、封印を解かれて広がっているのかも知れぬ。

 上京が何時の事やら不明だが、四国でなくても牧野富太郎博士にお遭いできる。何とお孫さんが管理されているようで、穴場としては申し分ない。文京区の万年筆屋さんも訪れたい。小石川療養所にも古川庭園も素敵です。東京には下町の情景が多く残ってもいるのが愉しい。吉良邸から泉岳寺まで徒歩で辿ったのは、流石に疲れてしまったが、皆で歩けて本望でしたね。

 ニュースに桑田次郎さんが亡くなっていたことが伝えられ、虫の知らせを感じていた。先日来片付けをしている内に、まぼろし探偵や月光仮面を視て厭な予感がしたものだった。主題歌を歌った克己しげるは愛人殺害で逮捕され懲役に服し既に亡いが、好きな作品であり宝物だ。原作者は平井和正で最後の場面での確執があったとか。エイトマンは永遠の恋人でもある。

 弁当配達を終え、銀行に寄って記帳をして帰宅する。昨日、途中止めになっていた前川さんの記事に目を通す。些細なことだが、子ども等が学ぶ環境というのは、どこの国に産まれようが住んで居ようが平等でなければならない。それなのに国籍の関係で学校に行けず学べないとは何故?奈良時代や平安時代の方が、意欲的な人材発掘をしており素晴らしいとは可笑しい。

 日本は、変だなぁ、それは違うよとか可笑しい、という気持ちを伝えられない不便さが罷り通る。それでいて、国会での神聖であり仕事をしている筈の議員が、居眠りやスマホをいじくるのを咎めない。減給でしょう!審議での人数確保だけに存在とは情けない。素質も何もない者等の集まりで決める施策の何と愚かしいことか。お坊ちゃんの遊べるスペースみたいな国会。

 マスクも生地に依っては感触が異なる。個人の感想ではあるが綿が好い。詰りは手拭いで、ガーゼのハンカチも肌触りがいいので、布のマスクでは感染は防げないと言われるが、混雑する場所には出て行かないので、ガードするには充分である。使い捨ての物は勿体なく買わず、可能な洗える素材での製作をしている。絹の布では滑るので工夫が要る。寒くなれば顔の保護。

 昨年のかな?金星と木星だったと思うが・・・惑星も星も光度がマイナスになるほど、明るさを極めていく。自然からの贈り物。
コメント
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