暑いのは分っており、冷房も点けてはいるが低温にしての換気だ。観葉植物やすばるにとっては、温度調整が重要になってくる。日々の庭の見守りもちょっと手を抜くと、蛾の幼虫が繁殖している。枇杷葉の苗に葉が無くなっていて気付いたのだが、葉裏に茶色の卵が無数にある。何時の間に…と思うが、きっと雨に祟られた時と、うだる暑さに産み付けたのだろう。
この数日、お酢の散布をしなければ、と思ってはいたのをだらけてしまっていた。草への除草剤さえ撒かぬのを安堵と勘違いしてもいた。雨にも注意していたのを忘れ、天気にうっかりとなってしまった。ウンカも通草に吸い付いていて、散布したら逃げて行く。バッタは動けなくなるので捕獲した。梔子が哀れに葉が消えている。無農薬の盲点を突かれてしまう。
弁当を作り届ける。出汁巻き卵が思いの外上手くいった。熱が十分に伝わっていないと失敗するのは知っているが、何時もは手順が悪くて慌ててしまうのだ。蒟蒻も牛肉を使いすき焼き風に炒めた。アスパラガスやトマト、茄子の煮浸しも入れる。あまり文句も無くやり易い方なので、こちらの好みで作れるのも有難い。珈琲ゼリーは濃い目がいいようで再挑戦を。
枇杷葉の苗を移植しているのが、葉を落としてしまって枯れたと思っていたのが、何と脇から小さな双葉を覗けている。これは白枇杷なので、貴重にしてやっと3年経ったものなのでほっとした。ところが今度は、動かしていない苗の方が葉枯した。比較的陽射しの当たらない場所にあるのだが、気温や諸事情で変化することに気づく。自然界はこうして交代をする。
昨夜は、午前零時を回った時点で眺めたが、数個に留まる。期待した分があったので、そういうものだと納得する。夏の大三角が見事だったし、こと座もわし座も白鳥座も煌きを増していて、流れ星だけではない宇宙を満喫させてくれた。特に、白鳥座の十字が殊更に美しく、ギリシャ神話でのゼウスの想いに馳せていった。后のヘラも相当に美人だが嫉妬深い。
文月になって多少の気温の変化はあるが、秋分の日までは暑さも引かぬだろう。それにしても、あちこちでのコンサート中止に、若者でなくたって失望感は大きい。無観客でやればとも言われるが、違うんだなぁ…。あの高揚感や生でこその醍醐味には遠く、かけ離れた感触の違和感に馴染めない。沢田研二さんには、ステージで遇えるからいいのよね、と呟く。
然し、コロナの現状況を押してまでの開催をとは思えず、DVDやCDでの我慢を続けている。コロナが終息する見通しは低く、クラスターの発生に繋がって行くので、危険を冒してまでには思わない。舞台も観劇が難しいいらしく、席を開けての上演だったりしているが何とも味気ない。観てくれる人等が居てこそのお芝居だと思える。いっそシールドを付けてに。
図書館で借りた本も読まねばとも思うのだが、樹木希林とオダギリジョーさんとの映画を観る。リリーフランキーさんの原作も読んだし、出演者の演技力にも二重丸の作品。庶民の日常って、意外とこんなものなのかも知れない。そんな素晴らしく出来の良い人間ばかりだと、社会は成り立たない気がする。どうでもいいようなことだから生きていけれるのかも。
駐車場から南を向いた場所。ライラックの白があったが、枇杷葉が育ってきて伐った。東側に登ってきた月の姿が。
この数日、お酢の散布をしなければ、と思ってはいたのをだらけてしまっていた。草への除草剤さえ撒かぬのを安堵と勘違いしてもいた。雨にも注意していたのを忘れ、天気にうっかりとなってしまった。ウンカも通草に吸い付いていて、散布したら逃げて行く。バッタは動けなくなるので捕獲した。梔子が哀れに葉が消えている。無農薬の盲点を突かれてしまう。
弁当を作り届ける。出汁巻き卵が思いの外上手くいった。熱が十分に伝わっていないと失敗するのは知っているが、何時もは手順が悪くて慌ててしまうのだ。蒟蒻も牛肉を使いすき焼き風に炒めた。アスパラガスやトマト、茄子の煮浸しも入れる。あまり文句も無くやり易い方なので、こちらの好みで作れるのも有難い。珈琲ゼリーは濃い目がいいようで再挑戦を。
枇杷葉の苗を移植しているのが、葉を落としてしまって枯れたと思っていたのが、何と脇から小さな双葉を覗けている。これは白枇杷なので、貴重にしてやっと3年経ったものなのでほっとした。ところが今度は、動かしていない苗の方が葉枯した。比較的陽射しの当たらない場所にあるのだが、気温や諸事情で変化することに気づく。自然界はこうして交代をする。
昨夜は、午前零時を回った時点で眺めたが、数個に留まる。期待した分があったので、そういうものだと納得する。夏の大三角が見事だったし、こと座もわし座も白鳥座も煌きを増していて、流れ星だけではない宇宙を満喫させてくれた。特に、白鳥座の十字が殊更に美しく、ギリシャ神話でのゼウスの想いに馳せていった。后のヘラも相当に美人だが嫉妬深い。
文月になって多少の気温の変化はあるが、秋分の日までは暑さも引かぬだろう。それにしても、あちこちでのコンサート中止に、若者でなくたって失望感は大きい。無観客でやればとも言われるが、違うんだなぁ…。あの高揚感や生でこその醍醐味には遠く、かけ離れた感触の違和感に馴染めない。沢田研二さんには、ステージで遇えるからいいのよね、と呟く。
然し、コロナの現状況を押してまでの開催をとは思えず、DVDやCDでの我慢を続けている。コロナが終息する見通しは低く、クラスターの発生に繋がって行くので、危険を冒してまでには思わない。舞台も観劇が難しいいらしく、席を開けての上演だったりしているが何とも味気ない。観てくれる人等が居てこそのお芝居だと思える。いっそシールドを付けてに。
図書館で借りた本も読まねばとも思うのだが、樹木希林とオダギリジョーさんとの映画を観る。リリーフランキーさんの原作も読んだし、出演者の演技力にも二重丸の作品。庶民の日常って、意外とこんなものなのかも知れない。そんな素晴らしく出来の良い人間ばかりだと、社会は成り立たない気がする。どうでもいいようなことだから生きていけれるのかも。
駐車場から南を向いた場所。ライラックの白があったが、枇杷葉が育ってきて伐った。東側に登ってきた月の姿が。