枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

台風の近づきに

2020年08月30日 | Weblog
 真夜中の宇宙の見事さに、このところずっと観ている。昨日よりは、台風の接近に伴うのか雲の澱みがある。流れ星も無理かな?と観あげていたら、ペルセウス座から中くらいのが流れた。あっと思う間で大きくもないが眼に留まる。AM1:10頃の事だ。火星を眺めたり、夏の大三角も西に大きく傾いたのを捉えながら中に入る。すばるは玄関先で待つ。

 で。その後は、宮部みゆきさんのあんじゅうを読み乍ら、明け方まで。新聞配達のバイクの音を聞いて眠る。従って起床したのはAM8時であった。朝食を頂きつつ、昨日から何回もかけて繋がらない電気屋に、もう一回掛けるが応答なし。DVDのリモコン操作が出来なくなったのと、湯沸かし器の水漏れが止まらない。やっと掛かってきて昼に寄るとか。

 正常な感覚の持ち主なら、自分のしでかしたことへの責任は元より、汚名を挽回するべくの手立てを考えるものではない?演説をすれば、こんな人たちには負けたくない。疑惑の説明をと問われれば、全て国民がどう受け取るかで逃げ躱す。他人事のような台詞ではないか。庶民の感情を焚きつけ真っ二つに裂いての迷走にさせる。これは言語道断・絶句。

 新聞記事にも因るのだろうが、我が家で購読しているのはまともな紙で、それ相応の分野の視点で載っている。読んでいて納得するのは無論の事だが、ここまで良くも悪くも回りが忖度してきたと呆れてしまう。頭に乗っているとしか思えない議案に、人数多数での通過は開いた口も塞がらない。即刻、議員を辞めてくれ。責任の追及を逃れる手立てはない。

 テレビを観ない理由にやらせがあるのだが、若い娘さんの亡くなった報道と、その番組の内容に不思議でならない。だって、偽証結婚みたいなことが、幾ら番組であるからと言って、直ぐにできますの?ギャラの問題やら必要性は分るが、突飛な事に思えて仕方がない。人間の欲望への、安易な方法にも考えがいってしまうのは、わたくしだけなのだろうか。

 死を選ぶにはその原因があり、誰にも相談できないことであったり、言うに云われぬ想いであるからこそ、悩み抜いての決断になるのではないか。調子の好い時には貰うことを断らず、反対に困っていても援けることには躊躇する。悪く言えば自分の命と引き換えで、相手のことを想いやれますか?生きるのもしんどいし、死ぬにも彷徨うことが多くある。

 人間の心の中には、愛がある。でもその愛には、綺麗なことばかりではない。却って残虐な想いが絡んで来ての愛もある。宮部みゆき作品を読み返しながら深い想いに馳せる。言葉で記してくれれば判ることも、感情だけでは理解し難いもので、だからこそ誤解が生じるのだ。今も昔も人間の遣っていることには大差はない。あるのは機械の介入くらいか。

 地球には、人間だけが棲むのではないと、誰しもが知っていても分かり合うには困難でもある。同じ哺乳類でも家畜となれば、昆虫や鳥類に魚類ともなれば尚更で言葉が通じない。アダムとイブがエデンの園を追われて、ノアに繋がりソロモンを経て今に至るが、人類の行いは複雑に判じていくばかりだ。素直で清らかな者は最早存在さえしていない。

 枇杷葉への袋掛けは、最初の内こそ100枚にも至らなかったが、昨今、多い時には700近く掛けることもあり。
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