枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

朝立ちに焦らず、汗は引く

2023年06月29日 | Weblog
 今朝は天気となり、布団干しは怪しく思えて押し入れに仕舞う。予感的中で、枇杷の収穫しながらの頭上から朝立ちとなった。あ・眩暈が…脚立から、落ちませんが用心し袋を外していく。何枚も袋は破かれ、実が落ち種も散乱しているのは夕方に鴉が騒がしかったわ。自然への恩恵に感謝であり、分けるのは当たり前。

 今日には樹から袋を全部採りたいのだが、夕方にしよう。昼間には暑くて倒れますので、室内から出ません。枇杷葉茶のお陰であると明確なことに、今年の梅雨独特の不快さが失せて汗は出るものの冷房までは至らず。冷暖房設置も、留守中にすばるが衰弱してとのこと。仕事を辞めたから、網戸風が心地よく過ごせる。

 玄関出入り口に植えての梔子が、咲きだし香る。紫陽花は満開で、苗を送って下さったのは梅雨の季節に着いたようで一安心。ベゴニアは挿し芽でどんどん増えていき、根が出たのを植える為花篭に。オリズルランも、増殖中で花を咲かせては弦を伸ばせる。わたくしは、出不精なので身長が縮みどんどん痩せていくが。

 枇杷葉の摩訶不思議に気づいたのは、旧知の友が病に倒れた時。勤務先に行き、先ずは掃除をしていると女人が必ず現れた。その芳香や楽の音は、殿上人の兆しでもあった記憶が大きい。似ているが…もしやとの想いに捉われ、連絡をしたら入院中。虹の懸かった天に上がっての日、釈迦三尊の姿に遭遇し西を観上げた。

 その時の光景は、今でも鮮やかに瞳に甦ってくる。最上段にはお釈迦さま、左右には観音さま帝釈天と広がる仏界の蒼々たる面々が居並ぶ。金色に輝く眩さに、車で行き来の誰も気づかず。西の方角に何も視えてないのか?身体を包み込む楽の調べと、芳香に一人として。どうせ死ぬのではなく、生かされて逝くのだわ。
コメント (4)
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