年代を重ねれば、心身共に衰え動きも鈍くなるのは至極当然なこと。力仕事も、継続して行うのと中途や一気には無理が生じてしまう。人間関係や環境等は無関係ではなく、先行き不安から心の均整を失い方向も定まらない。
年齢で気づき十年後を想定し、更にその先へと思考を繋げていくのは困難でもある。然しながら、刻は停まることはせずに齢を重ねること違わず。予測がつき実行できる案件なら、試していくことが肝心だと密かに施行した。
体力や気力は、気分で左右されるものの無くて困窮は資金だ。年金だけでの遣り繰りも個人の条件が異なり、一概に豊かとは言い難く何もしなくて過ごせる者は一握り。他人は自らと違うと認識し、同等の線上に置かない。
一日がどのようにあろうと、無事であれば佳。不平不満を云わず、自然への祈りと感謝があれば与えてもらえる。其れで充分と自ら律し戒め糺せる心根を持ちたいもの。言霊は、綺麗ごと非ず時を経て還るものと心する也。
医者に罹らないようにしたのも、其処に至るまでは瀕死の状態で自慢気そのもの。収入が途絶えた時、動きが取れなくてはどうするか。病の身体でなら、その手立てがなく二進も三進も行かずも他人の介入真平御免だわ。
枇杷葉も、一人・ひとりが納得しての方法であるならうれしいもの。個人差は否めなくあり、異なることも多く強制はできない。結果として上手く行けば佳し反対になれば手厳しいが、それもまた他人也と思え現状維持。
自然からの数多の訓え尽く伝え亘らせれば、お蔭なこと歓びに至れる。視え・聴こえ・文字を綴るは、心に機を懸け織れるを覚れるとも。