
自宅での自立度が高い方は、食べ物を粗末にせず、遣り繰りをするものだが、他人との集団生活を余儀なくしていると、動かないことで残すことになる。幾ら広いとは言えども、施設を建てる条件は決まっており、個人の空間となると幾らもない。
風呂もトイレも、食堂もあれば、お洒落をして出かける気もおきない。一日の単調な時間の流れの中で、三度の食事を口にするのは、好きな物なら兎も角、食欲が起きないのも無理からぬこと。自分から、食べたいと思わねば食欲は湧かないよ。
食事の栄養的なことは、あまり考えてはいないが、できる限り旬の材料を使い、刻みにしても見た目を損なわず食べてもらいたい。その場限りの思いつきでなく、研究して作れなければ意味がない。自宅で何度も失敗したのを、誰も知らないが。
美味しく、綺麗で、食べる気になるメニューを考えてほしい。給食委員であれば尚更だ。従来の献立はお年寄りに好まれる物、新しい物も多少は取り入れ、高齢者向けの味付けにしようとは思わぬか?下手な考え休むに似たりでは進歩がない。
学ぶことは、介護のことばかりではない。努力することも惜しまず、皆の笑顔がある、食事を楽しみにしてくれる施設にしたい。そのための隠れた研究を続けたいものだ。栄養委員ではないから、献立に口出しするな、と言うのは工夫が足りない。
珈琲の淹れ方も、その日の気分や、種類に依っても大きく違う。唯、諦めずに、美味しいのを淹れよう、と思うことと、加減を調節していけばいい。失敗ばかりではめげるが、気持ちを新たにして、淹れていけば、そこには心が通うだろう。信じよう。
枇杷葉の苞があちこち破れてき、その綻びから、白い花弁が覗いている。今年は、植えてある枇杷葉の殆んどに、花芽が付いている。ありがたことである。サンタ枇杷葉が風で傾いていた。軒下を越えたので、剪定しなければ、と思った矢先だ。
夏の庭に、植えたのをわすれていても、季節は廻るもの。日本の四季に、感謝しつつ愛でている。
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