枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧二十日正月

2020年02月13日 | Weblog
 天気も、晴れがあれば雨にもなるし、曇り空にもなるもの。自然の現象には、それぞれが意味を持ち、各々の成り立ちがある。天地創造で、光が溢れ闇と分け、風が出て水を離して、土を現わせた。言葉で書けば、実に簡単なことにも、重力があり質量や遠心力の働きで、岩に転じ山や海と陸に姿を変えた。地球の神話は国は違えど共通する。

 人類が、好き勝手を行い、神の存在を蔑ろにしてしまったから、言葉を増やして通じないようにされ、生活の異なる種族に変えた。地球は、誰のものでもなく、棲むものが感謝と祈りをしさえすれば恵みが施される。それを人間は満足しなくなって、争い殺し合った。そうして今尚、自国の主張を譲らない。何と愚かな行為であることだろう。

 自然のサイクルを狂わせてまで、人類は何をしたいのであろう。その行為には、自分達の棲む場所を、自ずと捨てていることに気づかぬ。天国も地獄も、己の心の中に併せ持つことで、自分で気づかねば神の声は聴こえない。マグダラのマリアを観ていて、これまでに心に重くあった疑問が解けた。姿は女であれども、人間には変わらないよ。

 不安定な夢を視てしまう。でも何か意味があるのだろう、とは思うのだが、混沌としていて不安を増すばかりで、更なる恐怖を生む。これが地球の苦しみであれば、哀しみに粉々になってしまいそうだ。修業が足らぬなぁとして自分を諫める。人間の業で、清廉潔白とは言いませんが、可能な限り嘘をつかず、謙虚でいたいものと思うのです。

 噓も方便という諺があるが、相手が困らないのが基本です。騙されたと怒るようでは、これは何かで傷つけてしまったことになる。でもやはり、嘘は、つかないのが前提です。国民を騙し混乱に陥っている国会には、唖然とするばかりですが。此処迄嘘を嘘で固めておいて、陽射しに晒せば、溶けていくのが当たり前です。そんなことも分らず。

 マスクは生産が追い付かないようで、何処に行っても無いようです。マスクオブZEROです。怪盗の呼び名であったようにも思うのですが、この際、手拭いを巻くか、鼠小僧のようにもするのはどうかな?何も、あの形でなくても好いように思う。要は、移さないこと、もらわないようにすればいいのだからね。仮面舞踏会でもやりましょうか。

 業務の中で掃除をしていて汗が噴き出した。暖房も消しての感染予防だが、一気に暑くなったのはどういうことだろう。自然現象に異変が起きているのも、何処かで狂ってきているのが解かる。厭な感じが抜けないので、地震が起きるのも、津波が襲うのも予測しておきたい。機械に頼って生活すると、避難生活で破綻してしまう。忍耐力を。

 宇宙の様子には、時間を知ることも、或いは明日の天気がどうかも分かる。流れ星にも遭えるよ。

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