
二十四節気 霜降 陰気深くなり、露は霜と化して、草木の葉は、黄変する。の意味で、霜降と言う。毎年、十月二十三日頃である。朝晩の冷え込みと、日中の気温の差が一段と開くこの頃ですね。温暖化で、除々に暖かくなりつつとは言え、四季のありがたさです。
先日から、湯たんぽを出すべく、用意はしているものの、急激な暑さに戻って、放置されています。こういった気象条件が重なると、思わぬ事態が発生して、世間の動きも転じる。国会は、其処に付け込んで、肝心な裁定を先延ばしに、或いは、うやむやにしてしまう。
新聞の紙面も、変わらなくてはならないが、何とか主要な事柄から、庶民の眼を外したい帰来があるような思惑が、胸の中に蟠る。政治には疎いが、これだけ庶民を莫迦に仕切った体たらくには、多額の金が絡んでいることをはっきりさせる。いつの時代にも同じだ。
物言えば唇寒し。の感があって、何かを書けば、四方八方からの攻撃に曝される。自由・平等を掲げながら、謂わば個人攻撃・虐め・ハラスメントそのもの。弱者が強者には、何も言えずにいた時代よりいいのかも知れないが、何か釈然としない。難しい世の中だね。
今年、著名人の多くが亡くなって、心の悼みが拭い去らない。何よりも、末吉暁子さんの居ないことに、深い哀しみを禁じ得ないもの。心の拠り所を失った感が強い。体調を崩す原因は、自分の健康管理ができていないのだが、精神的な影響の、何と大きなこと・・・
まあ、それだけの弱さでしかないのだが、色々と想い出が走馬灯の如く過ぎ去る。単なる感情の深さでしかないのかも、と考えてもみるが、繋がり方のも由るのかも。最後となった著作、にじいろドラゴンは、今店頭に並んでいる。少し多目に注文し、プレゼントしよう。
宇宙の変化に、気持ちが動くのは、自分を生み出してくれた、森羅万象に畏怖の念が宿るからだ。ご先祖さまに感謝。
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