枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

師走、三隣亡

2017年01月19日 | Weblog

 阪神大震災から、22年も経っていることに、軽い衝撃を覚える。月日は、待ってもくれないし、停まることもない。だが、記憶の底には、どんなに忘れたくても、鮮明に写る光景があり、その呪縛から逃れられない。人間の業であろうか、それとも運命なのか。

 哀しみが余りにも深過ぎて、生きること自体が判らなくなったり、何が真実なのか見極められないことになる。心が消えてしまう。冷たく暗い、辺りには何も見えず、自分さえあやふやで。其処から射してくる光に気づき、許の居場所に還るまでの時を経る。

 原発の恐ろしさを、この時に懸念していたら、東北の地震が津波を引き寄せても、福島の人々は、これ程までに苦しまなくてもよかった。危険をしっていながら、他人事のように隠蔽し、今尚小細工をしている。自然災害等ありはしない。人災に変わりない。

 日本の首相の、外国に金をばら撒き、嘘ばかりついている政策に呆れ果てるが、こちらが選ぼうにも、代わりがいない。わたくしたちに出来ることは何か?未来が素晴しいものにならなくてもいいから、ありきたりの暮らしでいいの。やさしい未来を約束して。

 宇宙を眺めていられる幸せ、其処に自分が存在することの意義。忘れてはいけない使命を、果たせるべく生きている。自然との共存と言うが、命との援けあいでもある。人間と言う生き物、小さな微生物との命、姿は違っているが、命には変わりないのだ。

 神の御心に依って、たまたま人間の姿になったが、或いはミジンコであったかも、爬虫類の分類になっていたかも知れず。皆、命を精一杯に生きている。人間だけが、自分だけの栄耀栄華を満喫しようとする。身分差別はないと言うが、何故諍いは起きる。

 命を与えられ、地上に降り、命を終えて元に還る。森羅万象の其処には、命の渦巻きが視える。光と闇とが入り乱れ、命の誕生を促す。人間にとっては摩訶不思議な処だが、他の生き物には、神秘な場所である。難しいことは考えず、真実を生きていく。

 冬の宇宙は、殊更に美しい。星が流れ、生きていることを悟る。人類が、私利私欲を捨て、自分勝手な争いを止めたら、地球は再生できるのだろうか?否時既に遅し。地球は、滅びのカウントダウンに入った。それでもその日まで、生きなければならない。

 つわ蕗。これは葉を、出来物の時に用いる。火でちょっと焙って揉み、患部に当てると膿が出てくる。蕗と同じで食せる。


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2 コメント

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お好きな方法で (アナザン・スター)
2017-01-20 01:06:15
花芽、着いたのですね。サンタさんからも、メールが届いていました。
雪で、湿っているので、数日は室内で乾燥させて、冷凍庫に保管してくださいね。
まだ、満開になっていないので、少しだけ採ったの。枇杷葉の花は、寒い時期に咲くんですよ。
お身体、お大事にね。
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花芽 (リエ)
2017-01-19 22:34:24
yuukoさん、花芽が届きました!
とってもいい匂いです。
わざわざ送ってくれてありがとうございました。
香りを楽しんでいます。
でも香りばかり吸っていないで、お茶で飲んだほうがいいですね。
それとも化粧水かな?
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