枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

農耕の民

2010年04月20日 | Weblog
 祖母は早起きだった。私が眠い目を擦って、ぼんやり布団の上に居ると、背負い籠に牛の餌の草を刈って来て、馬屋に居る牛に語りかけながら、押切で草を切っていた。背中を何時も丸めて、何かしらしていた。藁綯い、籠作り、草鞋作り、鶏の餌、猫や犬の餌。今の時期には、田の畦を設えていた。種蒔が始まるからだ。籾殻を焼いてすくもを作り、種を蒔いた上に被せる。苗が鳥に食べられないで出てくるように。

 然し夜は、頼まれ物をしない限りは、早く寝ていた。テレビはなかったし、ラジオも貴重な時代であった。テレビは、私が中学校になってから買ったが、滅多なことではつけなかった。遅くまで見ようにも、番組は限られていた。祖母の見る番組は、のど自慢と大相撲で、柏戸と大鵬、ことに横綱大鵬関の大ファンだった。今の大相撲はつまらない。思いっきり座布団を投げたくなる。

 祖母は手先が器用だった。その殆どを祖母は作っていた。その頃は、当然何処の家庭でもしていたが、祖母のやり方には、独特の工夫があって、食べ頃というのか、頃合いの計り方が絶妙だった。時期を逃さないのだ。またそういった自然の旬を、実によく知っていた。同時に、どんな物も、採り尽すということをしなかった。近所の人に教えると、根こそぎ取って来る。祖母は家族にも、決して軽はずみに教えなかった。

 祖母は、家族を信用しない。というよりも、自然を裏切らなかった。ように思える。人の口には戸板は立てられぬ。というように、いかなことでしゃべらないとも限らない。祖母さえ言わなければ、他に洩れることもないのだ。用心には越したことはない。野いちごの生る場所も、他の大人たちは邪魔にして刈ってしまう。しかし祖母は、其処だけは刈られないように、早朝に起きてしてしまう。仕事が増えるし手間には違いないのに。

 そりゃ、違うぞ。おまえのためではねぇ。野いちごは自然の恵みよ。わしらはそれを分けてもらうんじゃ。全部取ってしまうなら食べんでええ。祖母は、小さな虫にも分があるのだから、と何度も繰り返して言った。野いちごに群がるありんこを指で握り潰した時に、自分の命ならどうするか。とひどく淋しげだった。今なら祖母の眼の意味がわかる。

 イタチやテンのような動きの素早い物も、実によく知っていた。風が動くのだそうだ。蝙蝠の飛ぶ日も、時間も決まっていた。祖母はぴたりと言い当てるのだ。雨が降るのも、お天気が続くのも良く知っていた。空の雲の形や、石垣の苔の状態やらでわかるらしい。水の温度でもわかるらしく、水桶に汲んだ井戸水の水面を観ていることもあった。82歳の生涯を終えるまで、現役の百姓だった。

 イタチは鶏の血が好物で、金網の下の土を掘って潜り込む。金網を掘るのは、鶏も得意とするが、まさか自分達の危険が迫ることとは気づかない。せっせと餌のミミズを突いているのだ。ところが夜半になると、イタチは鶏を声も上げさせないで襲う。他の鶏が騒ぐ頃には敢え無い最後になっている。祖母が犬と鶏とのけたたましい叫びに起きてみれば、鶏は冷たくなっている始末。

 祖母は、小屋の回りに鳴子をつけたり、飼い犬を側に繋いだりしたが、結局はイタチごっこで、人間が油断した頃に悲劇は繰り返された。祖母が亡くなると、当然のことに鶏はいなくなった。イタチという動物は、ひょっとすると知能犯なのかもしれない。まあ最も、各家庭に鶏を飼っている方が珍しい時代になったが。

 淡路枇杷の心算で植えているが、葉の色や育ち方が遅い。う~む?これはもしかして、白枇杷ではないか?あの頃には、静岡の土肥の白枇杷を取り寄せた覚えがある。地植にしているんだが、どうかなぁ・・・。白枇杷って発育状態がよくわからない。温暖な気候を好むのはわかるんだが。我が家では無理かな。

 
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火星へ・・・

2010年04月19日 | Weblog
 人類が、火星に移住できたとして、一体どれだけが生き残れるのであろうか。最初に移住するのはスペースマンだろうか?ブラッドベリーの『ウは宇宙のウ』想う。それとも『火星年代記』か。実現には程遠い時間が流れるよ。我々の子々孫々、いやもっと年代を超えて。未知なる世界への挑戦を、人類は続けていくのだ。そうして、其処に残る人類が繁栄したとして、資源を食い尽くしていくだけに感じる。

 かなり悲観的。SFの読みすぎか?はたまた記憶の行き違いか?人間からみればエイリアンでも、相手からみれば食料。そういった残酷さには、人間は気づかないでいる。まあ現実としては、何も食べれなくなるから、有耶無耶にしてしまう。地球は壊れる寸前です。あちこちで悲鳴を上げている。人々よ、武器を捨てよ。心を解き放とう。このままだと地球の暴走は止められない。

 今日は、明るい内に帰宅する。ふと枇杷葉が気になって夕闇に眼を凝らす。新芽が霜にやられているよ。このところの寒さに、震え上がっている。芽が伸びないでいる。縮れて勢いがない。昨年も結構遅霜やら、雪が降ったりはしたが、4月までではなかったもんね。今年は虫が大量発生するか?それも青い物がなくなるほどに。天敵は、天道虫だが奇妙に消えてしまった。

 寒中に枇杷葉のエキスを吹いているが、どこまでの効果が出るかわかっていない。散布してわかったことは、ちょいと薄め方が少なかった。散布し終えて、枯れかけたのがあってのこと。枇杷葉には散布はしていない。海棠や梔子にした。杏、桑や李にもしたよ。李は、今年初めて花が咲いたから、成功したのです。大体が夜盗虫の幼虫退治です。

 今日、勤務先でとてもうれしいことがありました。母親の誕生日のお祝いに、息子さんが寄せ植を持って来られたのです。息子さんが帰られてから、「とても素敵な花ね。これはピンクのカラーよ。綺麗ねぇ」「うれしい!持って来てくれたん」顔中を笑顔にして、頬まで輝かせて興奮気味に話してくれた。普段はあまり言葉数がないのだけれど、とっておきの笑顔だった。一時軟らかでやさしい時間を過ごされて、待っていた甲斐があったというもの。

 毎日が時間に追いかけられるような気ばかりする。同じ事の繰り返しの中で、心が通い合えたらいい。とは思っているが、実際には何等できていないことが多い。人の心が如何に思うようにはならない。ということの証明を、日々思い知っている。何処かが、何かが違っているような気がしてならない。いくら言葉だけを言ってみても、空回りをしてばっかりに感じるのだ。この仕事には、答えがない。自分への課題でもあるのです。

 明日は休みです。雨と寒さにやられているので、庭をじっくり見て歩こう。海棠が散っているし、乙女椿も僅かになった。木香バラが咲いてくれるかしら。自然のサイクルが狂ってきているから、バラが蕾をつけられないでいる。キンギョ草も育っていない。鉈豆を植えるのには、霜の被害に注意しよう。

 枇杷葉の1枝にできた枇杷の実。小さな青い実です。これから2ヶ月後には熟れてきます。7月まで待って木で熟すと、甘酸っぱい味になりますよ。うまく熟れたら、リエさん送るからね。りささん、サンタさん。味見をしてみてね。
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月が観えない・・・

2010年04月18日 | Weblog

 今晩は、どうにか朧月夜が観えたが、このところ雨ばっかりで、月がない夜が多かったので、ほんとうにツキが流れてしまうよう感じた。久々の月に、何かほっとした。新聞にも暗いニュースが多いので、心の闇が広がっていくようにも思える。この地上に、必要のない人間は存在しない。けれども、心を閉ざしてしまうと、邪悪な者に魅入られるのだ。

 悪魔に非ず。片や天使かもしれない。何れも、その姿を人間に似せて、そこ彼処に居る。小説の中だけであろうか。いや、小説が現実であるのかもしれない。前世の約束事をして生まれし者、現世でその約束を果たせているのか?死して尚来世に、生まれ変わるならば、約束は果たせるのだろうか。誰との約束?何故しなければならなかった?

 Aさんは、誰かわからないのだけれど、とても高い処に一緒に居て、『そなたをあの場所に遣わそう。行きなさい』と、言われて生まれたような気がする。と言い、なんとも奇妙な感じがしたそうです。誰なのかははっきりせず、何となくぼうっとした感じがするのよ。あれは夢だったのかしら?あんたわかる?って、言われるのですが。う~ん・・・漠然としたことへの返事は、非常に困難を極めます。

 こうなってくると、やはり神は存在しているように思う。神の形を説明しようにも、言葉でなく、視覚の分野で、見えないものが視える。という謎なのです。怖いとか、恐ろしいとかいう感覚でもない。瞬間移動っていうの?気がついたら、其処に居たんだ。証拠ねぇ、ありません。体感というのかな?今以って、不思議な感情だった。心に感応するんだ。

 龍の姿を視た。というのも同じです。同時に、私が枇杷葉を薦めるのも、とても不思議な体験をしたからです。実家に行こうとして、何故か道に迷ってしまい、其処に龍が現れて乗せてくれた。顎というか、耳の裂けたところというのか、白い体毛が生えていて、硬くて痛そうに見えたのが、とても軟らかく温かでした。大きな樹の見える場所に降ろして、やさしい眼差しで見つめたのです。

 それが枇杷葉でした。ですから、私が触ったもの全ての枇杷葉が、不思議な力を持つのだと思うのです。また、その枇杷葉を邪まな心で使うと、たちまちにして結果が出る。反対に受け入れれば効果を発揮する。そんな気がいたしますね。私に、何故わかるのか、わかりませんが、心にふっと湧いてくるのです。その情景が浮かんでくるのです。

 人間の愚かしいところは、自分で決めて行なっているのに、都合が悪くなると、あなたが言ったから。と悪しざまに言う。相手を悪く言う前に、自分がそうしようとしたことを、考えてみなければ。ありのままを、自然に受け入れることって、真実ですからね。それはきっと自分に対して厳しいことでしょう。敢えてそうすることに依って、神の声が聴こえるよ。

 昨年の12月の花芽。ほんとうに鈴生りです。この花芽の上を摘んでお茶にします。1月に入ったら、霜除けをしましょう。農文協の『びわの絵本』を参考にしてもいいよ。とても分かり易く書いてあった。枇杷を作る人が増えていくといいね。

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混線状態・・・

2010年04月17日 | Weblog
 最近のPCの立ち上がりが遅い。その上に、やたらとあちこちに飛んで、データを増やしてくれる。机の上に重ね過ぎたかな?倒れる寸前か。まあ、できないことが突然可能にはならないとは思う。しかしそれにしても、『応答なし』が多すぎる。そろそろくたびれてきたのだろうか。う~ん。保障期間の5年を超えると、トラブルが増えるようになっているのか。

 機械に疎い者が、そもそもPCをいじろうなんて、野望に乗ってしまったことが間違いであった。原稿を手書きでなく、PCですれば、入力が凄く簡単だ。という台詞の裏に潜んでいた伏線に、気づいた時既に遅く、引くにひけない綱引きの片棒に、講習を受けたまではよかったんですがね。実際に使いこなせるまでには、頭痛のしっぱなしでしたよ。

 浜さん。その節にはいろいろと、大変お世話になりました。電話もかけないで、メールだけであれだけの回答をくださり、或いは、適切に初心者に分かるように教えていただき、ほんとうに感謝いたしておりますです。今度、何かでお会いすることがありましたら、改めてお礼をいたします。今日まで、一向に腕は上がりませんが、何とか更新を続けておれますのは、一重に浜さんのお蔭でございます。って、いつのことやらわかりませんが。

 今日は、やっと天気になった。とは言え、気温はあまり上昇しない。東京の方では雪だったらしい。フランス革命や、天保の危機以来の冷え込み。物価や政治の危機でもあるようです。政治も、新しいことへの挑戦はいいのですが、国民を抜きにしての独走は、明日に繋がっていきません。庶民の不安を煽ることは止めてくださいまし。

 明日も天気らしいが、仕事です。6連勤です。月末から来月にかけて大型連休らしい。所謂世間のですが。私はその連休中は仕事に出ます。普段はできない掃除をしたいのですよ。トイレの床、脱衣所の隅っこ。もお埃だらけで、梅雨に入る前にしておかないと、黴が蔓延ってしまうのよ。確かにね、優先順位はあるんですが、どうにも気になってしまうの。

 家事を手早く片付けるポイントは、毎日、きっちりしておくこと。後で、と言う気持ちがずれてしまう。誰も居ない状態ならいざ知らず、ある程度の人間が居るなら、隙間を縫ってしたり、作業がスムーズに片付くよう工夫を試みること。夜間は、ちょっとした音でも、とても大きく聴こえるから、掃除機は掛けられない。ところが雑巾を使っての床掃除はしないね。これはダイエットの基本なんだけど。お腹や太腿が痩せるんだよ。

 横着は肥満の元。自分の体を適当に使って、ダイエットはしましょう。動けば綺麗に痩せます。この頃は、あまり動かないので、太ってきました。ズボンのベルトがきついです。こういったときの運動に最適なのが、窓拭きです。立ってそのまま座る。座ったまま立ち上がる。これを繰り返して、窓ガラスはピカピカ、体は平均感覚が取れて背筋が伸びますよ。窓拭きの掃除には、枇杷茶をスプレーにいれて吹き付けてします。

 枇杷葉の種茶は甘いです。仄かに杏仁の香りがして、喉越しがとてもいい。疲労困憊していても、ぶっ倒れてしまわないのは、細胞が少しづつではあるが、再生していっている証拠です。自分の持っている、自然治癒能力に応じて、緩やかではあるけど治っていく。枇杷葉の大切なことは、そういった時間を大切に思うことと、信じて付き合っていくことです。

 1昨年の枇杷苗。自生の枇杷の種から芽が出たもの。体長は25cmほどです。小ぶりの鉢なので、12月に一回り大きいのに移植しようか。
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寒さ堪えて・・・

2010年04月16日 | Weblog
 日中の気温は上がらず、しかも雨が降り出した。寒さが身に堪える。懐炉をしてきてよかったよ。ほんっとに寒いんです。テレビのニュースで、雪があちこちに降った。と伝えています。野菜の値上がりは当然でしょうが、この寒さで苗が育たないのが困るだろうな。こういうのもある程度は予測がつくのです。旧暦を知っておれば、何十年に一度かは起きることで、今年はそういった、踏んだり蹴ったりの年にあたる。

 人間の、およそ人類の都合勝手には、地球はならない。というか、惑星連合の結託で、地球を守るか、人類を滅亡させるかの、選択を迫られているのではないか?って、誰にだろうか。神の意思にか・・・。ふ~ん、そうかも。そういえば今日、某テレビに『祝島』が出ていたなぁ。なんでもたった一人で30mもの長さの石垣を組んで、3段の棚田を作り上げた人が居たらしい。なんとも凄い執念です。

 言葉、というものの使い方。自分を中心とした場合。目上の方には、敬語を使います。或いは謙譲語ですね。でもこれは、よほどの地位のある方を除いては使いません。普通に話すと言いますが、これが結構難しい。特に最近の言葉の乱れには、思わず仰け反ってしまう。『お客さまの電話番号を頂けますか』即答しますね。『何のためにですか?NTTから電話番号は、お金を払って買っておりますので、差し上げる訳にはいきません』

 これによく似たのに、『お名前を頂けますか』内心で、『何であんたにやらなきゃならないの?』と笑いつつ、加賀美幸子アナか、広瀬久美子アナになって、説教をしたい衝動に駆られる。広辞苑を枕代わりにしててもいい。六法全書が読めなくてもいい。サラリーマンNEO!だけは観てね。NHKでここまでやる?というくらい面白い。最近、笑えることが少ないが、これは希少価値がありますね。がんばれ川上君!!

 おっしゃる。言われる。話される。普通は、言う、言われた、話した。丁寧に言おうとして、へんな日本語になっていることに気づかない。記録をしていく場合には、言ったことをそのまま書けばいいが、会話となると、自分と相手の立場を、考えなければならない。日常の生活に於いてで、日本語の勉強会ではないのだから、少々のことはいいではないか?という本音もあろう。でもね、日本人なのですから、美しい言葉、響きのある日本語を話したいものですね。

 小説を読んでいると、そういった言葉の美しさに出遭います。使っているひらがなや漢字に、人の心の奥の深さや、色の様々なバリエーションを、想い描くことがあります。草木の佇まいや、花の咲いている様も、季節によっては異なることが、作者の息吹と共に感じれるのです。無論、そういったことには、自然に培っていく知識がなければ、何等感動もしません。ベストセラーを、単に眺めた。というのに過ぎません。

 リエさんの小説。これは一つの物語の世界だね。実際に存在しているような感じがするんだ。ああ、そうだね。きっとあるよ!例え、創られているのであっても、始まりでもあるのだから。物語を紡ぐこと、その物語を読んでいくこと。縦糸と横糸の織り成す模様が、新たなる物語を紡いでいくんだね。そうして世界を生んでいく。小さな宇宙ができた。

 枇杷葉の真ん中の辺りです。木の太さは、さほどありません。実際、プランター仕立てです。ひょろひょろしていたので、こんなに育つとは思いませんでしたから。
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廻る季節に異変あり

2010年04月15日 | Weblog
 子どもの頃には、少々の寒さはものではなかった。明日の給食はなんだろう・ということくらい。宿題をするよりも、晩飯が気がかりであった。何時もの定番が出てくるのだが、それでも何等かの代わり映えを期待していた。ちぇ!筍かあぁ。木の芽和えに、筍の味噌汁。蕨と揚げの煮付けに、文句たらたらであった。今、母が作っていたことを、そのまましている自分に笑えてしまう。

 先日もらった筍を湯がいた。今晩、具を炊いておき、明日は筍ご飯にしよう。材料は、冷蔵庫の中にある物で作った。味がよければ食べれますよ。何より初物だし、旬の物ですからね。で、早速帰宅して作っておいた。今晩、仕掛ける時に具を入れれば出来上がり。最近は横着の手抜き加減ばっかりです。

 今晩は、あまりの寒さにストーブを点けました。腰が重だるいのです。腰痛になったら、今度は重症になりますからね。用心に越したことはありません。東北の方では雪が降っていますね。林檎の花は大丈夫かしらん?今年は冷害がひどくないといいです。連休辺りから、一気に暑くなりそう。それはそれでいいような気もしますが、自然の役割が変化して、突然変異や異変の連続に季節が空回りしそうです。

 枇杷葉茶をしっかり飲んでおいてくださいね。急変する体調や、季節に対しての対処策には、枇杷葉を賢く使って乗り切ってください。花粉症に効果があった。ということは、体調維持には役立っていた。という論より証拠。安心しきって止めないでおきましょう。継続は力なり。と言いますからね。その力の基本を、枇杷葉で培っておきましょうね。

 枇杷湯をされた方は、最も変化のあったかたです。角質が驚くほど取れたでしょう?勤務先で、皺がない。と誉めてくれた方に、リンパ線マッサージをちょいとしてあげました。触っただけでピリピリしたらしく、なんでなの?とびっくりされてしまった。それはね、毒素を出そうとしたのよ。でも、それ以上を聴いてはこなかったので。基、本気にしてなかったので、教えませんでした。

 霊験鮮か。とも言いますが、私にはそういった力があるのです。資格を取らなくても、神さまが与えてくれるのです。信じることで、力を得ることができる。但し、この力は自分には効きません。依って、無茶をすると壊れてしまう。危ない、危険感知ですね。皆してもらうのが当然のようにして、言ってくるんだけど、精神力には限度もある。パワーが低下しています。新月に入ったから充電できるよ。

 枇杷の種を使って、杏仁豆腐を作ってみてね。あの香りがいいんだよ。とってもいい匂いでしょ。種茶でできると思う。今度の休みには作ってみるね。種を摩り下ろしてもいいよ。ネットには検索したら載ってます。現代農業にあるよ。店頭に並んでいる枇杷は、この時期のはハウス物です。デパートに行けば、1箱(10~12個)が¥6000くらいかな?私は食べたことがないので、味の方はわかりません。

 昨年の枯れてしまった花芽です。寒さ対策を取らなかったので、霜の被害を受けました。花芽は12月が満開で、1月まではちらほらと咲いています。緩くでいいようなので、次回は袋をかけておこうと思います。
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寒さがぶりかえす

2010年04月14日 | Weblog
 今日は天気であったが、風は冷たかった。ほんとうに冷え込みが激しい。思わず冬眠態勢になりかける。あ・違った・・春眠です。最近は、縁側がなくなってきていて、ちょっとお茶をしよう。と言えば、応接間という按配です。でも、日溜りの縁側に於いてこそ、井戸端会議は重要なのであって、ちょいと雰囲気の異なる場所では、言葉が繋がらない。

 お互いが傍に居ないことの幸いで、嫁は姑の、姑は嫁の悪口を言い、夫は妻の悪口は言いませんが、妻は夫の不満を言うておる。しかしながら、聴こうと思えば、地獄耳でなくたって垣根越しに伝わる距離。お互い次の手を考え、作戦を練るというのんびりさ。いたちごっこではありませんが、一つのことにかまけてもおれなかった事情もある。

 枇杷葉茶がどこででも気軽に飲めて、普通のお茶の感覚で、メニューに載っているといいなあぁ。1杯が¥100くらいかな?珈琲カップの容量で入っていて。それともお代わり自由の飲み放題で¥100かしら。我が家で飲んでもらうとすれば、料金は要りません。遥々おいでいただくのですから、茶腹も10刻くらいは飲んでくださいまし。はい!遠慮なさらないでくださいね。

 枇杷葉茶を飲めば飲むほど、体調がよくなるようです。目眩が止まり、頭の重さと体のだるさがなくなり、夜半のトイレ回数が解消される。つまらないことに腹を立てていたのが、小首を傾げるほど不思議に思えだす。莫迦だと思っていた人が身近になり、利口に見えていた人は、どうしようもなく視えてきてしまう。

 お金は貯まる。贅肉は減る。新発見は体の異変で知り、知らず思わず快適な生活になっていく。枇杷葉茶暮らしは、奇跡の連続です。って言っても、自分の体質に合わなければ止めましょう。また、枇杷葉を信じられなければ、飲まないことです。そういう疑心暗鬼の気持ちが、枇杷葉の効果を半減します。弱り目に祟り目です。

 私の枇杷葉茶への薦めは、無駄を嫌い、お金のない人向きです。一攫千金を狙う人には効きません。藁にも縋る気持ちで、何処を頼るって、枇杷葉しかないでしょ!と言うような方向き。そうして飲むには、体調の変化が現れるまで、根気良く続けられる方です。途中で挫折。或いは、え?これって効くのか?などと疑うに非ず。枇杷葉は強気を助け、弱きも援ける成分なのですからね。

 枇杷葉茶を飲むには。山に行けば、野生の木があります。冬の時期に山に行き、持ち主に断って伐らせてもらいましょう。決して無断ではしないように。家の庭先にある場合は、必要で植えています。闇に紛れてすると捕まります。不法侵入或いは、窃盗の現行犯で逮捕されます。重々お気をつけてくださいね。手間・時間、年数はかかりますが、種から育てるのが最良の方法です。

 先週、携帯撮影した枇杷の実。小指大の大きさ(孫)。このまま育ってくれ、食べれる頃には、チャボの卵大の大きさかな?
 最近、とても多くの方のおいでに、びっくりしています。これだけたくさんの方が、枇杷葉茶を飲んでくださっているのか。と更に驚いています。ありがとうございます♥
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春は何処に・・・?

2010年04月13日 | Weblog
 休みである。張り切って・・・起きようとしたが、天気は悪いし、如何せん寒い。寒いのは嫌いだ。従って布団に潜る。でもまあ、いい加減起きないと、体の調子が狂ってしまう。洗濯だけはしておこう。乾かないのはわかっているが、置いておいてもきれいになる。というものでもなし。風があるから少しは乾くであろう。

 Aさんの家にお水を分けてもらいに行く。雨が本格的に降り出した。手当ても少しだけさせてもらう。帰宅して用事を済ませて孫を迎えに行く。雨は止んでいた。家に着いたら風が煽りだす。飛ばされなくてよかったよ。しかし寒い。どうにかならんのか?一体、おばけのお春さんは何処に行ったの?って、違うでしょ。桜は、その殆どが散ってしまった。というのに、春の欠片もチリヌルヲ?

 我が家のチューリップは、やっと咲き始めた。例年にはとっくに咲いている。今年は、海棠も遅かった。従って、満開です。温かいのか暑いのか、かと思えば、冷え込む寒さに辟易します。今日は、種茶と花芽茶を入れ替えました。仄かな香りが心地いいです。リエさんにも送ったのですが、AIちゃんの風邪はどうかしらね?元気が出るといいねぇ。

 リエさんのところは、枇杷葉茶も、花芽茶、種茶といろいろミックスして、飲んでくださっているようです。どんな飲み方がいい。という訳ではなく、自分の好みの飲み方でいい。まあ、それを見つけるのには、飲んでみないとわかりませんね。またお茶では飲めない。という方もおいでかも。そういった方には、枇杷酒や焼酎漬けの種もあります。

 枇杷葉は、これでないといけない。という方法ではなく、いろんなやり方でしてみてください。きっと自分に合ったやり方が見つかる。というものです。諦めないことや、試してみることを続けてくださいね。私が、ここに書いていることも、私のやり方であって、100人のやり方ではありません。同じ症状の方は、一人としていませんからね。

 自分に合った、自分だけの方法を、自分で見つけることですね。病気になるのではなく、病と向き合うことでもあります。枇杷葉を知ることもですが、自分を知ることでもあるのです。今現在の時代に、枇杷葉が屋敷の中に植えられている。という状況の家は、ご先祖が何かで病になっていたとか、医者の血筋であったりとか、で植えておられることが多いです。

 私の祖母は、漢方に詳しかったのですが、古い風習から屋敷内には植えていません。田舎のこと故かもしれません。枇杷葉の薬効は聞き知っており、家の近辺に植えておけばよかった。祖父は、癌で亡くなっています。流石の祖母も、枇杷葉が癌に対して、どう効くのかまでは知らなかった。と今更ながら思います。また、知ってはいても、傍についている者が、無智であれば伝わらなかった。

 早朝から遅くまで、祖父に代わって働く祖母が、付きっ切りにはなれなかった。無論、医者になど連れてはいけない。診せるお金もなかった。子沢山であったが、その子どもらは小さかった。祖母の心中は無念の思いであったろう。できるなら、私は往ってきたい。祖父を援けるのではなく、祖母の傍にいてあげたい。時空を超えて、枇杷葉の効力を伝えておきたい。と思うのですよ。

 昨年の、枇杷の袋かけ。リエさんには少しだけ送ったよ。祝島のと大きさは変わらなかったね。味は我が家のが美味しかった。と思うんだ。

 
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龍の翔日に

2010年04月12日 | Weblog
 二日続きの雨です。安物の靴は進水式をしました。でも、高い靴は仕事場には惜しい。などと言うておるから大洪水で、難儀をするのです。4月とは言え、こう寒くては泳ぐ気にもならん。かと言って、金槌故沈没する。そこで乗り物としては、ドラゴンがいい。宇宙を見上げれば。ほら!電光石火でやってくる。前足の踵の所に乗っていれば、雨はかからないし落っこちない。

 しかしだよ。龍と雨は、ワンセットになっているのもあって、頭の上におられると、霧雨はしょっちゅうです。にわか雨は何時もの如く。雷雨や、暴雨風雨は更にあらず。と言う有様になる。外だけなら構わないが、家の中にまで入ってくる場合もある。「ちょっとお。誰よ、座敷に噴水取り付けたのは?!」ってなことにもなり兼ねない。

 まあ、それも季節になれば、少々は我慢もできるが、梅雨時期と重なると、別の生き物の住まいに変わる可能性があって、ややこしいというものを越えてしまう。これは所謂、水龍です。ドラゴンにもいろいろあります。溶岩流に住んで居る、火口龍になると、マグマの熱を利用して、焼き芋やホットケーキを売っているかもしれない。いや違った。温泉卵だったかな?

 桜はソメイヨシノから、八重桜に変わっています。桃の花も終わりました。花梨の白い花がきれいですね。梨や林檎はまだですね。蜜柑はあまり好きではないのですが、花は白い可憐な花で好きですね。♪みかんの花が咲いている。思い出の路丘の道。はるかに見える青い海。お船が遠く霞んでる。山の子でしたから、海を見たことがなく、とても憧れていたんですが、小学校5年生の林間学校に参加して、あの塩水のべたつきにうんざりしてしまった。

 食べもので、あれが嫌い。これは厭。等と、好き嫌いを言える立場ではありませんが、魚は苦手です。肉も・・・。野菜の無農薬があったら、それで充分です。先日も、ほうれん草に塩だけで雑炊を作りましたが、シンプルで美味しい。化学調味料などを、どうして賑やかに入れるのでしょう?口の中から胃にかけて、ザラザラしませんかね?気がしれない。

 勤務先の栄養価の方は、皆さん個性がおありで。と思っていましたら、お肉を分けてあげるわ。とおっしゃられるので、すわ!入れ物を。と慌てましたら、贅肉の間違いでした。然し、10Kgなどと単位を言われても、細胞を体内に取り込むのにはどうやるの?きっと希少価値の高いお肉でしょうから、難しいと思うのよね。更に、鮮度もあるしな。加えて、合わなかったらどうよ?元に戻せるのでしょうか。ベニスの商人よか難問です。

 花見で浮かれていた付けが返ってきた。手洗い、嗽の徹底は何処に行ったの?こういった中途半端な時期こそ、危険が危ない。あちこちでマスク、それも咳き込んでいます。非常事態にならねばいいがな。私など、至極真面目そのもの。ずっと欠かしたことはありません。何って、枇杷葉茶での嗽です。家でも職場でも、莫迦みたいにやっております。のど飴もなめておるし、湯たんぽもしています。って、これは関係ないか?

 立春に咲いた、クリスマスローズ。澄んだローズ色が綺麗でした。
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枇杷に鶯来たりて

2010年04月11日 | Weblog
 今朝は体調もよく、腰痛もクリアしての出勤。弁当を作っていると、出窓の辺りで『ホ~ホケキョ・・・』あらま、なんというきれいな声。鶯である。花瓶の花を摘みに出ても逃げない。『ヶチョ、ケキョ』更に透き通った声音で囀る。ありがとう、よくきてくれたね!お礼を言うと、得意げに声を張り上げて聴かせる。実に見事な鳴き声であった。ひょっとして昨年も来てくれていたのだろうか?鳴き声に懐かしいものを、感じたよ。

 我が家の枇杷葉に限らず、傷ついたり怪我をしたり、病んだもの全てが集まる。カマキリも来る。カラスも雀もやって来る。そうして葉を啄ばんだり、体を休めたりしていく。エネルギーの充電をしていくのだ。自然界に於いては、じっとしている物には、危害を加えてはならない掟があるようだ。其処に自分の餌があっても、襲っては来ない。何故か、蛙は蛇に襲われない。

 人間だけが弱い者苛めをする。強い物へは立ち向かわず、自分よりも弱い者へと牙を剥くのだ。何という陰険さ。悪辣さであろうか。昔が良かった訳ではない。真の平等や差別の無い世界とは、何を指しているのだろうか。金では心は買えない。と言いつつも、手段や方法を選ばずになされている現実はどうか。真実も、権力も、嘘でさえも、あらゆることがお金でなされている。何処のどなたが、私財を叩いて、困っている人々の生活の面倒を、援助しているのだろうか?

 偉い方のなされていることは、国民の税金を見えないように吊り上げて、挙句は赤字になろうと、片腹痛い訳でなく、付けはまたしも国民に返してくれる。予算の金額が決まっているのだもの。穴埋めをすれば、何処かが埋まるが、あちこちが穴になる。子どもでもわかる理屈じゃない?極普通の庶民に、何を愉しみに生きよ、というのだろうか。甚だ疑問。

 特殊な仕事や、頭脳を持ち歩いている人は、案外少ない。そういった人は、他人に儲かっていることを吹聴しない。わかれば財産没収の矛先になるからだ。お金は自分で稼がなければならないが、最低限の仕事の保障が無くては困る。人間同士のいざこざで失職したくないが、相手を蹴飛ばしてまで、するだけの気力に欠けることもある。人間は、誰もが一番ではない。二番や三番、敢えて言えば、ビリが居てくれるから、上があるのですよ。

 自分だけが偉いのじゃない。そうね、あんたは偉いわよ。と認めてくれたり、譲ってくれるから、偉いんだと威張っていられるのよ。今日の英雄でも、明日のヒーローにはなれやしない。皆が居て、自分も同じなんだ。と思える心から、自然と上にいけるのじゃない?どんなものも基礎ができていなかったら崩れてしまう。昔のものが丈夫なのは、そういったところがしっかりできているから。技があるんだね。

 自分を創るのは、先ず親であり、兄弟や友人だね。地域の大人や、関わりあう人らで徐々に形成される。保育園や幼稚園、小学校、中学校。出会いと別れを繰り返して、更なる人間として成長させてもらう。年を重ねる毎に、人間として大きくなっていく。感謝するのは、そういった関わりのあった全ての人にだ。親が子を殺す。またはその反対をする。他人においては無差別な数字。

 枇杷茶には、末端における神経に至るまで、幾重にも包み込むバリアーで、心の安定を図ってくれる。でもそれは、望まなければできません。この地球に、人類が一人も居なくなってから、気づくのでしょうか?一体誰が・・・。知っているのは神のみですか?
 鶯の来ていた枇杷葉。
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