然し夜は、頼まれ物をしない限りは、早く寝ていた。テレビはなかったし、ラジオも貴重な時代であった。テレビは、私が中学校になってから買ったが、滅多なことではつけなかった。遅くまで見ようにも、番組は限られていた。祖母の見る番組は、のど自慢と大相撲で、柏戸と大鵬、ことに横綱大鵬関の大ファンだった。今の大相撲はつまらない。思いっきり座布団を投げたくなる。
祖母は手先が器用だった。その殆どを祖母は作っていた。その頃は、当然何処の家庭でもしていたが、祖母のやり方には、独特の工夫があって、食べ頃というのか、頃合いの計り方が絶妙だった。時期を逃さないのだ。またそういった自然の旬を、実によく知っていた。同時に、どんな物も、採り尽すということをしなかった。近所の人に教えると、根こそぎ取って来る。祖母は家族にも、決して軽はずみに教えなかった。
祖母は、家族を信用しない。というよりも、自然を裏切らなかった。ように思える。人の口には戸板は立てられぬ。というように、いかなことでしゃべらないとも限らない。祖母さえ言わなければ、他に洩れることもないのだ。用心には越したことはない。野いちごの生る場所も、他の大人たちは邪魔にして刈ってしまう。しかし祖母は、其処だけは刈られないように、早朝に起きてしてしまう。仕事が増えるし手間には違いないのに。
そりゃ、違うぞ。おまえのためではねぇ。野いちごは自然の恵みよ。わしらはそれを分けてもらうんじゃ。全部取ってしまうなら食べんでええ。祖母は、小さな虫にも分があるのだから、と何度も繰り返して言った。野いちごに群がるありんこを指で握り潰した時に、自分の命ならどうするか。とひどく淋しげだった。今なら祖母の眼の意味がわかる。
イタチやテンのような動きの素早い物も、実によく知っていた。風が動くのだそうだ。蝙蝠の飛ぶ日も、時間も決まっていた。祖母はぴたりと言い当てるのだ。雨が降るのも、お天気が続くのも良く知っていた。空の雲の形や、石垣の苔の状態やらでわかるらしい。水の温度でもわかるらしく、水桶に汲んだ井戸水の水面を観ていることもあった。82歳の生涯を終えるまで、現役の百姓だった。
イタチは鶏の血が好物で、金網の下の土を掘って潜り込む。金網を掘るのは、鶏も得意とするが、まさか自分達の危険が迫ることとは気づかない。せっせと餌のミミズを突いているのだ。ところが夜半になると、イタチは鶏を声も上げさせないで襲う。他の鶏が騒ぐ頃には敢え無い最後になっている。祖母が犬と鶏とのけたたましい叫びに起きてみれば、鶏は冷たくなっている始末。
祖母は、小屋の回りに鳴子をつけたり、飼い犬を側に繋いだりしたが、結局はイタチごっこで、人間が油断した頃に悲劇は繰り返された。祖母が亡くなると、当然のことに鶏はいなくなった。イタチという動物は、ひょっとすると知能犯なのかもしれない。まあ最も、各家庭に鶏を飼っている方が珍しい時代になったが。
淡路枇杷の心算で植えているが、葉の色や育ち方が遅い。う~む?これはもしかして、白枇杷ではないか?あの頃には、静岡の土肥の白枇杷を取り寄せた覚えがある。地植にしているんだが、どうかなぁ・・・。白枇杷って発育状態がよくわからない。温暖な気候を好むのはわかるんだが。我が家では無理かな。