枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

失われた記憶・・・

2017年01月21日 | Weblog

 認知症って、なんで起きるのか?素朴な疑問です。普通に生きていて、物忘れは仕方の無いことだが、すっぽりと記憶が抜けてしまう。役者は台詞を忘れ、歌手は歌えない。或いは、間違うこともある。でも、人間だもの、歳を重ねれば起きてくる現象でもある。

 有名人ではなく、普通の生活をし、ありきたりの日常で、自分の居場所が無くなったら、きっとすることが判らなくなる。単に、身体の機能が衰えるのとは違う。物を考えたり、自分の意思が働かなくなる。以前、何でもなく遣っていたことが何故か出来なくなる。

 加えて、新しいことに馴染めず、憶えていくことが困難になる。体力・気力の衰え、金銭的な不安にも因る。家族もなく、独りでいるのだけが原因とは思えないが、脳梗塞・脳溢血・脳血栓・くも膜下出血等の、脳の血管が切れると、半身不随や寝たきりになる。

 所詮、生きていることさえ奇跡に近い。と、想っている。交通機関さえ使えば、地球上のあらゆる場所に行ける。無論、金銭的なことは否めないが。個人的には、世界一周はしない。食べ物で困るのは明らかだし出不精なので。飛行機は落ちる。船は沈没する。

 タイムトラベルも、何度も繰り返せば、命への危険が増す。物質伝送機には、分子のレベルでの確信が持てない。歴史を学ぶのは愉しいが、研究の対象とすれば、手立ても必要となる。従って図書館での書籍の中に入り込む。此処から真実を探し掘り下げる。

 随分と横着な発想である。機械オンチの自分が、パソコンを使えるとは、想ってもみなかった。然も、ローマ字で打てるとは驚くばかり。そうして自分のブログを開設して日々続けている。文明の利器を使いこなしているのとは違うが、多面性を感謝するばかりだ。

 そろそろ、自分の遣りたい分野に還らなければ。パソコンが出来るようになったら、創作に役立つとおだてられ、つい調子にのって取ったものの、本業からは遠く離れてしまった。枇杷葉のことも書かねばだが、祖母のことを書きたかったのだ。仕事を減らそう。

 雪か、と思って外に出たら、雨になっていた。このところ暖かく、気持ちも油断している。こういう時に風邪を引く。千振は苦いが、医者に行かないとなると、これが最大の味方だ。あっ、思い出した。定期健診があるんだわ・・・、悪い処は、頭と性格なんだがなぁ。

 リエさん、ありがとうございます。足が未だ本調子で無いのに、況して寒くてしんどかったでしょう。ちゃんと届きました。リエさんの気持ちだけで、きっと受かると信じています。普通に、真面目に勉強をしていたらですが。風邪を引かないで、受験してほしいです。

 きらん草が、駐車場の隅っこに発芽していた。乳腺炎や、熱冷ましに効果がある。根の部分が苦く、よく洗って乾燥させておく。

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二十日正月、大寒・下弦

2017年01月20日 | Weblog

 二十四節気 大寒 万物を凍らせると、言われるほど、厳しい寒さを迎えるので、大寒と言う。毎年、一月二十日頃である。雪模様が天気表示に、多く見られるようになり、やっと冬の景色も本格的となってきた。それでも寛厳という、以前の寒さには程遠い。

 学校が休校になり、何処にも行けず、寒さに振るえていた子どもの頃。雪だるまを作り、雪合戦に興じた興奮等、記憶の中にあるだけで、何と暖かくなってしまったことか。室内で過ごすのも、まるで夏のような温度で、贅沢三昧が出来る。幸せかどうか否。

 そういう生活をひっくり返したのが、阪神大震災。冬の寒さに立ち向かうには、身体を変えて具えておかなければ、耐えることができない。便利で快適な物に頼っていると、無い物強請りをしなければならない悪循環。人間は弱いが知恵と勇気を持っている。

 枇杷湯には、消臭効果があり、身体を温め、殺菌作用もあって、続けていると水虫は消え、皮膚のかさつきや痒みも治まる。足湯だけでも効果はある。枇杷葉茶には、体内の汚れを取って血液を浄化する働きがあり、所謂脳障害を防ぐが症状の程度にも。

 枇杷葉の生葉は、患部に当てて治療するのも良い。更に、蒟蒻を温めて使用したり、焼酎で漬けたエキスを使うのも。効果の出方に差はあるものの、根気好く行うことに、自然治癒能力を高める。尤も、民間療法であるため、結果的には不解明なことも有。

 枇杷葉の花芽や、種にも、同様の効果がみられる。また、アロマ効果もあり、心身への影響は大きい。自律神経失調症には、心を穏やかにする働きがあり、平静を保てる状態が続く。但し、研究の結果的なデータは、個人別の口コミでしかなく、本人次第だ。

 枇杷葉、というのよりも、自然からもらえるエネルギーかもしれない。命は、どんな小さな物にも存在する。自分に合った方法での、心身を鍛えることをすればいい。何をしなければ、というのではなく、ありのままを受け入れることから初めて。やる気も必要だ。

 勤務を終えて、帰宅するべく愛車に乗ったら、吹雪と遭遇。雪女の出現であるのか、瞬く間に、金星の姿が消えた。束の間、速度を落としながら帰宅した。明日は、どうなるかな?早出勤務に、泊まりに行くか・・・。晩ご飯を食べ、通草酒を戴きつつ考えている。

 月が雲の中から・・・。日本の四季、月の満ち欠け、天気次第ではあるが、何と様々な月が観られることか。

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師走、三隣亡

2017年01月19日 | Weblog

 阪神大震災から、22年も経っていることに、軽い衝撃を覚える。月日は、待ってもくれないし、停まることもない。だが、記憶の底には、どんなに忘れたくても、鮮明に写る光景があり、その呪縛から逃れられない。人間の業であろうか、それとも運命なのか。

 哀しみが余りにも深過ぎて、生きること自体が判らなくなったり、何が真実なのか見極められないことになる。心が消えてしまう。冷たく暗い、辺りには何も見えず、自分さえあやふやで。其処から射してくる光に気づき、許の居場所に還るまでの時を経る。

 原発の恐ろしさを、この時に懸念していたら、東北の地震が津波を引き寄せても、福島の人々は、これ程までに苦しまなくてもよかった。危険をしっていながら、他人事のように隠蔽し、今尚小細工をしている。自然災害等ありはしない。人災に変わりない。

 日本の首相の、外国に金をばら撒き、嘘ばかりついている政策に呆れ果てるが、こちらが選ぼうにも、代わりがいない。わたくしたちに出来ることは何か?未来が素晴しいものにならなくてもいいから、ありきたりの暮らしでいいの。やさしい未来を約束して。

 宇宙を眺めていられる幸せ、其処に自分が存在することの意義。忘れてはいけない使命を、果たせるべく生きている。自然との共存と言うが、命との援けあいでもある。人間と言う生き物、小さな微生物との命、姿は違っているが、命には変わりないのだ。

 神の御心に依って、たまたま人間の姿になったが、或いはミジンコであったかも、爬虫類の分類になっていたかも知れず。皆、命を精一杯に生きている。人間だけが、自分だけの栄耀栄華を満喫しようとする。身分差別はないと言うが、何故諍いは起きる。

 命を与えられ、地上に降り、命を終えて元に還る。森羅万象の其処には、命の渦巻きが視える。光と闇とが入り乱れ、命の誕生を促す。人間にとっては摩訶不思議な処だが、他の生き物には、神秘な場所である。難しいことは考えず、真実を生きていく。

 冬の宇宙は、殊更に美しい。星が流れ、生きていることを悟る。人類が、私利私欲を捨て、自分勝手な争いを止めたら、地球は再生できるのだろうか?否時既に遅し。地球は、滅びのカウントダウンに入った。それでもその日まで、生きなければならない。

 つわ蕗。これは葉を、出来物の時に用いる。火でちょっと焙って揉み、患部に当てると膿が出てくる。蕗と同じで食せる。

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のんびりと過ごす・・・

2017年01月18日 | Weblog

 今朝の上天気。雪も降らず、風もない小春日和に、眼が覚めて布団を広げる。訪れの予定もなく、出かける気もない。昨日は、結局帰宅したのは、夕方になったから、どっと疲れた。洗濯物もどうにか乾いてくれ安堵。室内に取り込んでもいいのだが、天日は有難い。

 生活スタイルを旧暦にして、少しばかりの心のゆとりを感じている。為すが儘なら、胡瓜パパという駄洒落も出る。白枇杷と長崎茂木の剪定したのを、お茶にするべく切る。花芽だけはリエさんに送った。赤枇杷は普通に市場に出回るが、効果が30倍とあっては出ず。

 タイガースの2013年、東京ドームのライブを観て、つくづくと感じたのは、お互いに歳を重ねて来たことだ。無論のこと、当時の面影がなくても、彼等は彼ら以外の何者でもない。2013年の個人的なことでは、仕事に嫌気が差して、辞めるかどうか悩んでいた時期だった。

 コンサートのニュースは、風の便りに耳にしたが、経済状況もあって、とても行けるものではなかった。介護の仕事の勤務は激務で、自宅と勤務先との往復だけでも疲れてしまう。加えて、日々の課題は山積みだし、自分のことさえ分らなくなっていた。ジレンマでか。

 あんなに必至になって修得した、介護福祉士の資格なのに、其処に書かれてあったことと、現場では差が大きく違う。人間関係でも、仲の良い者同士が内緒話する環境に、腹が立ってしょうがなかった。真剣に遣ればそれだけ、身体を酷使して、肩が上らなくなった。

 辞めようと決意して上司に告げようとした時、あっと驚く事件が起きた。その為に同時に二人が辞め、言い出せないままになった。一人は前々から、収入面での不安からであったが、もう一人は、業務中にあってはならないことをしていた。目撃され、現行犯で去る。

 自分の生活スタイルを変えたのも、この頃であった。無い物強請りは止め、現状に添った暮らしの中で、生かされていることに感謝する。これが、中々思うようには出来ないもので、不平不満に繋がる。でも、他人の金を騙し取ったり、殺人を行うのは更に惨めだ。

 今、知人が贈ってくれたこのDVDを、観客は自分独りで観られることに、極上の幸せを感謝する。瞳みのるさんのロング・グッパイの後で、も読み終え、一人の人間としての彼を知り、高校生であった頃には、理解できる筈もなかったスターの想いに、僅かに触れて。

 高校は、女子高であったので、人気最盛期のコンサートには、退学という手枷・足枷の規則が控えていた。ファンクラブ等以ての外。そうこうする内に、解散してしまった。個人的には、ファンクラブにも入ったこともなく、然し、心の隅っこでは、何時も想っていたのは確。

 きっと今でなければ、何も分らず、何も視えてこなかったのだ。自分のしたいことや、これからへの暮らしの不安が付き纏っていたのだ。でも、自分のことを愛し、枇杷葉と共に暮らせることは、これ以上の贅沢は無い。両親の与えてくれた命を、大切にして逝かねば。

 白枇杷の花芽。赤枇杷の長崎茂木よりは、ちょっと開花が遅い。旧暦の師走になったら、少しづつ開花していく。

 

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師走・土用

2017年01月17日 | Weblog

 今朝も、昨夜からの雪である。天気は上々だが、流石に布団は干せない。知人が頼んでいた財布が届き、連絡を入れていたら、取りに寄る。と言う。起きたら掃除だが、顔だけ洗う。雪の積雪にびっくりしている。この時期には、降ったら積もって根雪になる。

 知人との歓談中、友人も到来して、賑やかな雰囲気になる。然し、夜勤明けと来ては、ゆっくりもならずと、知人は帰る。その後、友人とは蓮根を分け、半分を持ち帰る。午前中は一時賑やかで、午後からAさん家に水を分けてもらいに、ぜんざいを馳走に。

 郵便局で、蓮根の支払いを済ませ、図書館にロング・グッパイの後でを返却し帰宅。リエさん枇杷葉と、サンタさん枇杷葉の花芽を少し採り、宅配で送る。お二人とも、雪で湿っているので、数日乾燥させたのを、冷凍庫に保管して。そのままだと腐るよ。

 白枇杷と長崎茂木も、木丈の高いのがあって伐る。明日には切っておこう。寒中の仕事は山積みで、柚もしておかねば。卵もこの時期のは、滋養にいいとされる。可能であれば、枇杷葉の生葉も採ってお茶にしたいもの。脳卒中・脳溢血等に効果あり。

 Aさん家で、ぜんざいをご馳走になりながら、近況を話していたら、入浴の段で眼を剥かれた。節約・倹約も兼ねるが、さら湯の状態は、肌にも悪いので、朔日にしか風呂湯は替えない。そのことにびっくりされた。塩で肩痛みを軽減したのも告げておく。

 年金は減額の傾向、働けなくなったらどうする。医者にかからぬ身体を作っておき、病気にならない心掛けで暮らす。天や地に祈り、感謝しての結果、部品が壊れていくのは止められないことだ。それらを受け入れて、自然体のありのままでいられる願。

 自分の身体にある、自然治癒能力を生かし、慶びを謹み共に分け、幸せに感謝する。そういった暮らしを続けて逝きたい。同時に、学べることの多くを知り、自分を高める努力も怠らずにいたい。随分と贅沢な暮らしでもある。死に直面しなければ解ず。

 今年は、あらゆることの原点に還って、物事を見極めたい。感謝の念を常に持ち、自分なりの出来ることを学びたい。目標として、郷土の歴史を憶えたい。恩師が亡くなって久しい。正に後悔先に立たず。されど、生徒であった頃には、危惧も憶えず至る。

 花の名前は忘れたが、繁殖力が強い。小さな苗であったのが、広がっていった。冬の時期には、枯れてしまう。

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師走・薮入り、雪の空・・・

2017年01月16日 | Weblog

 雪が降る。陽が射す。その繰り返しではあるが、風は冷たい。寒太郎も、生きいきと空を駆けている。小泉八雲の怪談、雪女をふと思い出す。雪女は、折角の好意で出された、熱いラーメンが啜れない。人間との恋愛も、熱が入らず冷める関係。

 今朝は、雪が降ってはいたが、月曜日とあって、車の往来が多いので、雪は道端にはじかれる。交通渋滞もなく、案外すんなりと勤務先に行った。今晩にも、今週中は雪らしい。昨年のこの頃も雪であった。何しろ寒中である。雪がないと困るね。

 然し、冬山の危険性は、どんなに充分な計画をしていても、相手が自然では太刀打ちできない。そういった自覚も大切なような気がする。命は、自分の物だが、大勢の者等が多大な労力を強いられる。残された家族は、悲惨であるか。捜索費。

 江戸時代には、薮入りであったもの。年に2日だけの休みを、それは楽しみにしていた。今では考えられない勤務状況だが、子ども頃からの、子守や丁稚奉行で、生きるために食いつないでいた。フクロウの鳴声、ボロ着て奉行せぇ、と聴こえた。

 祖母の、貧しいことへの配慮で、働けど一生かかっても、使われる身であったことと、着る物も食べる物も、住む場所もあることへの感謝だった。明治生まれの祖母だった。貧しさに耐えなければ、生きられなかった時代である。今の何という贅沢さ。

 来週の上京を、取止めておいてよかった。と思う。無理をして行けないこともなかったが、遠出をした場合には帰れない想定も。リエさんには、迷惑の掛け通しであるが、付き合いの限度もあって止めた。足の調子が気になる。転倒が心配であるが。

 それなのに、湯島天神への合格祈願をお願いして、更なる負担を増やす。孫のやる気次第だが、滑り止め等の問題ではない。要は、風邪を引かず、体調を管理しての、受験に望んでほしいものだ。だから、言わないこっちゃない。千振が効くんだ。

 月の女神・アルテミス。ギリシャ神話では、アポロンが太陽神である。和名は、ツクヨミ・ツキヨミで、太陽はアマテラス。

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小正月・雪は降る・・・

2017年01月15日 | Weblog

 昨夜は、雪掻きをしたのが明けて、更に積もっている。職場への連絡をし、弁当をこしらえ、準備はしたが、一向に雪は止まぬ。枇杷葉の枝も、流石につらそう・・・。箒で落すが、降る方が多い。幹線道路に出るまでが難儀である。然も、日曜日とあっては。

 冬の寒さが無くては春は来ないが、通勤先には行けないのも困る。徒歩で行くのも、滑る可能性が強い。転倒・骨折は明らか。厭々、大事を取って、溶けるのを待とう。田舎の不便さも、都会の快適さも、自然の前には然したる変わりなし。但し勤務が・・・。

 息子の所は、全員がインフルエンザらしい。正月に、受験生が居るんだから、体調には充分な注意を。と言っておいたのに。こちらは、枇杷葉茶を飲み、通草酒も戴き、加えて千振である。風邪の方が逃げて行く。風邪かな?位の症状で、熱も出ないのだ。

 天気回復の兆しで、陽が射してきた。今晩の積雪量は不明だが、午前中には行けるだろう。何とか気力を振り絞る。そう言えば子どもの頃に、祖母が雪うさぎを作ってくれた。南天の赤い実を眼に、耳には葉を挿して。雪で、アイスクリーム作りに奮闘。

 家が貧しいのは仕方なく、それでも作ろうとしていたのが、今では懐かしい。働く場所も無く、百姓の田畑や山仕事は、労力ばかりを必要とした。母や祖母は、野良仕事一遍で、外に出て行こうにも、家内が等閑になる。子どもは何時も、腹を空かせてた。

 新聞に眼を通しながら、沖縄での飛行訓練が、無許可で行われていたことに、またか!と憤りを覚える。人権を無視した国際的な虐めではないか。それで年始に、憤慨したことを思い出す。田舎に開店したローソンから年賀状が来た。情報は個人を無視。

 ご来店ください、とある。葉書持参で、コーヒーのサービスをとあった。拙いコーヒーなど、飲む気もしない。我が家での珈琲は、水からが違うのよ。況してや、珈琲も無農薬か、小川珈琲のスペシャルである。わざわざ出かける心境にはなれない。理解不能。

 寒中なので、蓮根を注文したが、今年は縦に長い箱である。掘ったそのままを送っているのにびっくりする。いえ、中味は開けてないが、大きなのが入っているのは分る。リエさん、着きましたか?昨年よりも価格が安くなっていて驚く。福富物産さんに感謝。

 きらん草。春の時期、小さな紫の花を咲かせる。消えたかな?と心配したが、意外な場所に発芽。

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今朝は雪・・・

2017年01月14日 | Weblog

 雪合戦は愚か、僅かばかりの積雪だが、枇杷葉の葉や花芽に、静かに降っている。関東以北の豪雪に、すまない気がする。寒いと何もかも、厭になってくるようだが、時は入試の時期。孫も高校入試の直前である。定員割れの所もあるが、先ずは受験だが。

 年金が入って来るのも僅かだが、もう一度高校に入り直して、大学に行けるといい。然し、庶民の暮らしには、大金等もなく、働きながらの貯蓄は更に困難である。従って、図書館に通い、恩師の書いている資料や、様々な文献を紐解いて学ぶ。また愉しからず。

 置かれた状況で、考えていけば、きっと路は開け行くのだ。誰がしてくれるでも、何かを待つのでもなく、自分で遣らねば前には進めない。何事にも工夫をして、どうすればいいかを考えよう。独りで居ると、実際捗々しくない思考に陥るのが難。心の有様にも繋がる。

 知人が厄除けに長い物が、と言うので、ネットでの買い物だと安いのもある。と告げるたら、検索して決める。買い物券もあり、ポイントも加算され、然も、知人の連れ合いが買ってくれるとのこと。あっそう・・・。ところが肝心の接続が、またしても切断され憤慨。

 寒の中途に差し掛かり、厳しいことに思いを馳せる。余りの暖かさに、スイトピーの芽が出ないのだ。季節の到来には、其々に何等かの意味のあることに、深く感謝する。冬の寒さには、春と云う暖かさが待っているからこそ、大地にしっかりと根づいていく。

 暖冬の影響は、秋口に蕾だった薔薇を咲かせ、今尚咲き続けている。切って室内に入れれば枯れる。自然の中にあってこそ、花も美しい。自分勝手な想いでのことだが、何だか虚しい。枇杷葉の花芽は、一斉に咲いており、この寒中が旬である。鈴生り。

 枇杷葉に限っても、自然での営みには、人間の手を加えないのが、本当はいいのだ。あるがままにしていき、天と地と人で、分けることが望ましい。今も、野鳥が花芽を啄ばんでいるのが見える。自然の中に生かされていることは、命との共存世界だから。

 白枇杷の苞。小さな塊だが、次第に膨らんでくる。これからが、本番です。自然からの恵に感謝。

 

 

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雪模様に・・・

2017年01月13日 | Weblog

 昨夜は、夜半過ぎから曇ってきて、深夜には怪しくなっていた。今朝方には、天気は回復してきたが、時雨はあり、雪もちらつく。風邪を引いたか?クシャミが出る。青空市に出かけ、旬の野菜を買ってくる。白菜も、キャベツも安くて美味しい。

 夕方には、知人が子どもさんを伴って来る。というメールあり。少々早いが、誕生日を兼ねての夕食会。テーブルに花の無いことに気づき、枇杷葉を切った。芳しい甘い香りが漂う。今年は、豊作の兆しだが、明後日の寒波で、どうなるか心配。

 本屋に寄り、指輪物語のDVDを注文しようとしたら、ホビットも一緒と言う。エイイトマンを探してもらうと、う~ん・・・高い。支払い方法の交渉で、何とか買えるようで頼んでおく。序でに、タイガースの初期のも検索したら、あるんですなぁ・・・。

 明治チョコレートのCMであった、落葉の物語が、歌の中では好きだった。冬の坂道に星が零れる。の歌詞が宇宙を観あげさせる。実際、宇宙の美しさに、心惹かれるのは、冬の寒厳時期で、昴を始めとする、南天から北は、眩いばかり。

 中学・高校時代に、真面目に勉強をしておけば、とも思うが、歳を経てから後悔ばかり。然し、遅くは無いと、学ぶ志は捨てない。諦めず根気好く付き合っていこう。あの時代には還れないが違った面に触れられる。何時も、何故、どうしての心。

 寒中にすることは多いが、味噌はこの頃は作らない。手前味噌の旨さには、自信があるが、独りでは食べきれない。尤も寝かせて味がのってくるのは、2年を経過してからだ。若い者等には、賞味期限とか言われるが、味噌は保存食なのよ。

 自給自足の暮らしは無理だが、それに近いことはできる。電気は節約し、或いは体質改善をして、病に罹らないようにしたいもの。高齢者の医療費も上る一方、先ずは医者に行かないようにしよう。お金のある人は、病気を治そうとするものだ。

 自然と暮らすことをしていたら、歳を重ねれば当然、身体の部位は古びてくる。それでも、自分の身体の代えはない。身体の中に何かを入れるというのに、拒否反応がくる。肩の痛みも、枇杷葉を当て、塩で揉み良くなってきた。手術等以ての外。

 銀木犀の花。金木犀ほどは匂わないが、楚々とした香りに惹かれる。ここ数年、木が傷んだのか、咲が思わしくない。

 

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師走、望・大潮

2017年01月12日 | Weblog

 西暦1703年、赤穂浪士は、大石内蔵助を大将とする、主君の仇討ちを決行し果たす。時は元禄、華やかでもあり、人々の暮らしにも、馴れ合いが潜み、戦の無い暗澹たる繰り返しの日々に、忠義の臣と、後々語り継がれるが、当時の風中りは強かった。

 瞳みのるさんの、ロング・グッパイのあとで。を読みながら、この時期に舞い降りた書籍に、己の心の弱さも具間視る。きっと、あるべくして読めれる時がきたのだ。メンバーの方々にも、然したる思いいれは無いものの、余りにも人気者になって生じた軋轢。

 ファンであるという片思いかもしれない。ファンクラブにも入ったことはなく、単純に彼の演奏に心惹かれた者もいたのだ。ずっとずっと、或いは永遠の恋なのかも。住む世界は違っていても、心を共有することは出来るもの。そういうファンの有り方もいいかな。

 最初の件で、NHKでの放映のことに触れていたが、何気なく観ていた覚えがある。あの頃はテレビもあったから。今は、あるには有るが、生活スタイルを変えたので、単なる飾りになっている。パソコンの画面に向って、キーボードを叩くことが多い。愉しみで。

 彼の赤裸々な記述に、人間としての生き様を垣間見て、人は皆、悩み苦しみ、あらゆることを糧にして、生かされていることにも気づく。この書籍に出遭えたことにも、何かの縁を感じる。祈りと感謝することの意味は、深く考えてはいないけど、必要なことだ。

 自分に課せられた任務を全うし、やがて来るであろう死への途を進んでいく。光の中に落とされ、闇の許に還って逝く。光と闇とは同等だから、気づかないことも多いが、畏れることなく逝かねばならない。再び、三度、光の中に立てるか否か。地球の滅亡に。

 光瀬龍氏の、百億の昼と千億の夜との、阿修羅の嘆きの如く。かの像は、誰が何故作ったものであろうか。奈良時代へタイムスリップしてこよう。ああ・・・彼は、阿修羅王に似ている。尤も、個人的で勝手な想いでだが。学んでいくことの歓びを与えてくれる。

 入江泰吉さんの写真に魅せられて、一時期、奈良に通ったことがある。興福寺の阿修羅像に逢いに行く。唯、それだけの日程だが、早朝に家を出て、夕方には帰宅していた。あの顔の、姿の凛々しさに惹かれた。帝釈天との戦いの果て、その後帰依する。

 藤原不比等の人物像や、長屋王の存在、光明皇后の行い等、興味は尽きない。薬草を板の間に敷き詰め、下に湯を張って温める施行には、今もその建物が残っている。NHKの歴史への招待で、施薬院を知った。枇杷葉の薬効には、実に驚く効能が有。

 夏中、葉を取って寿しに使った。その後、忘れていたのが、いつの間にか、花が咲いていたもの。

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