枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

天一天上・弥生

2020年04月20日 | Weblog
 気温はある程度高いのだが、昨夜からの土砂降りで、枇杷葉への袋掛けが出来ない。庭を見周っていると、通草がたくさんの花を付けている。今年は、多少の収穫があるのか?遅い朝食を摂っていたらリエさんから電話が入る。山菜を送ったのが着いて、勤務先に持って行くとか話すので、却って申し訳ない気持ちになる。たら芽は好評ですな。

 花を活け換えようと椿と、チューリップを切り、それに枇杷葉を1枝挿す。玄関に活けているのも空気を浄化させるためだ。消毒液も化学物質ではしんどいので、自然の趣きに任せている。枇杷葉の葉や花芽に種を焼酎に漬けており、これで殺菌出来るのも有難いこと。お金をかけてするのは、限度があるのです。創意工夫の原点に還る必要も。

 ハンセン病の方々が、隔離されていたことを思えば、コロナでの自粛等軽い処置だ。人間でありながら、畜生にも劣る扱いを国はしてきた。補償の問題もあれば、心への配慮も欲しいもの。わたくしたち庶民にも、差別への根強い想いが重なる。どんな方にも生きる権利はあるのを、勝手に奪っておいて、放ったらかしでもあった。状況は異なる。

 原爆での被災にも、福島第一原発での被災にも、或いは自然災害にもあろうが、事が起きた時に執るべき施策因っても異なる。戦争を終結させるために落とされた原爆。原発が便利で簡単で綺麗と謳われ設置した。然し、事故が起きた時にどうなるのかが説明されていなかった。裏では巨額の鐘が動き、懐を肥やす官民ばかり。庶民は置き去りで。

 そうして今は、コロナ感染が広がる一方だ。これは人類への警告なのだ。地球は人間の数を減らし、再生しようと行動している。為すが儘に成り行きを見て行けば、森羅万象にも通じる気がするが状況は油断を許さない。瀬戸際に立った時に、人格が現れるとも言うが、自然への摂理を甘んじて往けば、命への賛歌にも通じるのではないかなとも。

 藤の花が蕾を重たげに下げている。満天星躑躅が満開で、早い所では矢車草も咲いて来た。我が家では、クリスマスローズも終わりになって、薔薇が咲き始めている。姫金魚草も満開。乙女椿がはにかむように咲く。ブルーベリーや通草は結実させるために花をつけている。林檎の花も見えている。桑は新芽を出してきた。新緑もそろそろですね。

 来たばかりには、ご飯にかつお節を混ぜての猫まんまです。そっぽを向いていたのも、腹が減れば食べる。
 

 
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弥生、穀雨・中潮

2020年04月19日 | Weblog
 二十四節気 穀雨 春の太陽が、強さを増すこの雨は、五穀の成長に、天の慈雨と言う意で、穀雨と呼ばれる。毎年、四月二十日頃である。季節は廻ると言うのも、なる程と納得する。この時期になると、雨が地を潤す日が増えて来る。自然の摂理とはこういうことなのだ。人間が幾ら遣ろうとしても、思う通りにはいかないことを思い知るもの。

 何がどうというのでもないが、大人の心情にも問題があるのだから、表現方法に乏しい子どもには尚更だろう。訴える言葉にも足らないものがあり、心身を病んでいるのは明らかだ。コロナだけの問題ではないのだが、現実での環境が自分で考えてのことではないから、対処しましょうといきなり言われても思いつかない。標準の基準が低すぎる。

 学校に行くのは何のためか?教科書で学ぶのは、何をどのようにだろうか?国のトップが決めることでも、良識者の判断でもない。史実が事実であることや、正しい歴史が綴られていることだろう。戦争はいけない。と言いつつも遣っている。地球の資源を取り尽くしていることや、それに伴う労働条件が、子ども等に依ってされていることも有。

 嘘ばっかり!これでは後世への伝えは歪められ、何が本当のことであるのかが隠される。戦争が齎した弊害が、アメリカ寄りの政治でもある。白洲次郎氏のように、日本は戦争に負けはしたが、アメリカに負けた訳ではない。ときっぱり言える人物が消えた。信念も何もなく、嘘で塗り固めて、自分の懐ばかりを豊かにする。これでは国は破綻。

 マスクを作ろうにも、材料が無くなると言う。それは、新しい布での作業で、古着を活用しても好い。洗濯さえしていれば、使い捨てにもなるだろう。何事にも、これでないと駄目ということはないのだ。創意工夫の観点での発想がほしい。それにしても、自分さえ良ければという心根の悪い者の多い事だろう。これではコロナは終息しないです。

 自宅で優雅にお茶を飲みながら、犬と濃厚接触をするような者には、庶民の生活の破綻等、どこ吹く風であろう。妻も呑気に旅に出たり、花見を満喫するようでは、この国の行く末は真っ暗である。馬鹿じゃないの!ふざけんな!と言いたくなる。私財を投じての救済が必要な時に、開いた口が塞がらぬ行動をし、政策を迷走させるとは言語道断。

 枇杷葉茶の味は、無いようであるのです。要は、淹れる水に因って変化します。或いは、薬缶でなく土瓶で沸かせば。

 
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走馬灯の如く

2020年04月18日 | Weblog
 疲れました。休憩が無い分、常に流れをよみつつなので、業務は確実に出来るのだが、人数の関係で支障が出ることもある。午前中の仕事も何とか終え、昼食を挟んでの終了である。疲れた・・・ズッキーニの苗を買ったのをやっと植える。すばるのトイレも換えて安堵する。帰宅したらゲロを吐かれていた。何を口にしたんでしょう?シクラメンか。

 子ども達が学校に行けないので、親は大変である。誰が面倒を見るかでストレスが溜まったり、病気になってしまう。留守番も危険が一杯で、何処に居てもコロナには抗えないが、給付金で解決できるのだろうか。一時凌ぎでしょう?実際に困窮している者には、手厚い救済が必要なのを、住所不定では行き場がないのです。予算も国債では借金だけ。

 国民を救う目的が、国債発行では借金の金額が増えていくばかりで、その付けは結果的には国民が払うのだ。所得も500萬以上あれば、給付金は貰えないでしょう。国債云々より、自分達の良からぬ懐を綺麗にしたらどうか?金額の桁が違っているのを、同等に扱ってはいけないよ。コロナは終息するどころか、益々猛威を振るって来ます。対策ある。

 あれもこれも、福島の復興を本気で取り組まないからじゃない。放射能に含まれている何等かの化学記号が、どういった弾みかで結びついたのかも。宇宙から飛来していた良性の物体が、環境の変化に因って活発になり、発生してしまったのだ。地球は、再生力を全開にして、自分を守ろうとしているのだ。人類が滅亡しても構わない。生まれ変わる。

 広島や長崎の原爆にも言える。放射能の恐怖を忘れ、自分には無関係と思っているから、こういった急速な広がりには手立てがないのだ。我が身に降りかかれば慌てふためくが、隣の事なら知らぬ顔で通す。人類の欲の塊を露呈している。これまでにしてこなかったことの意味が、大きく覆ってきたのです。長期戦の構えをして、自然に還りたいもの。

 それにしても、枇杷葉の効果には驚くべきことが多い。長く続けることも、根気よくなることもあるが、信じることは何よりも素晴らしい。生き物としての価値には、人類も草花も、自然そのものであるのだ。森羅万象への祈りと感謝には、何物にも代え難い命が宿る。それは生き物を生かす凡てのエネルギーでもある。これこそ神に感謝するべきこと。

 天帝の恋人は、嫦娥妃である。かぐや姫は、娘になるのだろうか?月の兎を思いつつ、宙を観上げている。
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コロナのせいにも

2020年04月17日 | Weblog
 体調不良をコロナのせいにばかりは出来ない。これまでに不摂生な生活をして来ていたり、何等かの疾病があれば、感染する確率も高くなる。或いは、金に物を言わせて、他人を頼り切ってのことだと、落とし穴がぽっかり開いていても気づかない。用心には越したことはなく、安心も信用も自分で築くものにしたい。抗体も免疫も作れないと思うが。

 先見の明があるとも思えないが、第六感が何ともなく教えてくれる。視えない物を感知する何かが警告を発するので、近づかないし手立てを講じる。予知能力とも言えるが、危険を察しての行動に徹する。それは未知との遭遇にも値し、とても不思議な体験にもなる。宇宙の森羅万象には、解明できない数値も含まれていて、堪えず信号を発している。

 人間にも多々あるので、そういった者を特異体質とも言い、一種化け物扱いをしたりする。魔法を使うとも魔女とも。何となく分かるようで、理解し難い者への迫害でもある。自然に添った暮らしをしていれば、その時々で判ることも、小難しい数式や難解な言葉にすり替えてしまう。博識な者にしか解らぬように言い立てる。でも基本は難しくない。

 現実とは、今を知り受け入れることだろう。今まで他人を頼り過ぎたのだ。これからは少しづつでも自分でしていこう。イギリスに支配されていた時代、ガンジーは衣類を買うことを拒み、自分達で植物を育て、紡いで布を織って作った。やがて独立に向かう。国民が一致団結しなければ何も起きない。金で頼んだ者には、死ぬまで吸い上げられていく。

 世界のあちこちでコロナへの隠蔽だの、誤魔化しがばれてきている。それにしても、愚かなことをとがっかりしたのが、柔道連盟のやったこと。オリンピックが如何にずさんな中味かを露呈した山下さん。信頼を崩す行動にこれまでの全てが消えた。人間である以上、そういったことは分っていたことでもあるが、残念でもあり無念の感に堪えないのだ。

 現金の支給を一律にするだの、困窮者への配布だの、どれをとっても火に油じゃない。そんな金額での保証で、この先への最善の対策になるのか。然も、全国民にという馬鹿らしさ。金持ちにまで遣ることはなく、貰っても返すべきと思える。政治資金をしこたま受け取り、国民からも支持せよと袖の下を請求しているのだ。この際、思い切って返そう。

 クリスマスローズも、色んな種類が植わっているが、最初に咲くのは白です。寒さに耐えて健気に咲く。
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弥生・土用

2020年04月16日 | Weblog
 天気である。気温もぐんぐん上がって暑く、窓を開け暖房を消す。昨夜に多少のお湿りがあったらしく、表が濡れていた。本日より4連勤であるが、半勤を挟んでにしている。施設ではマスクの配布があったが、この枚数では如何ともし難い。勤務先には予備があるらしく、足しての支給である。余りにも遅すぎて有り難くないが、一応貰っておく。

 燃料を補給し、青空市に寄って山菜を、リエさん宛てに送る。何か贈ろうかというのを断り、上京した時にお世話になるので充分と伝えておく。実際、冷凍庫も箪笥も一杯で、入りきらない。これ以上の確保には、余分な物を買うことになるのです。喜んで食べてくれれば、言うことはありません。こういう時ですから、笑顔で居てくれれば充分です。

 コロナが悪いように謂われるが、そうとばかりは言えない。これまでの人類の無謀さが、結果的にはこういうことに繋がったのだ。免疫にも抗体にも、今までに培ったものがなくては、手立ては何もありません。枇杷葉茶を飲んでいてよかった、と思うこの頃です。沢田研二さんのステージを観に行きたいが、こればっかりはどうなるのだろうか…。

 ストレスも溜まるが、自分也の工夫で乗切ろうとしている。そこに携帯が鳴り、これから行きますが、との連絡があって、他部署の人だが我が家迄プレゼントを持参する。わおぉ!ケーキじゃんか。昨日の苺大福のお礼らしい。珈琲を出したが猫なのを失念していて、舌が火傷したと言う。牛乳を足しても熱かったらしい。ごめんね、分っていたのに。

 夕方の闇に紛れて、毛虫が薔薇を食べている。何とか数匹捕まえたが、カメムシとの格闘にも疲れていただけにうっかりしていた。後は、お酢での散布にする。折角の新芽の蕾にも害が出そう。彼等にしてみれば、格好の餌になるのだから、必死であるのだが、こちらは花も咲かせたい。こういうのも人間の勝手に過ぎない。何と言う身勝手さであるか。

 枇杷葉の花芽を少し取り除いたら、意外と結実している。昨年程には生っていないが、1枝に10粒位は付いている。有り難いことである。今年は裏年に当たるので、収穫は三分の一になっているのだ。剪定をしているので、或いはもっと少ないかもしれない。幾つかの粒に感謝する。地球温暖化の影響もあって、自然に任せての収穫でもあることに感謝。

 ちょっとだけよが聴こえそうなポーズです。念入りに綺麗に舐めているのだが、あんまり舐めると禿げる。

 

 
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天気になれば・・・

2020年04月15日 | Weblog
 朝方は雲もなく、蒲団が干せるかと思ったが、いつの間にか広がって断念する。地も湿っているのもあり、他の作業に切り替えた。先日の嵐で通草がぶっ飛んでいるのを、新しく巻き替えておく。あちこちに生えているので、殊の外時間が掛かった。3時間弱でやっと終える。昼食が未だだったのでご飯を電子レンジに入れて温め摂取。

 枇杷葉に袋を掛ける作業もしたい。生葉も焼酎に漬けておきたい。あれもしたい、これもしたいと思いはあるが、中々身体が言うことを効かない。これが歳を重ねると言うことでもあると実感する。そろそろ中に入ろうとしていたら、お八つを頼んでいた同僚から連絡が来て、これから行きますと言う。30分も掛からぬ内にやって来た。

 苺大福だが、ここのは何処のよりも美味しく、餡も変わっているのだ。白あん 赤あん これにカスタードや抹茶にトマト味とかぼちゃがある。チョコレート餡も実に美味しい。以前には片道2時間からを行っていたのだが、大儀なのが先に立ちご無沙汰していた。近くの苺大福は高くて不味いので買わない。どれも久々に舌鼓を打つ。

 図書館に返却に行き、借りる本もあって寄り、郵便局に車を停めた途端携帯が鳴る。足湯に行っても好いかと言う。で、待っていることにした。その後、我が家で足湯を施行し、足の指をマッサージして、夕ご飯を一緒に食べて送って行く。本人は大満足であったようで、何だかんだとお喋りに高じていた。ブログ更新が大幅に遅れた。

 明日は早出だが、半勤の予定なので弁当が要らない。燃料を容れることと青空市に行くこと。Aさんちで水を分けて貰うことだ。枇杷葉茶は、Aさんちの水でなければ飲めない。水道水のカルキの臭いには閉口する。枇杷湯にするのも、さら湯を和らげる働きと、カルキを避けるためだ。身体に好いと思えることは何でもしてみようね。

 辞表を書かねばならないのだが、それを行う日が思わしくなく書けていない。横着者でもある。段取りはしてあるので、辞める決意は変わらない。まあ、野垂れ死にをすることも無いだろう。暮らしは替えて行かねばならないが、悲観することにもならないし、楽観する気も無い。無理のないことで生きていければ好い。物は試しにだ。

 枇杷葉の中心が伸びて来たら、新芽が覗いている。これを天麩羅にして食べれるとか。やったことはないが。
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異常気温に・・・

2020年04月14日 | Weblog
 コロナウイルスが世界中に広がった一因に、温暖化の影響もありそうだ。細菌は、寒さでは活発に動かないもので、一定の条件を満たせば止まらなくなる。加えて、人類の思考にも反応するのではないか。知的な生物ともいえるのでは?単に、人類のように喋らないだけで、何等かの伝達手段を持っているのかもしれない。事実は物語より怖い。

 昨日の気温は、冬に逆戻りしたような寒さで、冬物を仕舞いかけていたのを急遽出した。寒さが苦手とあっては如何ともし難い。桜は、強風に殆どが散ってしまった。枝の折れたにも見える。そこら中に嵐の凄まじさが残っていた。雨も、降ったり止んだりの不安定なこと夥しい。支払いがあったので、コンビニには行ったが閉じこもっていた。

 地球も、散々人類に好き勝手をされ、懲りているのが解るような荒れ模様である。自然現象を理解するのは困難であるが、容易い事かも知れぬ。何気ない変化への心の向きようであり、感知できることになるだろう。物云わぬから、実態がないから、視えないから、解ろうともしないのかも知れない。或いは、小さな変化に気づくことなのかも。

 人間が、地上に増え過ぎたのも一因かも。神の意志に反することを、人類が止めぬからかもとも想う。森羅万象の理念には、人類の計り知れない叡智があり、異常を来たせば元に還ろうとするのではないか。地球が警告を発しているのを、見逃してきたことが、結果的にはあるのかも知れないなぁ。今更ながら、手立てはないのかも知れないが。

 今朝の新聞を見て仰天する。一国のトップが国民にお願いをするのに、ペットを膝に乗せ、優雅にお茶を飲んでいるとは…。生活が出来なくなっているのが分からないとは、不安を掻き立てるばかりなのが認識出来ていない。で。一体この写真を、何時どこで誰が撮影したのか?庶民を舐め切っている態度に、即刻、首相を辞めてくれと言いたい。

 明日の生活にさえ不安を持って、先行きも分からない人も居るんだ。その保証を誰がどのようにするのか?防衛費やアメリカへの擦り寄りには、積極的な対策を立てるが、自国の生活苦の者には知らぬ顔では、権威も何もない。自分が真っ先に私財を投げ打っての行いをするのが正当。これまでに汚い手を使って、懐具合を豊かにしてきた償いを。

 働きたくても仕事が無い。賃金は安い上に重労働。これまでに何とか泊まれていた場所を失い、路上生活を余儀なくされては、それこそ命の軽さを図る思惑だ。住所不定では、マスクすら届かない。国民の窮地を救うのが政府の仕事でしょう?働けど働けどと詠った啄木が増えるばかり。小学生でも、困っている人を見れば援けます。甚だ非常識。

 すばるは男の仔です。来た当時よりは育ったが、未だ痩せぽっちです。悪戯が好きで、好奇心丸出しです。
 
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花嵐・花吹雪

2020年04月13日 | Weblog
 昨日一日雨が降り、夜間になってから朝方までは強風である。これは花嵐とも花吹雪とも言うのか、遠くに咲いている桜が風に舞っている。ねらわれた学園は眉村卓氏。時をかける少女は筒井康隆氏である。SFなのでファンではあるが、映画は観たことがない。NHKの青春ドラマシリーズでは、多くの作品が並び、夕方の6時が待たれた。

 転校生は、山中恒氏のおれがあいつであいつがおれで、テレビでの観賞である。何れも、原作本を持っているので、比べるべくもない。手元に、不良老人の文学論がある。断筆宣言をしてからは少なった作品なので貴重な著作。文庫であるが全作品を持っている。余り自慢にはならぬ。水野英子氏の作品に、セシリアがあるのは周知かな?

 SF界も故人が増えている。既に星新一氏、小松左京氏、眉村卓氏も光瀬龍師も冥界に居る。高校生の自分も若かったが、紙の本が溢れていて、読みたい放大でもあり、恵まれた時代でもあったもの。スマホでの読書と言われても馴染めない世代で、未だに切り替えをしていない。懐かしくもあり淋しさも一入である。今テレビは観ない。

 職場で、春の花を幾つ言えるかを訊ねたが、先ず分からないのにびっくりする。自然にある花木も知らないのだ。花壇に植わっているのさえ名前が出ない。人間さえ良ければ好いと言う典型。花にも木にも道端の草にも命は宿る。オオイヌノフグリに仏の座、母子草、菜の花も咲いている。心に映してこそ、介護の仕事は可能じゃない。

 椿は春の花だし、海棠もここめ花もある。山桜桃梅も満開になっている。球根ではムスカリやチューリップ、アネモネ、水仙と咲き誇っている。辛夷も木蓮も花ずおうも見える。馬酔木もあれば、ヤマボウシや山つつじも。野辺の花も加わるともっと沢山ある。そういった草花草木に援けられ(光合成をしているので)酸素供給を貰う。

 初夏には、木香バラがフェンスを彩る。栴檀に通草も満開になり、藤や桐が賑わう。季節に咲く花の所在に気を留め、人との拘わりを持たないと、決まりきった台詞では、相手に届かないことがある。先日も、食事の好みを聞いて、栄養価に嫌いだから他の物を作れと言った職員が居たが、自分が作れないのを他部署に言わないでくれ。

 誰しも、好みの献立ばかりではない。それを一々聞いていたら限がないこと。こちらが出す時に、的確な判断をして出せば済むことだ。アレルギー反応の方には、きちんと栄養科から出るようにはなっているが、個人の好みに合わせての献立には無理がある。さり気なく、寄り添うことの基本であるのに分かっていない。反省もないよ。

 日曜日の献立は三色丼であった。普通は、ご飯に味付けて炊くのだが、鮭の瓶詰 シラス干し ほうれん草 紅生姜 炒り卵 肉の甘辛炒めをご飯に乗せた。工夫点は、炒り卵と肉の甘辛炒めで、ミンチ肉が苦手な人が居り、別には時間も掛かるので閃いた方法を。機械でのクラッシュして作ったら正解で、ミンチ以上に上手く出来た。

 肉を炒めた煮汁はたっぷりで、これをクラッシュしたのと混ぜる。ここがポイント。皆さん文句も言わずで、残飯も無く食べてくれた。まあ、わたくしが辞めてしまえば、機転も利かねばアイデアもないのは確実で、貧相な食卓になるのは必須。衛生管理も、食材の使い切りもしないだろう。勿体ない事だと案じてしまうが知りません。

 沢田研二さんの歌詞の中には、自然の風景が多く出て来るのも素敵で、ファン冥利に尽きる想いで聴く。

 
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春なのに・・・

2020年04月12日 | Weblog
 リエさんに送った山菜は、お客様に好評だったとか。リエさんの会社の方は、ご自分で調理されてのことで、写真をフェイスブックに載せます。と、大変喜んでくれた。然も捨てるところなしで活用してくれて、最後には皮をかき揚げにしたようだった。筍の皮は、梅干しと砂糖を混ぜて包み吸うんですが、と話したら、そこまでは思いつかなかったらしい。

 子どもの頃には、お八つ等買ってはもらえず、況してや無かったので、祖母がしてくれたものだった。今の人には想像もつかないことで、わたくしにとっては懐かしい思い出だ。また、筍の皮は乾かせて使うので、捨てること等していなかった。山に行く時には、これにお結びを包んで行き、大切に使っていたのも想い出す。生活の知恵でもあり物は大切に。

 祖母のしていたことを身近にしても、数える程にしか出来ない。古里の山も畑も荒れ、作る者も居なくては当然のことだ。農薬を撒かずに、手塩にかけて作っていた祖母の姿が、瞼を閉じれば浮かぶ。その回りで安心して遊んでいた自分にも遭える。誰に言うともなく、孫であるわたくしに無償の愛を注いでくれた。記憶の断片が走馬灯のように翔けていく。

 祖母や両親の居た時に行けはしないが、今にして幸せなことをかみしめる。何気ない暮らしが、何と有難いことだろう。自然からの恩恵に感謝し、宇宙に想いを馳せ、祈ることがどれ程幸せなことであることか。勿体ないと最後まで使って遣れば、命を無駄にすることもない。人間は何一つ作れないが、そのことに想いをかければ生かされることにも通じる。
 
 夕方から曇って来て、金星が雲間にちらちらと観えていたのも、何時しか厚い雲に覆われ、細い絹糸のような雨に変わった。静かで嫋やかな感じの春雨である。自然の中では、根雪を溶かし、大地を潤す源になって、やがては海に出て行き、宙に還っていく。天地の約束事ではあるが摂理に適っていて、祈らずにはいられない。生かされていることに感謝も。

 昨日、業務で体力を消耗してしまった。気難しい方には、静かに寄り添うことが大切だが、悪戯に拒否させてしまう者もいる。援ける意味もあって抱えてしまったが、体重が釣り合わなくて腕が痛む。職員の心の動きを察する方には、理屈でなく空にした態度で接したい。余計な事は慎み、同情でもなく行うことの難しさでもある。細菌の情勢で少し困憊君。

 室内に取り込んでくるが、これが意外な発芽をすることもある。宇宙からの飛来物でもありぎょっとなる。

 
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十方ぐれ入り・弥生

2020年04月11日 | Weblog
 例の臭いがするが、所在が掴めない。身体の何処からか発しているのに、ふとズボンのポケットに違和感を感じて手を入れた。おおっ!ここであったか。カメムシの強烈な臭いに閉口するが、ティッシュペーパーに包んで捨てた。暫くは臭いが消えずであるが、洗濯物にくっ付いて侵入するとは、敵も然るものである。カメムシに罪は無い。

 折角暖かくなってきたものを、冷え込みが強く暖房を点けた。すばるが寒いと訴えるし、朝夕の冷え込みに震える。懐炉も貼り付けるが、休日にはしないこともあって、衣類での調整となる。風邪を引いても困るので、ストーブは煮炊きに使う。我慢もしての数日であったが、痩せているだけに禁物である。疲れが溜まっているのも難儀だ。

 天気が続き風があると水分が飛ぶので、意外に水遣りは大切な事。野良猫が土を入れたり、柔らかくなった場所に、糞をしているのに困る。枇杷葉での消臭効果があるので、臭いは然程しないが鉢物に、地植えに影響が出て来る。縄張り争いのためでもあるが、我が家に来なくても良いのに、と元に返しておく。すばる!呼んじゃだめだよ。

 庭の枇杷葉の実が、小指大になってきている。そろそろ袋掛けをしなければと思うが、横着なので間近にならぬと動かぬ身体である。旧暦の卯月になれば、枯れたのや結実しなかったのが分かるのもあって、今月中に遣れば好い。収穫は、7月にすればいいことで、余り早くから遣ると、粒が落ちてしまうこともある。まあ、のんびりと…。

 今年の春は長いとあるが、例年なら暖かさよりも暑さになっている。コロナが拡大しているのも、気温にも因るのか。細菌は、暑さに弱いかもしれない。このままでは終息する見通しには程遠い。地球温暖化の傾向にありながら、事が起きれば寒さが戻るとは、意外な処に隠れていたものだ。悪政の付けと結果に、厭きれるばかりでもある。

 人類の繁栄にも、神を蔑ろにしてきた罪や咎が含まれているのか?わたくし自身には信仰的なものはないが、心の底には疼く部分も多々ある。誰のせいでもなく、己の責任を痛感する。文明や科学の発展で、それ等を使ってないとは思えず、金さえ払えば済む問題にも当然と考えてしまう。魔力は静かにうごめいている。天にも地にも同様に。

 お気に入りの場所では、邪魔されないことが分かっており、くつろいでいる。甘えん坊でもある。
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