枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

立夏・小潮、弥生

2021年05月05日 | Weblog
 二十四節気 立夏 太陽の光熱いよいよ強く、夏の気立ちがのぼるという意で、立夏と云われる。毎年、五月六日頃である。昨夜からの本格的な雨に、田植えの準備の地域では胸を撫で下ろしていることだろう。天水の力には、恩恵が備わっているから人工的な水とは違う。こどもの日であって、男子だけの節句とは異なる昨今。

 尤も旧暦で祝う端午の節句は来月の6月14日で、菖蒲もその頃でないと芽吹かない。新旧をごちゃまぜにして俳句の季語もとんでもない活用に嘆かわしい。科学の発展は喜ばしいが、野菜の早出しにも季節感の乏しさにもため息が出る。外国からの輸入商品には、必ず大量の農薬での洗浄があり、目には見えないけれども怖いの。

 コロナばかりが恐怖ではなく、常日頃からの自分の身体を知っておいて対処したい。農薬にはアメリカでさえ禁止された物が、日本では基準を下げて使用される。これで癌患者が減る処か、薬や手術での方法ばかり唱えるが本来は禁じることにある。原発も同じで気づかぬから恐ろしい結果になるのだ。細胞は生きているのだよ。

 枇杷葉には、免疫を高めていく力と抗体での対応を奨め身体にやさしい治しを促す。但し、それがはっきりとは見えないので、数値や映像に一喜一憂してしまう。身体の細胞の一つひとつが、一致団結して連携し合い、悪い部分には皆で庇い良い細胞での安全運転に転じる。でも、自然体を心がけ決して無理のない生活に誘うの。

 食生活の大事さも云うまでもなく、玄米中心の療法を心がけることも必要なこと。季節・旬の野菜以外には目を向けず、畑での無農薬が可能なら摂取することに努める。あれがない・これがないではなく、これで充分という気持ちでいて、命を戴ける祈りと感謝を常に持つことだ。治療と云うのは、薬が治してくれるのではない。

 其処には本人の治りたい想いと、周りの治してやりたいという祈りがあり作物や太陽・月・宇宙からのエネルギーが存在してこそだ。また命への賛歌も多大な影響を持ち、自分を無にしていくことにもあるのだ。誰しも元気だった頃に還れるなら、過去の世界での出直しを願うだろうが叶わぬ。甘んじて受け留め顔を上げよう。

 ソロモン王は、正しい判断だけを祈ったので統治できたものだ。わたくしは、キリスト教の信者ではありませんし思想的な考えは皆無です。でも、宇宙の倫理には天啓が備わるので、森羅万象の現象には聴こえてくることが多くある。心を解き放ち邪念を祓い、自然の中に漂うのであれば生かされていることに感謝できるのです。

 信仰心がなくても、宇宙が神さまであり命の誕生が行われる処です。この世に必要であるから遣わされたもので、その役目が成就されれば元の場所へと還ります。わたくしのは、単なる思い込みの強さと都合勝手な想いだけですので何等効果はありません。病を治すには、自分自身の強い意志と何も願わず求めずのありのままで。
コメント (4)
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