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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

庭の鉢物移動す

2021年08月21日 | Weblog
 昨夕、雨が小止みになったので思い切って決行する。藪蚊の襲撃に備えて、ハッカ油を服から露出している部分に塗っておく。薔薇の勢いを援け、それを中心にして移動させるものの土が湿っていて重い。南にある枇杷葉の側に通路だけを除けて引き寄せ、上に乗せる鉢も配置を換えた。ミニバラが咲いているよ。

 ハツユキカズラが蔓を伸ばしているのは駐車場に、紫陽花と桔梗は日向へ。ベゴニアやオリヅルランは挿し芽に鉢にと増やす。遣りながらこんなに増やしてしまって、冬になったら室内なのにどうするの?と自問自答する。なんだかんだと鉢の向きを換えたりして凡そ3時間余り、気づいたら辺りは黄昏に近づいて。

 あれれ?夕焼けではないか、夕空を観上げたら虹が懸かっている。月は昇ってなく、木星と土星もお預け状態なのが気がかりだ。その後には、雲の広がる宙になってしまった。こちらの都合ばかりにはいきませんな。ナメクジ20個体を捕獲したが、この雨で彼等の隠れ家を提供していただけに致し方なく撤去と相成。

 今朝も地面に直接は置けないので、台を設置してベゴニアとオリヅルランを纏めた。白妙菊も挿し芽にしたら着いたようで、これは外での管理が可能なので放置。シュウメイギクが消えたと思っていたら、露草の勢いに負けていたのを発見。条件がすこぶる良かったのか、群生に少し遠慮して貰うことにフェンス側。

 ポトスの発育も上々で、挿し芽に切った後から発芽している。時々枇杷葉茶を注いでいるのが効くのか?人間の身体での効き目とは異なっても、同じ生物でもあるのがうれしい。この世には実に多くの命が存在しているが、祈りと感謝で過ごせることは有難い。枇杷葉が援けてくれることには、その想いが更に強い。

 辰巳芳子さんが提唱される命のスープ。素材を捨てることなく丸ごと使うやり方に、わたくしは直ぐに書籍を求めた。弱火でとろとろと時間を掛けて煮込み、味付けはシンプル。その旨さには素材の本質があり心が籠る。何処の高級な店でなくても愛情は揺るぎなく、愛しい者に口にして貰える極上の味は変わらない。

 枇杷葉に援けて貰えることは、自然への祈りにほかならないと信じている。お金を出せば手に入ることには異論はない、使う時の気持ちが大切と想って大切に扱う。植物には皮も種も命の素で、其処にこそ潜んでいる物が棄てられる。ピーマンや胡瓜の種にこそ命が宿るので、感謝して戴くことに努める。勿体ないね。

 ドクダミは臓器十薬、刀豆は出来物・腫れ物・歯周、木通・通草は耳鼻咽喉、山法師の実滋養強壮、きらん草・解熱効果、夏枯草や神輿草は膀胱炎・整腸、桔梗の根は咳止め等、記していけば限がなくあるが、枇杷葉はあらゆる症状にもたらせる。あれもこれもと仕分けなくとも良く、持続しての効果も大きいのだ。

 
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愛燦燦・・・

2021年08月20日 | Weblog
 小椋佳作曲・作詞で、歌い手が本人のが好きです。美空ひばりは上手過ぎて、少し聴き辛いのもある。彼の声に強く惹かれてしまい、心に浸み渡るのは何故だろうか?巧さは誰しもに等しくないが、聴いてくれる一人に届けばいいとも思える。そうして結果が、皆であれば好いのかも知れないのです。誇示ではなくて。

 雨の降雨連続 この処アポロンの火車を観ていないものだから、恋しさが募るのだろうか。う~んちょっと違う、月の女神セレネにも遇えないことが多く、エンディミオンを独占できたまでは好かったが、もの言わず瞳は閉じたままであれば意志も砕ける。嫦娥姫に至っては、物憂げに窓に凭れて天帝を忍ぶ風情に乱る。

 下町の太陽・倍賞千恵子さんを聴いたが、相手役は小坂和也さんか?若いなぁ、溌溂とした二人に感無量だわ。いつでも夢を・橋幸夫さん 吉永小百合さんは二十代。あのドレスをデザインしたのは誰?今朝方には残っていた雨、弁当配達時に白龍が視えてそろそろ天の裂け目を繕う気はないかと頼んでおいたら止んだ。

 冷房を消しているのだが寒い。室温も20℃台で羽織物で凌いでいるが、下手すると暖房にしたくなる。初秋なのも有難く、夏に戻る筈もなくでこのまま本格的な秋に移行するのか。日曜日が旧盂蘭盆会であり望、翌日が処暑となるからには身体も納得するだろう。多くを望んでも叶うことは少ないなら、祈りと感謝で佳。

 最後の合唱コンクールが野外で開催されている。往く夏を惜しむ蝉の声にも哀愁が漂い、移り行く季節への愉しみにも変る。東北地方や北海道では、冬支度が始まっているのか?用意を怠ると春も怪しく転じるようで、コロナ禍への蔓延を支持されたり応援では先行きも不安ばかりだ。幾ら何でも読み間違いが酷いわよ。

 駐車場の露草が繁殖旺盛で、秋海棠の苗を消した。朝顔との色の対象は鮮やかに決まるが、雨に流されたのかも知れない。それとも我が家には適さないのか?以前にも失せてしまったから有り得る。今年は枇杷葉の種を植えていないのに、2・3ヶ所発芽しているのを見つけた。野鳥の啄んだことに依る。山茶花も苗発見。

 今年も惜しい方々が逝去された。那須正幹さんや神宮輝夫さんは最近のことだが、彼等の果たしてこられた業績に拍手を贈る。未来少年コナン、知ってますか?NHKでの放映です。これね原作があるんですよ、宮崎駿監督はこれからのイメージだそうですが期待せず読むか。図書館予約としたが、何時になるか未定です。
 
 
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小休止かな?三隣亡

2021年08月19日 | Weblog
 今朝も洗濯物は外に干せずだが、室内でも限度があって止む無く出した。弁当を作って届ける時間には小止みになり、風もあってほっとした。配達を終えて駐車しようとしたが、道路を塞ぐ大型車に唖然。クラクションを鳴らすと出てきたのに、道路は通路だから駐車するなと苦言を。一体何台分を停めておるのだ。

 近隣の迷惑になるような停め方に問題があり、何台でも結構だが立体にしてくれないか。自分地の敷地内でなら、何処であろうが構わないが常識の欠片もない。不便であったり駐車場が水でぬかるみで停められないなら、一言断りが要ろう。疵まりなこと甚だしいが、歩いて数分の距離でしょう?横着極まるばか者。

 昨夕、裏の住居人が境の木を伐ってくれた。木には罪はなく、落ち葉を掃いてくれと申し出た。箒で毎朝掃くよりは簡単手っ取り早い、今朝見たらそこら中に跡が残っている。少ししたら片付けよう。我が家の枇杷葉もあるので、諸問題は残るが意思の疎通に欠けた帰来が残る。近隣の付き合いも遠慮したい想いに。

 この数日、枇杷葉の生葉を腰や足裏に当ててが奏したらしく調子が好い。湿気が多いのに閉口して点けていたものの、身体に悪いのは明らかと止めた。すばるも寒がって膝に来る、抱っこしてと纏わりつくにもそれでは何も出来ない。気持ちが好いとみえ喉を鳴らして寝入、動けない上に腕が痺れて引き吊るのだが。

 枇杷湯に浸り塩で身体を丁寧に揉むと、不思議に痩せてしまう。あ・毎日続けることが限定で、長くしなくても短くても同じです。束子で全身を擦るのもいいのだが、清潔を保つ自信が無く諦めた。基本足元を温めれば安眠可能なので、足湯だけでも好く膝までであれば更に。枇杷葉が無ければちょっとした工夫で。

 旬の物以外は、極力戴きませんから情報に関しては全くです。でもコンビニに行くのも億劫で、家籠りが不満でもなく過ごせます。政府は庶民への注文は次々に出すが、遣っていることは自分達への都合のいいことばかりで押し通す。施策で何をしようと勝手だが案件も法案も無理難題、生活への保障が全く見えない。

 宮沢賢治の注文の多い料理店を思わせるが、結末は予測できないであろう。コロナ対策もまともに出来ず、オリンピックを強硬に遣り終えただけ。反対する者は封じ込めておき、終わった後なら逃げ切れると踏んだのか?明日への生活にも困窮している者を救わず、金の有り余っている輩にばかり支援するとは憚る。


 

 
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体調維持に緩くなる

2021年08月18日 | Weblog
 手当を全身で行なうのは相当のエネルギーを要するので、少しばかり気を抜くと体調への影響が激しい。自力で回復しようと試みているし、これまでにもやってきたことだが手間取っている。思い中る事例もあるので、全くでもない。わたくしに出来ることは祈ることと、呼びかけることでしかないのが。

 Aさんの手当での充電が完了していないのも大きなこと、高々半月のことなのだが精神力は持続できない。枇杷葉茶を飲用しているから、寝込む程ではないが消耗は激しい。身体の内面的なものは、医者でさえ不可能に等しい。心の在りようは視えてはこない。それを接することで癒そうとするのも困難。

 然し乍ら、物は考えようでもあり今月末までは気力の回復が可能。雨が降るのも身体を休める時間かも知れず、コロナ禍でなくとも出不精なので外出しなくても平気だ。命に拘わることも外出すれば酷くなるのであれば、籠っていれば困らない。他人さまのことよりも、己のことさえ覚束ないなら沈黙のみ。

 DVDでエリザベス・ゴールデンエイジの予告編にあった、トム・ハンクス主演のタイトルが判らずだったが辿り着いた。チャーリー・ウィルソンズ・ウォーで、実在の人物の物語。胸の中で2年余り沸々とした想いであったが、検索の仕様が不味かったのかその時には見つからなかった。手元に届いて満足。

 それでわだかまりが消えたのにも想い中る。世界の情勢に詳しくなくても知りたい、という思いが高じた結果であろう。時空を超える意志を止めることは出来ないし、或いは向こうに逝くのを停められない。歴史は繰り返して往く毎に、世界の模様も微妙に変化の兆しがあるのだと遅まきながらも気づく。

 雨の庭を見ていたら桔梗が咲き続けて、茎の上まで蕾がある。紫陽花を挿したのが着きミニバラに蕾があったり、ベゴニアも挿し芽で増えている。自然のもたらせる恩恵と感謝しよう、手入れも満足でないのを咲いてくれる有難さだ。韮の花も出てきたのを少し貰う、枇杷葉の根元にきらん草が生えてた。

 体調の回復には時間が掛かるが、たっぷりあることに感謝しよう。食べる物も贅沢さえ言わなければ凌いでいけ、すばるの餌さえ確保していれば煩いはないな。有難いこと、地球に棲めて生かされている幸せにも感謝。人間である以上は、何れ命を終えていくのは確かなこと。その日まで歩きたいものだ。

 
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思考回路

2021年08月17日 | Weblog
 個人の考え方は、皆の意見ではなく己の気持ちでもあろう。然しながら、それを相手への強制にしてはならないし賛同有無も不可。ブログ上で、意見のやり取りは大いにすればいいが拗れは拙いのだ。わたくしは書き込みをする時には相手の内容に合わせるが、取り方で大きな間違いになることも含んでいる。

 性別を問わずの訪問であるから、同感・同調する部分と違和感を抱くこともある。でもそれらを纏めてその方の個性と思わねば、次回からは難しいことに展開する。言葉で言うのと字を並べてのこととは大きく変わる。でもそれがブログの良さで、表情が見えないからと攻撃してはいけないのだと自負するが。

 親子であろうと夫婦なら尚更に、価値観の違いはあるし生きてきた時代でも異なろう。他人の意識を変える等、至難の技であるし無理とも思える。要は自分の気持ちの納得仕方で妥協策を立て、本質を見抜くことで落ち着くのではないか?小さな諍いが高じて、国を巻き込み世界に広がって行くのは避けたい。

 どうして?考えや生き方が違うって殺せるの?お金さえあれば良いと殺めるの?武器を造るのも売るのも止めて!どんな小さな生き物にも命のあることを、忘れないで!!殺し合いは直ぐに止めて!!!神さま、これが地球への決断なのですか?青い美しい星を消してしまわれるのですか。壊してしまうのね。

 今朝は雲がないもののどんよりとした空だったが、音もなく降りてきた雫で霧が懸かっていった。今は小止みになっているが、予断を許さない空模様だ。洗濯物は室内に干し、湿気の多さに心が蝕まれるようだ。弁当を作って届けた後、ブログの更新中。新規の訪問には出かけコメントもしておくが闇は広がる。

 Aさんの検査入院で暫くは手当がない。体調維持にも限度があったのか、左足の痺れと腰の調子に違和感がある。今朝は枇杷葉の生葉を当てて庭の様子を見れば、激しい雨に枯れた枇杷葉の葉が散乱している。朝顔は、零れ種での発芽なので赤と薄い青が見える。露草の勢いに圧倒され、百日紅は雨に咲き続ける。

 映画ね、観に行きたいのだが蔓延続行中では。命の停車場とキネマの神様だが、主演の俳優や監督に心が動く。外国映画には何かと殺し合いがセットだが、予告編にグリーン・アローが出て来てびっくり。実在したの?ヤング・スーパーマンでも出ていたが、クラークやレックスへの絡みだと単純に思っていた。

 雨の降る日の愉しみはジュリー祭りにしよう。ジェリー藤尾さんは、やすらぎの刻で大いに役者であったが、倉本聰氏の起用に有終の美を飾った。幸せを絵に描いたような家族を演じていたのも、今となっては寂しい。人生の歯車も何処で狂うかは不明だが、命ある限りは生きていきたい。老体に鞭を打ちながら。
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文月、上弦・小潮

2021年08月16日 | Weblog
 昨夜PM11時頃には天の川も北の方角から東に晴れて、流れ星も数個が観れた。南の木星もその輝きだったが、真夜中を過ぎると曇ってしまう。雨音も混じり始め、朝AM9時までは降っていた。Aさんの手当に行くようになると小降りで、河の水嵩は先日よりも低位置を保っているのに少しばかりの安堵感も。

 明日には検査入院だが、枇杷葉のエキスを補充するのが足らない。容器を入れ替えて持って行くとのことで詰めておく。体調も良いとは言えずで不安があるが、止める権限もなく黙っている。齢80を過ぎればこれ以上のこともないと思うが、其処は本人ではないので。終い支度とあるものの決断は難しい。

 長生きをしたくなくても、医者に罹れば延命なのであり薬に因って生かされる。わたくしはそれは御免だ。人間の身体には自然治癒力が備わっているから、それに逆らわず生きれば好いのだと思う。辛い想いや感情の起伏に心が添わないまま、投薬・投与はしたくない。枇杷葉で生かされるのであれば幸甚。

 旬の食べ物をしっかり摂って、無理のないあるが儘の暮らしでいたい。小さなことへの感謝と祈りで、一日が過ぎれば何という幸せなことだろう。癌であろうがそうでなくても、いつ何時に命を終えるやも知れない。では自分に与えられたことをやり遂げて別れたい。諦めるのではなく、そこからが出発だ。

 余命宣告が5年なら、その間に出来ることをすればいいの。誰でもない自分で考えて行動することに、生きている感謝がある。その命を大切に使おう。枇杷葉には再生力があるけれど、援けるには本人が判らなければ駄目なのです。どんなことにも祈りと感謝を忘れないでいれば、命は無駄にはなりません。

 けんちゃんともみの木 是非読んでみて下さい。御巣鷹山に生きるは、母親の切なる想いです。僅か9歳で逝かなければならなかったことを偲べば、わたくしはその何倍も生きて来ています。本当に御免なさい。援けてあげられなくて・・・今わたくしのできることは、枇杷葉を知って貰うことなのですね。

 癌を悪く言っても自分の身体です。飛行機は人間の造った機械です。運・不運もあるでしょうが、起きたことを換えることは出来ません。人生の遣り直しができるならと願いますか?多くを望まなければ、生き易いこともあります。選ぶのは自分ですが、後悔しても立止っても良いと思えますそれが人生。
 

 
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戦後から七十六年が

2021年08月15日 | Weblog
 戦争の終結を誓った筈なのに、国内で世界中での諍いに加担するのだろう。加えてアメリカは沖縄を基地にしてやりたい放題して、年間の武器買い上げも基地の維持費投入にさえ金を注ぎ込む。日本は戦争に負けはしたが、アメリカに屈したのではない。白洲次郎の有名な科白だ。それなのに76年が経てど依然変わらず。

 原爆症で苦しむ人々は、見捨てられ今尚傷は癒えない。政府の施策でするなら、余りにも遅い判断であり酷く無情を堪らなく感じる。何が正しくて間違いであるかを問いたい、言葉や書物で幾ら説いても、現実に困窮してなのに知らぬ顔だ。そこにこの2年余りのコロナ騒ぎである。自分の命を守ることさえも難しくて。

 国の防衛費に破格の扱いをするなら、コロナ禍は既に終息していよう。国会議員は自分達への有利な案件ばかり新設して、庶民の窮状等を歯牙にもかけない。弱者への切り捨ては平気の平左で、庶民の安寧を願う振りさえしない。それに付け入り胡麻を擂って、諸手に粟と擦り寄る輩。命への尊厳など何処にも存在なく。

 働けない者は荷物なのか?身体への不具合があるのは邪魔なのか?健常者だけが住み易く、便利で快適優先であれば好いのか?高齢者への労わりは、機械化さえすれば何もかも明るく過せられるのだろうか。皆が人間の心を置き去りにして、綺麗で素晴らしい生活を望んだばかりに崩壊が始まった。青い地球という星の。

 今朝の明け方まで降り続いた雨も、今は止んで青空が見えている。それでも不安定な天気は変わらずで、次第に雲は広がってしまった。身体が冷えるので腰に枇杷葉の生葉を当てているが、数時間で真っ黒になる。左足の調子が何となくで、日曜日は自宅での自粛に徹して庭に出るのも極力控えて過ごす。治療に専念で。

 DVDでクラウド・アトラスを購入して届き、観ていたら更新が今になった。スケールが巨大なのだが要は、何度も繰り返し生きて死ぬこと。神の与えた使命は個々に異なるが、それを行う時に感情が左右しては場面が変わる。わたくしも決して聖人君子ではないから、或いは誰かを殺めたこともあるのかもしれません。

 人が殺し合うのは、生きていくためなのでしょうか?戦を止めさせる手立てには何が必要なのでしょう?勇気もやさしさも、絶望や決断の力にも因るのでしょうか?その時の状況で守る者も変り、使命も違ってくるのでしょうか。話してみて差し伸べる手を放さないで、遠くへと離れないで見守ってはいけないのかな。

 わたくしは哀れみも要らねば、蔑みも同情も必要ではありません。持てる物は何もありませんが、信じることはできます。そうして命は何物であろうとも等しいのです。この青い星を壊さないでください。命への賛歌は凡てのもののものです。人間だけが素晴らしいのではなく、それらの命に因って援けられています。
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文月、旧七夕・小潮

2021年08月14日 | Weblog
 先日ネット画面が突然変わってしまい、以前のに戻る。機械オンチなので何がどうなったのかが理解できず、触ったら更なる困難になると放置し復帰。昨日は、午後から雨は中断していたのも夕方には降り出す。どんなに天を観あげても、星は一つもなく天の川の危険氾濫。今朝も洗濯物は室内干しにしている。

 Aさんの手当に向かうが、一級河川の水かさは増しておりこのままだと浸水も。避難する程ではないものの、予断は許されず危険は迫る。人間が、山を切り開き土を埋め立てて建物を増やした結果だ。温暖化だけの影響ではなく、無論自然災害でもないのは明らかだ。便利で簡単な快適さを求めた大きなツケだ。

 雨が降るので外仕事ができないので、水遣り免除は有難くも鉢の移動に思案する。月末までには何とか片付けられる予定、その頃には涼しい気温にもなっていよう。クリスマスローズの鉢を見栄え良く配置したいし、全体の雰囲気も換えたい。家籠りの愉しみは庭いじり位であるから、じっくりとの対処なのだ。

 予定は未定なことが次第に多くなるが、歳を重ねる毎に横着度も次第に増えていくのは頭の痛い処。一日は24時間であるのを失念し、皆がそれなりの趣味を愉しんでだと思ってしまう。勘違いは平行棒とも云うが、似たような者でも以って非なるである。未だに想い煩うことばかりで、心を塞ぐ事例が多く複雑。

 足湯に来る娘さんが持って来ていた白桃を戴く。果汁は滴り甘くて美味しさも最高で、冷蔵庫に仕舞っていたのを忘れる処だった。雨が降り気温も下がってなので、ここ数日は涼しいを通り越して寒いのだ。で・冷房を切ったのは良いが、湿気で黴が生えたのには困った。それ位湿気の多い初秋でもあり驚きだ。

 例年には、旧盆・旧七夕も雨に見舞われることが少なかった。台風の接近は致し方なくだが、風があれば雲間も晴れるのに今年はどうなの?予測付かないことでもなかったが、何とも不安定な気温であることか。異常気象の原因は、人類が起こしている事実であり消すことの出来ない事実でも。ライラの冒険か。

 手塚治虫氏の作品に、フイルムは生きているがある。キネマの神様の粗筋を読んでいたら、本棚に置いてあるのに眼が留まった。偉大な作家を生き返らせる方法はないが、作品への読み直しは出来る。日本は、戦争を二度としてはいけない・九条を換えてはならない。核の廃絶は尤もなことであるのを忘れない。

 
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旧盆・迎え火、天一天上・文月

2021年08月13日 | Weblog
 昨夜、PM11時頃に外に出てみれば、東と北側から西への天が少しの晴れ間であった。小さなのが流れてそれっきり、次第に雲が広がっていった。真夜中を過ぎて玄関を開けようとしたら、激しい雨音がしている。明日に望みをかけ枇杷湯に浸って眠り、今朝はAM6時過ぎの起床でAさんの手当に出かけた。

 年金の支給日にて、支払いを済ませて帰宅したら雨が止む。枇杷葉の生葉を少々採って、腰と足裏に貼るべく葉先と軸を切る。靴下を下げて足裏に貼り付けて、そのまま歩行しているがじんわりと温かい。幹部への負担も除き、第二の心臓とも云われるので重要箇所でもある。鈍痛が和らぎ消えていくのだ。

 捻挫や打撲・強打には、生葉を当てて一枚を巻き付けたりが良い。或いは焼酎に漬けて置いた枇杷葉をエキス毎を、貼るのも効果が大きい。怪我をしなければ好いのだが、そこは多忙さに慌てることも出て来る。そういう時には騒がず即の手当にされたい。医者に行けば時間も金も掛るので遠慮したいもの。

 水の大切さは体内に取り込んで命の素になるからで、邪念・病を寄せ付けず祓う。屋内には水道水が通っているからと呑気にしていたら、危なくなることも起きる。こういうことには、規定観念の立場から井戸水や湧き水を悪し様に謂う場合が多い。飲んでみれば自分に合うかどうかは明白であるのだが…

 わたくしはAさんちから水を戴いているが、洗濯や風呂と水洗には水道を使う。そのままでは体調不良に陥るため、枇杷葉茶の後を入れて使用している。そのため洗濯もその残り湯で。アトピー反応や汗疹も消えた。体臭は直ぐに無くなり、枇杷葉のやさしい香りに満たされているのが何よりもうれしい。

 猫や犬の独特の臭いにも効果が大きい。無論、市販品を買えるならそれでよろしい。だが基本そういった人工的な臭いを好くのだろうか?人間が勝手に思うだけで、ある意味迷惑であるようにも思える。枇杷葉は自然の香りでありながら体臭を消す働きをして、枇杷葉茶飲用で排泄物も臭いがやさしいの。

 枇杷葉が大薬王樹と謂われる所以だが、活用方法や効力を知っていればいざという時に困らない。災害時にも大いに役立ち、これに塩も用意して酢があれば鬼に金棒となる。何れも殺菌作用が大きく有、病院に行かねど医者に罹らずとも案じることがない。防災項目に必須記載されては如何かなと思うが。

 わたくしは保険証を返したので尚更に医者には罹らない。枇杷葉があれば、何をどうすればいいかも判るので動じない。人間であれ何であっても命は一つだから、援けられるのであれば隔てない。偉大な者には程遠いが、それがわたくしに与えられた使命でもあると信じている。視えることへの恩恵なの。
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遥かなる呼び声・・・

2021年08月12日 | Weblog
 その声は突然聴こえた。何処からかは不明だが、眼の前に現れた黒い瞳が訴える。ブログでは10日程の休みだと書かれていたが、突き上げるような不安は何?誰かが、信号を・念を送っているのは確かだった。1ヶ月後にその理由が解明するが、自分では出来なかったことも同時に分かり書き込みで枇杷葉茶送付。

 宅配業者の不手際で、午前中に行くのが午後からとなった。生物や割れ物ではないのだから、それくらいの事で遅らせないでと伝える。アビーは盲導犬、今までに多くの献身をして病に倒れた。飼い主は一縷の想いで居ただろう、差し伸べられるならこの手を掴んでとの祈りに応えてくれた。感謝以外にはないわ。

 けんちゃん、ごめんね。あの時に差し出された小さな手を、わたくしは掴めなかったの。怖くて恐ろしくて身体が瘧のように震えて、眼の前のあなたを助けられなかった。数年前にいせひでこさんの個展に惹きつけられたのも、この本との出遭いを想って…。人との繋がりには、信じられない不可思議を併せ持つ。

 わたくしのブログは、新興宗教でも特殊な教団でもありません。誰でもが経験や体験することでないのは確かですが、引き寄せられたりするのも明らかなこと。それに潮の満干潮や月の大きさにも無関係ではないだけ。何がどういった働きをするのか?どんな影響を齎せるのはさだかでないが、気づけば傍に有る。

 他人を批判したり苛めたりは、誰でも出来ることで遣っていることに気づかない。わたくしは自分がそうされたら厭なので避けて、出来れば傍で見守りたい。枇杷葉の威力を知って貰いたいが、押し付けも強制も出来ない。どうぞ必要とあれば、おっしゃってと祈る。わたくしは枇杷葉を繋げる者で、自然へ感謝。

 ブログに書いていく文字や言葉にも、心して記述しているが通じないこともある。許してではなく赦されるように、感謝と祈りを忘れまい。自然への森羅万象としての神にであれば、思考しただけで伝わる。神さま、アビーの声を届けてくださり感謝です。人間に尽くしてくれた愛情への償いをどうかさせ給えと。

 自分の命を助けて貰いたいなら、自然を慈しみ存在を認め感謝したい。どんな小さな物にも、或いは物言わぬ相手でも愛そう。苦手な生き物はいますし、厄介な相手も居りますが凡ての生命体は、人間の為に役立ってくれます。その命への感謝が、心中に失せてしまえば助かる命も援けては貰えないと信じている。
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