モノクロ時代
4か月ほど前から昔のモノクロ時代の写真をデジタル化している。
50年ほど前のネガは保管状態が良かったものと悪かったものが有った。
50年前はまだカラーフイルムは高価で手が出ないような状態だった。
保存されたネガは殆どがモノクロ写真だ。
とにかく自分が歩いて来た道の記録としてどんなネガでも再生して置こうと思い立っての事だ。
記録の主なものは家族の写真だが、日曜日に撮影に出かけた時に自分の目で見たものの記録も結構な枚数ある。
そんな中から富士山の写真を紹介して見ようと思う。
月4回の貴重な日曜日の内、2回は愛車を駆って富士五湖に出掛けたものだ。
我が家を早朝4時に出かけ、山中湖に着くのは7時頃だ。
そこから忍野村に回り、撮影を終えて9時頃には河口湖、西湖、精進湖、本栖湖と回り、夜8時頃帰宅するのが、一日の撮影行程だった。
写真展などで見かけるドラマチックな写真を撮ることは殆ど出来ず、平凡なありきたりの写真が多い。
当時の我が愛車。
国民車として低価格の車がこの頃発売された。
本多シビックとこのマツダファミリア?だったと思うが、この二車種が発売され、老骨はマツダを選んだ。
当時の価格で85万円くらいだったと記憶している。
1980年頃の忍野村。
田んぼが広がる片田舎の感じの村だった。
晩秋の田んぼの稲掛けには刈り取られた稲が掛けられている。
こんな風景もあった。
これはどのような状態だったのだろうか。
藁束を重ねて積み上げたようなものが立ち並ぶ。
今でもこのような風景が見られるのだろうか。
早朝の事、何かを燃やしているのだろうか、雄大な富士をバックに白煙が立ちのぼっていた。
忍野八海の富士。
茅葺屋根が健在。
ここは忍野八海の内の一つ、名は失名したが、現在はこの池の周囲に柵が巡らされ見学は有料となっている。
当時は柵などなく自然そのものの情景を楽しむ事が出来た。
忍野より見る冬の富士。
雪を戴いた荘厳な富士。
気温はマイナス5度くらいだった。
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