武蔵国分寺金堂跡
「国分寺文化財資料展示室」を後にして100メートルほど行くと国分寺金堂跡に出る。
此処は金堂の礎石が昔の儘で残っている。
奥の礎石の腰を下ろし憩う夫婦の姿があった。
周囲にはしだれ桜やソメイヨシノ等の桜が植えられ、春ともなれば桜の花で囲まれる。
ここには桜とは違う大木がある。
名前は分からないが多分「桐」の仲間だと思う。
木肌の文様がアートっぽくて面白い。
夏は大木いっぱいに葉を広げ広い範囲に影を落とし、訪れる人々の涼み場所となる。
武蔵国分寺金堂跡
「国分寺文化財資料展示室」を後にして100メートルほど行くと国分寺金堂跡に出る。
此処は金堂の礎石が昔の儘で残っている。
奥の礎石の腰を下ろし憩う夫婦の姿があった。
周囲にはしだれ桜やソメイヨシノ等の桜が植えられ、春ともなれば桜の花で囲まれる。
ここには桜とは違う大木がある。
名前は分からないが多分「桐」の仲間だと思う。
木肌の文様がアートっぽくて面白い。
夏は大木いっぱいに葉を広げ広い範囲に影を落とし、訪れる人々の涼み場所となる。
国分寺市文化財資料展示室
尼寺跡を後にして、府中街道を渡ってすぐの所に国分寺市立第4中学校がある。
その一室に「国分寺市文化財資料展示室」がある。
目立たない場所だけに、うっかりすると通り過ぎてしまう。
此処とは違う場所、お鷹の道に「国分寺市武蔵国分寺跡資料館」があるがそこよりは規模が小さい。
この武蔵野の地に暮らした古代人の生活用具、国分寺造営にかかわる資材、七重の塔にかかわる古文書等が展示され、天平時代の生活様式と建造物の建設技術の素晴らしさが窺われる。
国分寺史跡を訪ねたら一度は寄って見て欲しい資料館だ。
武蔵国分寺尼寺跡
黒鐘公園を抜けると前が「武蔵国分寺尼寺跡」だ。
以前に何回か紹介したところだ。
だんだん整備され、尼寺の全貌が想像できるようになっている。
案内板も綺麗に作り直されていた。
これを見るだけで当時の様子が想像できる。
案内板の先に金堂跡が見える。
なかなか立派なお堂だったらしい。
出土礎石が置かれていた。
この石の上に柱を立てたのだろうか。
この石は奥多摩方面から運ばれてきたものらしいと書いてあった。
黒鐘公園内
伝応寺跡を後にして丘を下るとすぐ前が黒鐘公園の入り口だった。
入り口を入るとすぐにこじんまりとした池と藤棚があり、その下にベンチが置かれている。
この公園は春は桜の名所として市民から親しまれている。
今はまだ公園全体が冬眠中と云ったところだ。
藤棚の反対側から見る。
今朝は暖かかったのか池には氷が張っていなかった。
夏ともなれば子供たちの格好の遊び場になる。
気が付くと池の中にサギ(名前不詳)が一羽片足を上げて立っていた。
撮影しようと少し接近したところ、逃げられてしまった。
逃げた後を追うと小高い木の枝に止まっていた。
70ミリいっぱいでは鳥が小さすぎのため、全画素超解像ズームで2倍の140ミリにセットし、何とか撮影出来た。
写真はその画像をトリミングして拡大したもので、この撮影に使ったカメラは35ミリフルサイズのソニーα7だ。
黒鐘公園へ
書類紛失騒ぎが一段落。
午後普段と違う散歩コースを歩く。
泉町3丁目から多摩総合医療センター脇から黒鐘公園に向かう。
だらだら坂をのんびりと下る。
上の写真右側の歩道に「市の鳥」と書いたプレートが貼ってあった。
此処は府中市なんだ。
府中市の鳥は「ひばり」のようだが、今でも「ひばり」がいるのだろうか、今から40年ほど前までは我が家の前の麦畑に「ひばり」が巣作りをしながら空高く舞い上がって鳴いていた。
今思うと夢のような時代だった。
府中市には現在でもそのような所があるのだろうか。
ちなみに国分寺市の鳥は「かわせみ」だ。
暫く行くと看護師さんの学校があった。
その門の前にこんな像が建っていた。
衣装を纏っているのでもともとどんな像かは良く分からない。
像の少し先、道路の左側にこんもりとした林がありその入り口に「国分寺尼寺跡」の案内板があった。
道路の右側が府中市、左側が国分寺市らしい。
案内に従って横の階段?らしき所を登ってみる。
着いた所は小高い丘のような所だった。そこにまた案内板があった。
伝応寺跡の文字が見える。ここにお寺があったのだろう。
今は雑木林の広場が残るだけだ。
登ってきた道の反対側は「伝鎌倉街道」となっていた。
鎌倉街道は新田義貞が鎌倉攻めの際通った道と云われている。
しばし鎌倉時代に思いを馳せる。
歳は取りたくない
昨日は、3月上旬の暖かさだった。
今日は午後に散歩に行くと決めていたが、午前中に市民税の申告用紙に記入するための資料をそろえて置こうと思い、保険の支払証明書、医療費明細書、そして年金源泉徴収票の3点を何時もの重要書類入れに入っていることを確認した。
ところが肝心の年金源泉徴収票だけが書類入れの中に入ってなかった。
ん・・・・確かに入れたが・・・・・と書類を入れそうな他の引き出しをすべて調べたがどこにも無い。
さあー大変と半ばパニック状態になり、何度も色々な所を探したが見付からない。
遂に(ボケ)来たかと自嘲。
落ち付を取り戻すためにお茶を一杯。
落ち着きを取り戻してから再び探す。
あった~~何のことは無い何度も確認したはずの重要書類入れの中に入っていた。
他の書類の間に挟まっていたのだ。
歳は取りたくないなあ~~~と苦笑い。
午後は気分よく散歩に出る事が出来た。
暖かくてコートもいらないくらいだった。
今日は何時もと違うコースを歩く。
お雛様
暖かかった一日鷹の台方面に散歩に出る。津田塾大学前の玉川上水脇の遊歩道を歩く。
何時もの散歩道だが冬枯れの雑木に囲まれた遊歩道は見通しが良い。
陽光が頭上より降り注ぎ気持ちが良い。
鷹の台駅より南に3分位の住宅街の中にひな人形店がある。
散歩のたびにウインドウ越しに店内を見ている。
奥行きのある細長い店だ。
両側には今の時期ひな人形が所狭しと並べられている。
ウインドウのガラス越しに内裏雛を写して見る。
素晴らしい内裏様だ。
こんな可愛らしい人形もあった。
人形の表情も良いが衣装がまた素晴らしい。
ウインドウ越しに人形を見ていると、そこにこの店の主が隣の家から出てきて是非店の中を見てくれと云う。
興味津々店内に入った。
店内にはデパートや人形店で見る雛飾りとはまるで違う印象の人形が並んでいた。
実に絢爛豪華、気品あふれる顔、そして衣装の素晴らしさに目を瞠る。
暫くして店主の人形についての話が始まった。
この人形は信州方面に本社がある人形制作会社の制作になるもので、すべて人形つくりの基本に忠実に作られている。
最近では、団地向きの雛飾り、特に内裏雛の制作に重点を置いていると云う。
それにしてもこの豪華な内裏雛の価格の安い事、デパートなどで販売されている価格の半額以下だ。
店主曰く、YT作のひな人形と云うだけで、そのネームバリューによって価格が吊り上げられているのだと云う。
一時間ほど話を聞いて店を出た。
このような店がこのような片田舎の住宅街にあること自体勿体ないような気がした。
鉢植えの梅満開
一月中頃だったろうか、鉢植えの梅の花が一輪咲いたことを紹介し、春近しの感があると書いてから、約3週間たった。
今満開を迎えている。
一輪咲いてから今日まで約3週間。
この間、寒暖の差が大きく雪なども2~3回降った。
そのためだろうか、満開になるのに意外と日時がかかった。
この間、東北・北海道地区では大雪に見舞われている。
住民の苦労は大変なものだろうと思う。
話は飛ぶが、国外では「イスラム国」に捕らわれた日本人ジャーナリスト人質殺害事件があり、その無残さに多くの人々が涙し憤りを感じた。
この3週間の出来事は一生忘れられない記憶として残ることだろう。
ブログの始まり
月日のたつのは早いもので、ブログを開設して今月2月5日で満8周年となった。その間毎日更新と云う目標を立て今日までアップしてきた。
開設日のブログ
初日は2007年2月5日だった。
開設はしたもののどのような内容のブログにするか全くわからず手探り状態だった。
この状態は残念ながら現在も引きずっている。
ちなみに今日のブログの閲覧状況を調べて見た。
8年間の記録 (76歳~84歳)
トータル訪問者 231,066
トータル閲覧数 708,650
訪問者順位 gooブログ総数 2,126,322 中 12,000~16,000 位
(日によって異なるが大体この範囲)
アップした写真 10,020 枚
開設以来の日数 2,927日
以上が今日までの記録だ。
我ながら良く続いたものだと思う。
この間更新しなかった日は100日は無いと思う。
自分に毎日更新と云う義務付けのようなことを強いたことにより、ボケ防止、健康維持に繋がっているのではないかと思っている。
今後とも続けて行きたいと思っているが、ブログの方向付けが全く決まらず、支離滅裂な状況が続くかもしれないがご訪問下さる方々にはお容赦頂きたいと思う。
何時まで続けられるか分からないが出来るだけ長く続けて行きたいと思っている。
何とか様に・・・・・
青空バックで花を強調しようと、青空をバックに出来るような花を探す。
レンズの焦点距離が長かったり短かったりでなかなか思うように行かない。
花に立体感を持たせる光の関係もレンズの焦点距離と重なり、フレーミングが良ければ、光の具合が悪い、光の状態が良ければレンズの焦点距離が合わない・・・・・・悪戦苦闘の結果がこの様だ。
何ともお粗末な結果に終わったが、またいつかチャレンジすることにして撮影を断念する。