変わること、新しいことが美徳とされる世の中の流れが気色悪い。
そんなに変わらなきゃいけないのか。 俺はそうとは思わない。
戦前から残るビルをことごとく壊し、おんなじようなビルばかり建て、
日本中どこも同じような景観にして、つまらない町並みになっている。
そんなことにも気付かないのかな、土建屋や待ちづくりとやらをやってる連中は。
食の世界も同様、スクラップ&ビルドみたいにそうそう新しいものが生まれてたまるか。
考え抜いて考え抜いて、一世代で残せるものはせいぜい一つ、二つ。
包み紙を新しくしたところで、なんにも変わっていない。
ならば変えないことの方が美しい。
食材の味自体が落ちていると言われる時代、変わらないようにするためには
目に見えないところで、実は変えていなければいけない。不条理なようだが。
ってことではないが、北区浪花町の「かね又食堂」。
ここは本当に変わらない大衆食堂。
戦前、松島にあった本店から暖簾分けであちこちに10軒ばかりできたと
織田作之助は小説「アドバルーン」に記す。
親方に教わった通り、味も変わっていないと見る。
普通に工事のオッサンやサラリーマンや、近所のおばはんやらが食べにくる。
日常に食べるものはコロコロ変わっては精神衛生上悪い。
ほっとでき、安心できるものでないといけないのではないか。
日々、驚きをもって接するメニューなど、一分の食バラエティにまかしておけばいい。
おでんと呼びたくない、関東煮(かんとだき)。
オダサク愛したのもかくやと思われる、どてやき。
白味噌を使ってコトコト煮込むのだが、糖分と脂と熱の作用により
メイラード反応を引き起こし、こうしたまっ黒いスジ煮込みになる。
うまし!
ガキの頃は駄菓子屋の関東煮に入るスジが何の肉だか気色悪くてよう喰えなんだ。
今はへっちゃら。
そして…戦前からのここ、かね又の看板商品がこれ。
シチュー。ジャガイモと玉ネギと牛肉バラを煮込んで、塩味で整えている。
シチューやカレーになる前段階のものみたいだ。
しかし、これがまた、具だくさんのけんちん汁風に曲解して受け入れられたのだろう。
これがイケるのである。
私の父親やじいさんたちが喰ったようなものを、同じ顔して自分も食べる。
これって案外大事なことではないのかと思うのだ。
同じ釜の飯ではないが、同じ物を食って同じものに惹かれて
それが血肉となり、営々と繋がっていくものではないのか。
そんな気がしてならない。
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