(2)が貸出中のまま、二週間近くが過ぎた。そろそろ返却されたかな…と思って度々図書館に立ち寄ってはみるが、未だ出合えていない。そういうわけで、2巻を飛ばし、3・4.5巻で語られる 「ハンニバル戦記」を先に読み始めたら、これがかなり面白い♪ 私が高校の頃は、普通科であれば、まず1年生では全員 「現代社会」を学び、高校2年では、「倫理・政経」或は「地理」のいずれかの選択。私は「倫理・政治経済」を選んだ。地理を選んだ同級生たちは、試験前になると、「カタカナの地名を覚えるのが大変だ!」とため息をついていたっけ。一方、私はカタカナとは無縁だった。 高校3年になると、「日本史」か「世界史」かの選択。 すでに英語にハマっていた私は、「将来、きっと海外へ行く。その時、聞かれるのは日本のこと。日本人が日本の歴史を知らなければ恥ずかしい」という理由から日本史を選んだ。 最も大河ドラマ等で小学校低学年の頃から日本史には馴染みがあり、面白くもあったからなのだけれど。この時もやはり世界史を選択した同級生は、「カタカナの地名に、カタカナの人物名に…あ・・・あたまが・・・」と嘆いていた。受験科目としては日本史の方が世界史、地理よりも平均点が低く、どっちともいえはしなかった。 ここでも私は 「カタカナを暗記する」ことから逃れられたってことなだけど。そして とあるスーパーで働き始めた時も、「すべてカタカナで書いてあるコカ・コーラの検品を読み上げるのに苦労した」訳よねえ。(苦笑)
前置きが長くなったが、友達が面白い♪と教えてくれなかったら、100%手に取ることはなかった、「ローマ人の物語」。 これは上記の理由からも間違いない(笑) 1巻では、幼い頃、母に買ってもらって読んだ本、「ギリシャ神話」、留学時代に読んだ「ソフィーの世界」、社会学を学ぶ内、ギリシア哲学とギリシアの歴史を調べだしたあの頃の「好奇心」が復活し、最初の一冊だけで、心は世界の果てまで飛んでいった。時空を超えてギリシアへローマへ、そこへ向かったのは現代の自分というよりは、20代後半の研究者魂に火がついていたころの若かりし自分だったりして。 こんなことができるのは人間のみに与えられた特権。 動物は今しか生きてはいない。 文字と想像力を持つ人間は2000年以上も前の時代を生きた人達のことを書物を通して垣間見ることができる。なんてありがたいのだろう。
海に囲まれたローマは伝統的に海に強いのだろうと勝手に思いこんでいたが、海に通じていたのはギリシアで、むしろローマ人は陸路に強かったようだ。3巻では、そんなローマ人が一体どのように海軍を大急ぎでこしらえ、海に乗りだし、独自のアイデアで自軍の船から相手の船へと飛び移り、船の上での陸上戦に持ち込んだか? 分かりやすく書かれてある。 当時、アフリカには大国カルタゴがあり、ローマは長年に渡り、この大国と対峙することになる。第一次ポエニ戦役が始まった紀元前264年、(241年に終わる)日本はまだ弥生時代だ。こんな時代にすでに共和政ローマは法律を作り、執政官を貴族、平民から選出し、兵役でもって税も納めさせていたのだから驚きだ。世界史を全く知らない私にはすべてが目から鱗状態!2世、3世政治家ばかりが君臨し政治とカネの話題に尽きることがない現代の日本の政治の世界より、古代ローマの方がよほど風通しが良さそうじゃないか、と思ってみたりもする。
そのローマはシチリア島で第一次ポエニ戦役を始め、シラクサと同盟を結び(263)、紀元前260年以降、ミラッツォ沖海戦、パレルモ沖海戦、リカータ海戦、ヘルマエウム沖海戦、エガデ亻諸島沖海戦後、シチリアを属領とし、更なる税制、選挙制、軍制改革を行うのだから。 スペイン一帯を領地としていたカルタゴ軍の司令官、ハルミハルの子、ハンニバルがその後、長年に渡ってローマを翻弄するのよね…。 父、ハルミハルから いつかローマを…と教えられ育てられたハンニバル。 父の教えは強大だ。 紀元前218年、若干28? 29歳のハンニバルが当時は戦車の役割をした象まで引き連れてピレネー山脈を超えをした時は、後の時代に生まれた自分でも、あっけにとられた。ピレネー山脈は子供の頃、「走れ!ジョリー」というピレネー犬の物語をNHKで見ていたから馴染みがある。アルプスといえば、言うまでもなく、これまた幼児期から見ていたハイジ。 ゾウは寒さに弱いため、アルプスはどうにか超えても実際には冬のヨーロッパでは自軍内で暴れて役には立たなかったようだが、それでも…ねえ。 当時のローマ人が不可能と信じて疑わなかったアルプス超え。季節は冬の始まり。 「ハンニバル、アルプスを超える」の一報がローマの指揮官に届けられた時、どんな面持ちだっただろうか。想像すると… おまけに冬は「休戦」がそれまで常識だったローマ人にとっては、この常識が全く通用しそういないハンニバルを相手にするのだから… 冬になればローマ市民兵はローマに戻り、市民集会に参列、同盟国の兵士も帰国するというのが常だったようだ。 初めての冬季戦に臨むローマが相手にするのは冬でも戦闘を望んだハンニバル。 ローマの執政官はコルネリウス。 奇襲やだまし討ちも手の内、というハンニバルによって、その後もローマ軍は苦労する。 ハンニバルの奇想天外さは目を引いても、それ以上の気持ちはなく、読みながらローマ頑張れ!となる。 アルプス越えのあと交えた一戦によってしコルネリウスも重症を負う。 しかし、間一髪のところをこの日、初陣だった同じ名前を名乗る息子、17歳に助けられる。スキピオの登場だ。 ただ彼が大活躍するのは これより16年後のお話。
(ここまでが3巻。すでに図書館に返したため、著書は手元にないが…)
私が大学3年生の時、イラクのフセイン大統領がシリアに侵攻したことが一つのきっかけとなり、湾岸戦争が始まった。それまで平和ボケの日本と呼ばれ、戦後生まれの私達学生にとって、戦争はすでに過去のもの、という感覚で生きてきた。 ドイツを東西に隔てていたベルリンの壁も崩壊し、ソ連はロシアに解体し、長年続いた冷戦も終結。今後は米国を中心に世界情勢も落ち着くかと思った矢先の出来事だった。
湾岸戦争勃発のニュースは、大学で講義を受けていた最中に知った。その日、アメリカ文学を専門に教えていた教授が少し遅れて講義室に入ってきた。私達に向かって発せられた最初の言葉が、 「今、戦争が始まった」だったのだ。 急いで自宅へ戻り、テレビをつける。目にした映像は、テピンポイント攻撃の映像…最初に目にした映像に人の姿は見えず、ロケットのようなものが一瞬ピカッと光って消える。まるでテレビゲームか何かの映像のようで、まるでリアリティがなかったことを覚えている。 あの空爆によって開戦となった湾岸戦争のことが、塩野さんの著書の中でも触れられている。 カンネ 第4回戦のところで、だ。(99ページ)
「空爆によって始まった湾岸戦争も、地上戦に突入するのはもはや時間の問題、と全世界がかたずをのんで見守っていた頃のことである」と・・・。いつもは多国籍軍や夜間攻撃を受けるイラクが画面に移し出されるが、この日はイタリアからの中継で、麦畑の光景だったらしい。 CNN記者は、次のように述べたという。すべて引用すると、
「わたしが今立っているのは、南イタリアのカンネ地方の平原です。ここは、今から二千二百年昔の紀元前二一六年に、ハンニバルとローマの間で大会戦が行われた場所です」… ハンニバルがどのような戦術を用いて、数では優秀だったローマ軍を破ったかを説明していた。…略。
「カンネの会議は、戦史研究では欠くことの許されない戦闘(バトル)であるために、陸軍士官学校ならばどこでも学習します。ということは、シュワルツコフが知っていると同じに、イラク側の将軍たちも知っているということです」 ”日本の防衛大学ではどうか知らないが” と塩野さんが付け加えているとこが笑えるが、この時、ハンニバル31歳。 塩野さん曰く、「ビリヤードでもポーカーでもカモとみた素人に対して熟練のプロがよく使う手を使ったにすぎない。はじめのうちは勝たせておいて、その後でごっそり、というやり方だ」(106ページ) アルプス越えの後の一戦で ハンニバルが知力を備えているか知っているローマ軍の司令官は、相手の策にハマらぬよう当然、用心深くなる。 そのことを感じつつハンニバルが取った熟練ポーカーのような策だったようである。 現在、真田丸が放映中で、こちらの「策略」も三谷幸喜氏に描かれれば10倍面白くなるが、映像ではない活字だけの著書でも負けずに面白いのだから、たまらない。ハンニバルが考えた包囲作戦… によりローマは完敗した… しかし、私が感銘を受けたのは、完敗の知らせを静かに受け止めたローマだった。捕虜になることを恥とし命を絶った第二次世界大戦中の日本とは違う。(もちろん、皆が皆ではかっただろうが) ローマ人は捕虜となることを恥とは考えなかったらしい。ローマは残った兵士、執政官ヴァッロを 元老院議員をはじめとする全市民が城門まで出迎えて労をねぎらったというから、なんと成熟していたのだろうと改めて思う。 何はともあれ、大きな痛手を負ったローマだったが、このままではない。その後、第二次ポエニ戦役後期で主導権を握ったのはローマの方だったのだ。 いよいよスキピオ登場だ!
スキピオ26歳。彼の父と叔父の敗北で失った、スペインでのローマ勢力をわずか一日の戦闘で奪い返してしまう。詳しくは著書で読んで頂くとして、(興味があれば) 私がスキピオに惹かれる最大の理由は、スペインで暮らしていた人々に対して彼がどうしたか、という点にある。降伏した人々を集めた彼は、女子供のグループ、職人のグループ、男のグループの3つに分けた。女子供は即、帰らせた。男のグループは、年齢、体格とも良好な人を選び出し、ローマ軍船の漕ぎ手として有事のみ働いてもらったらしい。カルタゴ軍が完全に去った後には、彼らも自由に帰宅させると約束をして。 職人のグループはローマの工兵として働いてもらい、もちろん平時は帰宅してもらったという。 誰一人奴隷になることもなく、捕虜としてローマに送られたのは、有力者のみ、だったというから、スペイン現地の人もいたく感激したらしい。 そりゃそうだろう。 カルタゴ軍は力で圧してきたのだから。
もう一つ、面白いエピソードがある。この街に美しい娘がいて、スキピオの寛大な処置に感動した長老たちが、その娘をスキピオに贈りたいと申し出たという! その時の彼のセリフが たまらない。
「個人としてならばこれほど嬉しい贈物もないが、戦争続行中の司令官となると、これほど困る贈物もない」 塩野さん曰く、「六十歳が言ったのならともかく、二十代の若者の言葉であったから効果も大きかったのだ」 (218ページ) 全くもって、その通りでして 2000年以上も昔、ローマを生きた若者スキピオに
胸キュンな東洋の島にて2016年を生きる
おばちゃま~ 古代ローマの旅は
しばらく
続行予定
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