日々のあれこれ

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ローマ人の物語 ユリウス・カエサル(ルビコン以前8・9・10)(ルビコン以後11・12・13)

2016-06-22 23:03:05 | 読書

 どのようにヨーロッパの歴史が形作られていったのか、ユリウス・カエサルによる「ガリア戦記」を辿っていくと見えてくる。これより以前、カエサルはスペイン統治を成功させ、ポンペイウスも地中海全域を覇権下に収めている。ガリア、ゲルマン、遂には島であるブルタ二ア… (現在EU脱退するか否かで揉めているが…)ジェントルマンのイギリス人も当時は長髪&髭で毛皮をまとった原住民族。カエサルによってイギリスの歴史も始まるのか…と何も知らずにいた私は、今更ながら驚くのであった!!!

  当時のローマでは「元老院派」がカエサルとポンペイウスを排除しようとしていたが、二人にクラックスを加え、「三頭政治」の密約を交わすことを提案したカエサルだった。のちにクラックスがこの世を去り、ポンペイウスとカエサルが対立し、ローマ人同士による闘いとなるのだが…。まずは塩野七生さんによる『ガリア戦記より』

 『ローマ人は、その中でもローマ人であることを強く意識するカエサルは、誓約をことのほか重要視する。多神教のローマ人だから、神との契約ではない。人間同士の誓約である。たとえ異人種でも対等の人間と認めるがゆえに、交わされた誓いを信じるのである。武士に二言はない、という言葉をもつ日本人のほうが、一神教的な契約に慣れた欧米人よりも、ローマ人が重要視した人間同士の誓約にこめられた心情をよりよく理解できるのではないかと思う。

 戦いを起こすこと自体は、カエサルにしてみれば罪ではなかった。しかし、いったん交わした誓約を破り攻めてきたことは、明らかに罪に値したのである。人間であることを放棄した者には、彼にしてみれば、奴隷がふさわしい運命だった。(塩野七生・著『ローマ人の物語』ユリウス・カエサル ルビコン以前(9)新潮文庫 1995 152ページ3行目~11行目)より抜粋』

 「誓約」を一方的に破棄して北方領土になだれ込んできた旧ソビエト連邦を思い出してしまう。戦後71年…一時期、民主の前原氏が「解決」に向けて、かなり本気だったように思えたし、今も変わらない想いだろうが、両者(日露)あってのことだから…安倍総理もプーチンに踊らされている気が… ローマ人の物語を読みながら、日本の歴史や現代の世界情勢と重ねてしまう。UKが仮にEU離脱することにでもなったら、カエサル以前の時代へでも逆戻りしそうで… カエサルがここまで苦労を重ね作り上げたヨーロッパの「平和」。カエサルが抱く古代ローマによる統治は、まさしくEUの理念に近いものだと感じる。…勝った者が負けた者に何をしても良いというのではない、昨日の敵であっても罰を与えず自由にしている。(唯一の例外が自ら進んで捕われの身となったヴェルチンジェトリックスではないか。有能すぎるため、生かしておいては危険だということで…)言葉もラテン語に統一しようとしていない。当時のローマ人はむしろギリシア語を熱心に学び、共通語として使用している。多神教のローマらしく、現地の土着宗教も認めている。カエサルが暗殺された際、最も嘆き悲しんだのは、一神教のユダヤ人であったというのも頷ける。カエサルはユダヤ教を当然、認めていたのだから。オーストラリアではアボリジニや移民に対して、かつて同化政策を行った。カエサルの時代から2000年近くもたって、ようやくマルチカルチャリズムの世になったオーストラリア。まさか紀元前の古代ローマに こうした概念がすでにあったとは!! 目から鱗の私!!!

 

 「ローマの覇権下にある【ローマ世界】は、多民族で多宗教で使用語も多いという国家である。これを古代人は、帝国と呼んだ。ゆえにローマも、皇帝が統治をする時代に入る二百年も前から、つまりカルタゴを降した時代からすでに、「帝国」と呼ばれ書かれてきたのである。でなければ、「共和国」だった。帝国とは覇者国という意味だから、帝政でも共和制でも矛盾しないのである。そして、この「ローマ帝国」での共通規範はローマ法であり、共通言語は、ギリシア語とラテン語だった」(塩野七生・著『ローマ人の物語』ユリウス・カエサル ルビコン以後(12)新潮文庫 1996 15ページ1行目~6行目から抜粋」

 現在、12巻の途中まで読書中の私。続きはユリウス・カエサルをすべて読み終えてから、このページに随時追記しようと思う。

 仕事を終えて帰宅した後、カエサルの続きを読んでいた。気になるEU離脱か残留か…国民投票の結果は、離脱だった。ブルータスらによるユリウス・カエサル暗殺後、安定していたローマとローマ市民は突如混乱の渦に巻き込まれた。ブルータス他主犯の14名も直ちに逃げ出し安全な場所へと身を隠し、「いったい、何のため?どのような大義名分がカエサル暗殺にあったというのか?」「カエサル亡き後、ローマをどう導くつもりだったのか、どのようなかじ取りをするのか?」を考えていなかった、あの時と同じように、離脱派も「何をどうするのか」考えているのだろうかと疑問がわく。

それにしてもキケロ!祖国を愛し、ユリウス・カエサルと政治的には考えが違っても。私的にはカエサルの友人であり続け、愛情も感じていたであろう知識人。なんていうか…ローマ共和政復活を望んだ彼はカエサルの死を喜びすらしたのだが…最後はカエサル派によって反逆者リストの筆頭に名前を載せられ死刑となった、その人を最後まで憎めなかった。豚もおだてりゃ木に登る、はキケロのためにある言葉のような気さえする(苦笑)人間味を感じる彼の書簡も数々の行動も、2000年以上も後の時代を生きる私ですら…これ以上は言わず、心の中での感想に…

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