第二次世界大戦以後に生まれた私達こそ、古代ローマに学びたいと今、心から思う。
勝者=正義
敗者=非正義
東京裁判で一方的に裁かれた戦後日本に生まれた私は、小学校6年生の社会科の授業で、「米国に2つの原爆を落とされて戦争が終わり、日本は平和になった」と教えられた。10年前に再会した当時の先生も、「確かに、そのように教えた」と言った。当時はその先生も若干26歳。戦後生まれの一般的な若者は、直接当時のことを知らずとも 「日本は悪いことをした」と戦争の話題になるたびに肩身の狭い想いをしてきた…と思う。お詫びと反省は歴代の首相によって何度も繰り返されてきた。戦後補償も国家同士で日本側は完了したとしても、その後も何度も持ちあがる。今は日本企業が個人に戦後補償をする時代に入った。「日本は平和国家になった。世界は日本の過ちを許してくれて、平和国家日本のことも きっと認めてくれている筈!」と6年生の少女だった自分は思ったものだ。実際には幻想だったけれど… 日本という国が存在する限り謝罪は繰り返すべきなのだろうか。「どんな強国もいつかは滅びる」 カルタゴが700年の歴史を閉じたとき、古代ローマのスキピオ・エミリアヌスは、勝者であるにもかかわらず、敵の運命を想い涙したという。 ここまで カルタゴの兵(ツワモノ)、ハンニバルと長年に渡り、Battle闘争を続けてきた古代ローマ。 ある時はローマが敗れ、ハンニバル率いるカルタゴが勝者となった。
カルタゴとローマ。 ハンニバルとスキピオ・アフリカヌス(アフリカを制したことで、後にニックネームでアフリカヌスと呼ばれた)
二国は、時に勝者となったが正義とはならず、敗者となっても非正義と定義されたわけではなかった。
勝っても敗者を称える。まるで現代であれば、スポーツで一戦を交えた後、勝利者が敗者と握手を交わし、お互いをねぎらい力を認め合うかのように…。 ハンニバル戦記を読みながら、近代の戦争について書かれた史実を読む時のような重苦しさは全く感じず、何故か痛快だったのは、スキピオが昨日の敵と言葉を交わし、今日には男の友情を確かめあい、共に戦う親友となる者まで現れるからだろう。マシ二ッサがそうだ。 スキピオの父を死に追いやった相手にさえ、父の敵を打つといったような感情で動くことはしない。 著者の塩田七生さんも スキピオほど仇を討つという感情と無縁な男はいないと何処かに書かれていたが、スキピオその人ほど、古代ローマ人の「ひととなり」をそのまま感じさせてくれる人はいなかった。
策の巧妙さに驚いたり呆気に取られたり… 知恵比べ。裏の裏をかく戦法。 時に涙し、勝者に拍手を送り… 戦争ではない、そこには戦闘があった。 近代のように 勝者があとから慌ててこしらえた、国際法(…の内、平和に関する罪)なるものを振りかざして一方的に敗者を裁いたりするのではない。 それゆえカルタゴが遂に滅びても、ローマは敗者に想いを馳せたのだ。
紀元前202年、ザマ… ここが事実上、ハンニバルとスキピオが一線を交える最後の会戦となった。
ローマ人の裏をかいてきたハンニバルの裏をかく形で、ローマ軍はよりハンニバル的な布陣。一方のハンニバル軍はよりローマ的であったという。結果はローマがかつて敗れたカンネでの戦いをザマで再現させたような形でローマ軍が勝利した。 ハンニバルの策をこの時はスキピオが再現する形で…
☆講和条約☆
1.ローマはカルタゴを以後、独立国とみなしカルタゴの自衛権を尊重する…
・・・・
9.賠償金として一万タレントをローマに五0年間分の分割払いで支払う (日本円にして一年間に2億円)
10.…スキピオが選抜するカルタゴ人の子弟14歳から30歳までの若者100人を人質として送る。
賠償金は妥当な金額であり、しかも50年間の分割払い!…と七生さんは述べている。カルタゴの自衛権も独立国家とも認めているし、再起不能な額ではない、ということ。 若者100人の人質だが、これも現在でいうところのフルブライト奨学金と同じで、ローマ人の家庭に家族として迎えられ、その家庭の子供と一緒に教育を受けることが古代ローマ人が考える人質だったそうだ。 牢屋に入れられ鎖でつながれるのかと思ったら、そうではないらしい。いわゆる国費留学生のような待遇というわけ。
そしてー ここは七生さんの文をそのまま引用することにする;
「そして、日本人である私にとってとくに興味をひかれるのは、ここには勝者と敗者しかいないという事実である。正義と非正義とに分けられてはいない。ゆえに、戦争は犯罪であるとは言っていない。もしも戦争犯罪者の裁判でも行われていたならば、ハンニバルがまず、戦犯第一号であったろう。」
「しかも、ローマ人が『ハンニバル戦争』と呼んだように、第二次ポエ二戦役は、カルタゴ側がはじめたことは明らかである。ハンニバルが実に巧みにローマの宣戦布告を誘導したにしても、である。ローマ側が払った16年間の苦労、十万人以上の戦死者、十人を超える執政官クラスの武将の死を思えば、敗戦国にはなったにしろ、カルタゴの払った犠牲は驚くほど少ない。これを見ても、ローマ人は、敗者との間の講和を結ぶに際し、復讐に眼がくらむようなことはなかったのである。」(塩野七生:著 『ローマ人の物語 ハンニバル戦記(5)』 1993 P88)
七生さんによれば、スキピオ自身が講和の作成に関わっているそうなので、温和で人々に愛され、時には敵方ですら魅了したスキピオだったからこその講和内容だったのかもしれない。 そてにしても当時のローマ市民が 「市民集会」において、ただ一度で可決した、というのだから、これはもう、古代ローマ人が寛容だったというしかない。
紀元前200年頃までの古代ローマは、なんて寛大なのだろう。 いわゆる戦争WarsではなくBattles戦闘の後の講和条約に目を通し、七生さんの解説を読むと、とても分かりやすい。自分で歴史資料に目を通したとしても、素人の私には、第二次世界大戦当時の戦争の勝者が正義、負ければ単なる敗者ではなく非正義となってしまう歴史認識は間違っていると思ってはいても、上手く説明できない。 いったい、いつから敗者が悪、という風潮にかわったのか… そして当時のローマは意図的に市民を巻き添えにしていない。市民も兵として(税として)集められることもあったにせよ、常時ではなかった。古代ローマ人の価値観を現代にも生かせないだろうかと遂、思ってしまう。1945年当時の米国の価値観で生きてはいないオバマ大統領が広島を訪問した意義は大きい。オバマ大統領に同行する予定だったが、突然の病で広島訪問を取りやめた元米国兵士(だっただろうか)・・・古代ローマについて学んだことがあるかな…。何度も書き替えられたというオバマ大統領の原稿の一部が毎日新聞に掲載されていた。それは、オバマ大統領の手書きだった。米国民の半数にあたる世論に配慮し、本当に言いたいことも言葉にできない一人の”人”としてのオバマさんに触れた気がした。オバマ大統領はきっと歴史に精通し未来永劫…人類の平和を心から願ってやまない人であることだけは確かだ。Thank you, the President Obama, for visiting Hiroshima and wishing a world peace together with us!!!
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