著者の塩野さんは、「悪名高き~」と述べているが、これは逆説的な言い方だ。現代を生きる我々から見ると、少なくとも一人の皇帝を除けば、カエサルが練り、アウグストゥスが実行に移した帝政ローマを盤石なものとし、統治する能力という点に置いては間違いなくティべリウスは優れた皇帝であった‼といえる! アウグストゥスは跡継ぎに血を受け継いだ者を望んだが、彼の息子たちは相次いで亡くなったため、後継者となったのがティべリウスだった。彼は身内にこだわらず、適材適所に優れた者を登用し、カエサルが描いたローマの姿を完成させた。それなのに、なぜ、当時を生きたローマ人や歴史家、知識人から不評だったかといえば、小泉劇場のような人気取りのパフォーマンスは一切やらなかったから。彼の右腕、左腕となって活躍した数名を除いては、知人関係にいたっても大勢の人に囲まれて…というタイプではなかったこと。そして何よりも、アウグストゥスによって離婚させられた妻が忘れられず、その後、政略結婚させられた妻とは折りが合わず、その他諸々理由はあったあっただろうが、晩年になって首都ローマを離れ、島に引っこんでしまったことだ。市民や元老院の目には、皇帝が政治を放置し逃げ出したかのように映ってしまったようなのだ。しかし彼は何処にいても使者を本国ローマに送り、監視の目を怠ることなくローマを統治し続けた。老いてもティべリウスは何処までもティべリウスだった。カエサルのようにカリスマ性があった訳ではないが、見事なまでにカエサルが描いていた帝政ローマをほぼ完成させていた。時期、皇帝となったカリグラは、この上なく完璧に近い形でローマの第3代皇帝となる。
「一人を除き」優れた皇帝だったと先に私は言ったが、この「一人」の悪名高き皇帝こそ、カリグラだった。前線で活躍し人気者だった父、ゲルマ二クスが本来であれば、ティべリウスの前に皇帝になるであろうと思われていた人物だった。30代で若くして亡くなったゲルマ二クスの息子であるカリグラが皇帝になった時、当然市民や元老院たちから大歓迎された。ローマ市民にとって最も大切な小麦の生産量もインフラ整備も周辺諸国との平和維持も、いってみれば すべてが順調に回っている状態での皇帝就任だったカリグラ。先の皇帝、ティべリウスのお蔭で国家資金も豊富にあった。若いカリグラは減税を行い市民に歓迎されはしたが、浪費癖があった。エジプト王のような巨大な船を作るなどし、あっという間に国家資金は減り、わずか4年の在籍期間で底をつき、地に落ちてしまったのだから呆れる。カリグラは、彼の父、ゲルマ二クスの下で働いていた近い側近によって暗殺され、生涯を終えたのだった。しかし この場合、暗殺した方が苦しかっただろうと察する。尊敬する師、ゲルマ二クスとは余りに掛け離れた息子、カリグラの悪政ぶりに…。 父、ゲルマ二クスと共に国境沿いで育った幼きカリグラのことを「小さい軍靴」と親しみを込めて兵士達は呼んでいたくらいなのだから…。
何はともあれ、悪名高きカリグラによる時代は、側近による暗殺によって幕を閉じ、急遽、時期皇帝にされたのは、クラウディウスだった。彼はそれまでは歴史家として54歳まで生きてきた。最初は乗り気でなかったようだが、元老院によって『第一人者』、すなわち皇帝に推薦されると、(古代ローマは あくまで表向きは市民、元老院、による共和政だった。ユリウス以下、実質は皇帝による統治となっていたが…)「受け入れる」ことにする。ここに第四皇帝が誕生したのだった。
破綻しかけたローマの経済と外交の立て直し。やるべきことは山ずみだったが早速、クラウディウスは取りかかる。…とはいえ、彼一人では到底出来ない仕事量だった。そこで彼が考えだしたのが、信頼できる3人の解放奴隷に仕事を振り分けることだった。クラウディウスに会いたければ、まず、元老院の面々も解放奴隷出身の秘書を通さねばならなくしたのである。プライド高き元老院には、不評だったようだ。だがこのシステムは機能し、のちの官僚政治の原型であるとも言われているそうだ。彼もまた、妻に振り回され、いいなりになるところがあった。なんというか…黙々と無言で仕事をこなした皇帝という点で、第二皇帝ティべリウスとクラウディウスは重なる。正直で、本当にローマのことを思い、ただ黙々と信じたことを突き進む… 決して市民受けするような、人気取りのようなことはしない。日本でいえば、元・福田首相(息子)の顔が浮かんでしまう。ただ、「小泉政権の尻拭い」といいつつ、途中で退任してしまった福田氏なので、島に引っこんでもなお政治のかじ取りをしていた先のティべリウスほどの政治家ではなかったのだろうけれど。非常に残念ながら…。
クラウディウスの話だった!続きは明日以降に…