日々のあれこれ

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悪名高き皇帝たち(19)巻を今、この時代に読み終えて感じること; 古代ローマから学ぶ寛容の精神

2016-07-28 06:06:52 | 読書

 実際には悪名高いどころか前皇帝によって破綻した政治経済の舵取りを誠心誠意行ったクラウディウスだった。50代まで歴史家として生きてきて、全く思っても見なかった突然の皇位だったとはいえ、歴史に通じていたということは、古代ローマの歴史を研究する中で、歴代の皇帝の長所、欠点も理解していたであろうから、その点も役に立ったのではないかと想像する。歴史研究に没頭し、静かに暮らしていたであろう人が、突然かり出されたことで、皇帝になった当初は人前に出ると、どもる傾向にあったようだ。身なりにも無頓着であったため、市民や元老院から馬鹿にされる要因ともなっていたらしい。しかし何度も演説を繰り返す内に どもりは消えたという。後に後世に語り継がれる名演説を残すことになる。

 もう一つ、「悪名高き」皇帝となってしまった理由として、妻にまったく恵まれなかったことがある。次期皇帝は、クラウディウスと前妻の間に生まれた男子ではなく、自分の連れ子をつかせようと準備を進めていた再婚した妻、アグリッピーナ(初婚の妻、メッサリーナも悪女で市民から嫌われ破綻した、すなわち殺された)の尻にひかれていたことが、市民たちから軽蔑される理由の一つとなった。自分の連れ子であるネロを皇帝につける準備を着々と進め、彼の脇でサポートする陣営を選び抜き、登用させることに成功。(皇帝は彼女のしつこさに負けて判を押すことがしばしばあった)遂には毒キノコ入りの食事を食べさせ、毒殺したのだった。なんという最期!

 世間の軽蔑にもろともせず、元歴史家らしく政務に没頭し、破綻した経済を立て直した皇帝クラウディウス。途中、島に隠居したかのように見世間からは見られてはいたが、(居心地よい家庭ではなかった)監視の目を緩めず離れた島から指示をだし、キッチリ最期まで政務を行った第二皇帝ティべリウスと重なる部分もあり、全くもって立派な皇帝であったと思う。著者である塩野七生さんも述べているが、いつの時代も自分たちが生きている時代が「大変な時代だ」と一般市民は思いがちであり、また政治に対して素人であるゆえ、人気取りのような政策(第三皇帝カリグラが税金を廃止し市民を喜ばせたが、国庫が破たんしたように)、パフォーマンスに騙される。どこかの国の何処かの政治家や国民のようだけど…。そして平和であったからこそ、ローマ市民は皇帝の身なりや妻などゴシップのような話題に関心を寄せる暇も十分あり、蹴散らすこともできたのかも…

 ここで歴史に残る演説の紹介を…。それは、開国路線を宣言した時のものだった。元老院の欠員をどのように補充するか?という問題が持ち上がった時のことである。ローマの議員の大量補充の必要性の事実を知ったガリアの部族長たちが、自分たちにもその議席を…と訴えてきたらしい。これに対してローマのエリートで占められている元老院たちは、猛反発した。歴史をみれば、統治先(元は敵国)から議員を大量に補充した最高司令官に、ユリウス・カエサルがいた。それが暗殺される原因となりはしたが…。ここは元歴史家で恐れを知らぬクラウデゥスらしい。元老院の反発には、次のように述べたという。

 「わたし個人の先祖を思い出すだけでも、その最も古い人と言われているクラウススは、サビーニ族の出身だった。その彼がローマに移住した紀元前50年、ローマ人はこの他部族出身者とその一家族を自分たちと同等のローマ市民にしただけでなく、クラウススには元老院の議席を与え、貴族の列に加えたのである。これら先人たちが示してくれたやり方は、われわれの時代になっても統治の指針になりうると考える。それは出身地がどこであろうと出身部族がかつての敗者であろうと、優秀な人材は中央に救い上げるべきとする考え方である。

 われわれはユリウス一門が、三代目の王トゥルス・ホスティリウス(紀元前673-641)によって征服されたアルバからの移住者であることを知っている。…(ここで あらゆるローマの名門といわれる一門も元は敗者からの移住等の歴史、そしてカエサルによるルビコン後の国境と敗者を組み込んできたローマの歴史を延べている)

 スパルタ人もアテネ人も戦場ではあれほども強かったのに、短期の繁栄しか享受できなかった。その主因は、かつての敵を自国の市民と同化させようとせず、いつまでも異邦人として閉め出すやり方を続けたからである。(以下、略)」『ローマ人の物語(19)』引用:133ページ11行~135ページ12行

 古代ローマにあった寛容の精神こそが、ローマ帝国繁栄の理由であっただろう。殺伐とした現代を生きている私達(障害者施設で起こった事件や世界中で多発するテロなど、他者を受け入れないとする考え方etc)今、求めるものは、古代ローマ帝国を繁栄させてきた根底にある寛容の精神だと思う。共存共栄の答えが、彼の演説に集約されていると思うのだが…。歴史家皇帝だからこそ生まれた演説であり統治のあり方だったのか。私達が歴史を学ぶ意義、現代に生かす意味を考えさせられる。 事件当日はショックすぎて何も語れず書けず触れることさえ出来ずだった、あの事件…しかも犯人は元職員だなんて… バングラデシュのテロからも まだ完全にショックが消えていなかったのに。今度は国内で、しかも障害者施設という自分にとっても馴染みのある場所で奪われた命…ご冥福を心からお祈り致します。

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