日々のあれこれ

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塩野七生:著『ローマ人の物語 危機と克服』 (21) (22) (23)巻

2016-08-01 19:54:50 | 読書

 私的には「歌う皇帝、タレント化した皇帝、或は今では当たり前なことではあるが、当時のローマ市民にとっては普通じゃないと認識されたロギリシャのような緑溢れる公園をローマの中心地に作ろうと計画し、顰蹙をかった皇帝ではあっても、ローマの大火で被災した人々にいち早く支援したネロ皇帝は憎めない。私人としてはOKであることも皇帝という公人であれば、コンサートツアーの旅に皇帝が出るなど遺憾だ!ということだろうけれど… そんなネロ皇帝が自死し、ローマに訪れたのは混乱と危機だった。

 紀元前69年、わずか一年の内に、ガルバ、オトー、ヴィテリウスと、なんと3人もの皇帝が現れては消えている。ローマ市民も元老院の議員たちも、ネロに不信任案を突き付けたはいいが、そのあとのローマの統治は? カエサル暗殺後の混乱時には、カエサルの意思を引き継ぐ跡継ぎがいたけれど…。

 ローマ国内が安定しなければ、周辺諸国、或は部族の中に ”ローマから離反するなら今が好機”、と考える輩が現れても不思議じゃない気がする。ローマの政権が安定しているということは、ローマの国防も機能しているということ。これが崩れれば、ドナウ川、ライン川を超え反旗を翻そうと目論む部族も…となれば、カエサル以下、覇者ローマの支配下にあり共存してきた諸国周辺との平和維持も怪しくなる。実際、この機をガリア国設立に!と決起した族がいた。ゲルマン系ガリア人…元々のガリア人ではなく、長髪と髭のドナウ川を渡って住み着いたゲルマン人たちだった。

 反旗をひるがえしたゲルマン人、バタヴィ族は、「ガリア国を設立する!」と言ったが、西のガリア国とはいえ、実際にはガリア国とは名ばかりで、ゲルマン人による国となろうとしていたことをガリア人は、特にレミ族は分かっていた。かねてからローマによってゲルマン民族から守られていた形のガリア人、レミ族が、ゲルマン人に加担せず、恐らくガリア人VSゲルマン人の過去の関係から迷いもせず、ローマ帝国にとどまることを選択したことで、彼らによる謀反、「ガリア国(ゲルマン人による帝国)設立」は失敗に終わる。そして驚くのは、謀反を起こした兵士達に、「何もなかったことにする!」とすべてを許し、これまで通りローマ兵として復職を許されたことだった。ムキアヌスによって。

 一方、東のオリエントでは、ユダヤ人が反攻し続ける。ユダヤ戦役については、現代も大多数の世界人口を占めるキリスト教とも関係があるからか、有名らしいので、ここでは触れず…。

 ヴェスパシアヌス皇帝は生まれは高貴ではなかったかもしれないが、騎士階級に属し実戦豊富。著者、塩野さんの言葉を借りれば「健全な常識人」であったという。そんな皇帝によりローマは再び再建されていく。後を継いだ息子ティトウスも皇帝に就任する前から、今でいう皇太子のような役目を父に与えられ、ユダヤ戦役等で経験を積んでいった。市民向けの公共のテルマエには庶民と一緒に入り、「入浴場でよく見かける庶民的な皇帝」として親しまれたよう。そんなティトウスの在位期間、不幸なことにローマ帝国は天災や大火という受難の時期だった。ヴェスヴィオ山の噴火によりポンペイの街が全滅…首都ローマの火災… ネロもそうだったが、彼もまた、被災者救済に尽くした…が…しかし病に倒れ、亡くなってしまう。わずか2年の皇帝だったが、実際には父と二人三脚で皇帝になる前から政務に携わっていたからか、本を読んでいてもわずか二年という感じがしないのだが…。 彼の後を継いだ弟のドミティアヌスは、81年から96年まで在位している。アウグストゥスに始まった帝政だが、表向きは元老院を立てていた。それはユリウス・カエサルが暗殺されたことで、慎重にならざるを得なかったのだと思う。カエサルが描いた帝政ローマは後に託された皇帝によって、ユリウス朝最期の皇帝となったネロ以降も受け継がれてきた。ここにきて初めて全権を持つ皇帝を隠さなかったのが、このドミティアヌスだったようで、このことが元老院から 『記録抹殺刑』を与えられてしまい、以後、彼の名が書かれた公共施設の名は消され、像は壊されることになってしまったのだった。

 ただ… 塩野さんの考察のここが成程~と思わせるのだが、抹殺したはずの皇帝が成し遂げようとした国防のための要塞や公共施設は頓挫させることなく完成させ、統治の主たる仕方もそのままに継続されたのだから、心情的には抹殺したいドミティアヌスであったとしても、統治者としては認めていたということになるだろう、と…。本当に悪政であれば、のちの皇帝や元老院により直ちに中止、変更、撤廃されただろうから、(ローマ帝国のこれまでの歴史を観ても)皇帝手腕は認められていたことになる! 

 こうして危機を脱したローマ帝国は、そのあとをネルヴァ、トラいアヌスと順に皇帝となり、こののちの世は『賢帝の世紀』と呼ばれることになるらしい。…らしい、というのは、現時点では、まだこの先を全く読んではいないから。ここまで実に全23巻。横から母も、「いったい、そのローマの歴史の本って、何巻まであるの???」と聞いてくる。「43巻までよ、確か…」と答えながら、すでにローマの歴史の半分を追体験してきたのか…と感慨深いものがある。もし、学生時代に この著書に出合っていたなら…実際には出版されていないから、有り得ないのだけれど、歴史に次いでラテン語っていうか、現代なのでNHKイタリア語講座のテキストでも買いに走ったかもしれない。行先はオーストラリアではなくて、イタリアだったかも…? 勿論、今のイタリア人(シドニーでもイタリア系移民や留学生と交流も多少あったので…)の様子からは古代ローマ人は思い描けない気もするけれど?(笑)

 

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