読み終わったのは、すでに5日程前なんだけど… 『ローマ人の物語』シリーズ。最近はオリンピック観戦に朝夕忙しい。興奮状態で眠りに着き、まだ周囲は薄暗い内に 眠いまま起き上がって、応援。ただ、日本の片田舎の隅っこで、観ているだけの国民の一人っていうだけなのに、まるで蚤の心臓… 実際に競技している選手たちは、どれだけ…想像を絶するわぁ…
内村航平選手!個人総合金メダルおめでとうございます 最後の鉄棒の着地、まるでマットに両足が吸い込まれるみたい~ 栄光への架け橋以来の感動ものでした… 銀メダルでも立派だーっ!と思いながら、競技の余韻に浸っていました。ウクライナのの選手が鉄棒の競技を終えた瞬間、着地はちょっと…ふらついたし…だけど、落ちたわけでも大きな失敗があった訳でもない。何より本人がガッツポーズをして、優勝を確信しているみたいだったから、正直、彼の鉄棒の得点を待つ前も、演技終了後も、内村選手は銀メダルだと思っていました。 まさか…0.09点の差 He made a drama!!! 歓喜の朝でしたね 色々な事件はあるものの、日本の国旗を振って、国歌斉唱をしながら選手がメダルを受け取る姿をみて国民が喜べる日本は平和だし、幸せなことだなぁ…と思います。オリンピックを観て、世界平和を願いつつ、世界に思いを馳せ、古代ローマ人にも思いをはせる。きっと、のちの時代を生きた(生きる)歴史家のみならず、その時代を生きた古代ローマ人、市民や歴史家たちにすら、「まれにみる平和な時代」と言われた「黄金の世紀」。その時代を統治した賢帝たちとは、どのような皇帝だったのだろう。
トライアヌスは、前皇帝に 「大抜擢」され、ローマを統治する第一人者、すなわち皇帝となる。古代ローマはあくまで元老院、市民、そして第一人者によって統治される国だったので、表立って「皇帝」という言い方は、最初はしていなかったのだけれど、このころになると、元老院の方も事実上の皇帝という第一人者に、さほど違和感はなかったようだ。そして内乱状態を制したヴェスパシアヌスによって、地方出身の皇帝が誕生することになる。これまでの皇帝は、皆、ローマ出身のローマ人で、いわゆる属州、(例えるなら大英帝国時代でいうところの植民地…?統治の仕方もローマ帝国とはかなり違うがっ!)ローマが覇者として新たにローマに組み入れた地域出身の皇帝はいなかった。トライアヌスは、スペイン南部の属州、べティカにあるイタリカに生まれている。イタリカとは、「イタリア人が住む町」という意味らしく、スペインにイタリア人が移り住んで出来た町…ということは初の属州出身の皇帝誕生というわけだよね。スキピオ・アフリカヌス(懐かしい~っ!)がカルタゴとポエニ戦役を繰り返した時期、ローマの本国以外に建設した初の都市らしい。その後、ザマで勝利した兵士たちが、この地に落ち着いたという歴史を持つようで、まさか幼少のころのトライアヌスは、首都ローマから遠く離れた地に生まれ、当時の皇帝とは何のゆかりもなかった自分が将来、皇帝になるなんてこと! それこそ夢にも思わなかっただろうなぁ…。
トライアヌスによる統治は、20年も続き、ローマに繁栄と安定をもたらした。最近、話題の田中角栄など日本の首相と比べて違うな、と思うのは、初の地方出身者である皇帝であったにも関わらず、「私」を政治に一切持ち込まず、「公」のみに生きた皇帝だったということ。日本列島構造改革も、自分の出身地を真っ先に住みよくしたい、新幹線や道路を走らせたい、というのが私が物心つく頃、大人たちから聞いた「日本の統治者」であり、意味の分からない「かね」が動いた首相だったわけで… ロッキードなど未解決事件の真相はどうであったにしろ、現代に至るまで、政治とカネの問題はついて回るのが日本…。その一方で、トライアヌス皇帝は、地方のイタリアのみを優遇するようなことは一切なかったというから、興味深い。これまでに何度もローマのインフラについては述べてきたので、ここでは省くが、トライアヌスによって、首都ローマと属州、地方の格差は一段と縮小されたということだった。
初代皇帝、アウグストゥスによって、これ以上、国土を拡大してはならない、と禁じていたらしい。それから90年。それまでローマが行った戦役といえば、防衛線での鎮圧、戦役のみ。「戦争は恐れるべきでないが、こちらから挑発すべきでない」と言ったのは、小プリ二ウス。(聞こえてますか?東アジアの大国、Cさん!!) 当時、ローマとダキアの間には、平和協定があったが、ダキアの兵の一部が思慮を欠く行動にでたことが直ちに首都ローマに伝えられ、ダキア戦役が始まった。トライアヌスは「ダキア戦記」を執筆したらしいが、残念なことに現在は残っていない。ただ、今も同じ場所に立っている「トライアヌス円柱」には、白大理石の浮き彫りにノミで彫られた戦役の各場面…another 戦記が残っているそうだ。(『ローマ人の物語 賢帝の世紀(上)24巻』 92ページ) 白黒だが、その芸術作品も本に掲載されているので、興味がある方はご覧になって下さいませ。
そしてトライアヌスの時代、ローマ帝国の統治下となった国土は最大になった…ということは、覇者ローマのもと、平和を享受する人々が最も多くなった時代だった。
トライアヌスは64歳を目の前にして病死した。そのあとを継いだ皇帝ハドリアヌスは、首都ローマに皇帝不在でも政治が機能するほどに盤石なものとした上で、ローマ帝国視察の旅に出る。出発は紀元121年のこと。スキピオ、カエサル、トライアヌスなどが築いた安全保障体制を再構築することが目的だったという。あの時代、古代ローマでは、すでにEUの理念を実践した古代ローマ共栄圏を作り上げていたことになる。なんて凄いのだろう!!
本来であれば、この次にくるのは(26)巻。しかし、現在、図書館では貸出中。なので、これより先の巻を読むことにした次第。
『すべての道はローマに通ず』(27)(28)
ローマ人にとっての安全保障は、首都ローマから発する公共の道を築き、人々や物の行き来を活発にすること。それによってローマ経済は活発化し、人々は安全に旅をすることができた。この時代には国営の”郵便配達”制度も出来上がっている。すなわちローマ街道には くまなく郵便物を運ぶ馬車と人のための宿泊施設が存在していた。道路事情が良くなれば、人も物も早く運べる。経済も活発化する。このローマから発し、属州の隅々まで敷かれた道こそが、ローマの繁栄の基盤となったのだから!
塩野さんは著書の中で、道を築いたローマ人と中国の万里の長城と比較している。敵の侵入を防ぐことを第一に考えれば、万里の長城のような壁となる物を築くことになるだろう。それを読むと、そういえば…と、米国のトランプ氏がメキシコとの国境に壁を築くと発言したことを思い出してしまう。勿論、今日の中国も 海底に資源が発見されるや否や、「尖閣諸島は我が領土」と主張し、連日、公船や300前後の漁船を送り込んでくる訳だけど…。漁船が沈没すれば、人命救助に真っ先に向かうのは日本で…って周囲にいた中国船は何をしてたの?と言いたくなる。もし自国の民を助け出そうとしない国であったなら、他国の民も含めた平和や共栄なんて…きっと望んではいない… この状況が続くことは、ただ、怖い… トライアヌスであれば、どうしただろう… 防衛のための戦役は今の時代、ありえない。『悪評高き皇帝たち』、のひとりである、ネロ皇帝は見事に平和協定を結んだのだから、彼の知恵でも借りたいものだ。
古代ローマの皇帝たちは、私利私欲によって道を築くことは一切せず、よって自分の敷地に私的な道を作ったりなんてこともしていない。今でいう高速道路も作ったら終わりではなく、メンテナンスもしっかり行っている。地方によっては財政難で老朽化が進んだ歩道橋も放置状態… これって大丈夫…?さびてるけど…というものも、近所にある。ローマ街道は誰でも無料で通ることができ、(高速道路料金なし)公の責任で、メンテナンスも行われていた。ところでローマの道を作ったのは、兵士達だった。(一巻からずっと読んでいれば、分ることなのだが)兵士イコール土木建築に携わるエンジニアであったということは、塩野さんのたとえも面白いが、日本であれば、自衛隊=建築士であるということ。ローマ人の母国語であったラテン語は、英語、イタリア語、スペイン語とほぼ同じスペルなんだな、今更だけど… ヨーロッパの歴史を築いた古代ローマ人の歴史と語学の関係も面白く、思わず 『語源』にまつわる本まで借りてきて読んでしまった。 以前、あるスペイン人が、「イタリアのビーチに3か月寝転がっていたら、イタリア語はマスターできる」と英語でしゃべっていた。彼にとっては英語も簡単だという。そんな彼も、もしかしたら、トライアヌスを祖先に持っているのかも… あの当時、もっとヨーロッパの歴史を学んでいれば良かったと、今になって後悔するのだった…‼