日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
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ローマ人の物語 終わりの始まり29~31巻

2016-08-25 16:35:45 | 読書

 五賢帝時代の最後を飾るのは、哲学者としても知られていたマルクス・アウレリウス。弟、ルキウスとの共同皇帝だった。先の皇帝たちによって築きあげられた帝国の繁栄を維持するには、あまりにも多くの難題が起こった時期でもあったようで、悪天候による飢餓やテヴェレ河の大氾濫など天災に見舞われた時期でもあった。東方パルティア戦役でローマに持ち込まれた疫病も流行し、戦役には勝利したが、多大なる土産(疫病)をもらってしまったことになる。そうかと思うとドナウ河の防衛線ではゲルマン部族による侵略が始まり、二人の皇帝はドナウ河へ向けてローマを出発している。その1年後、弟、ルキウスが39歳で病死。ゲルマン2部族が防衛線を超えて、ローマ領内に侵入、なんと270年ぶりに破られるという事態になるのだった。それまでもガリアやゲルマン部族がドナウやラインを超えて侵入しようと試みていたが、強固なローマの防衛部隊によってリメス(防衛線)は守られ、破られることはなくパスク・ロマーナは守られていた。ゲルマン族のクワディ族と講和を結び、一旦は落ち着くも翌年、再び戦役開始、172年に勝利するも、今度はエジプトで暴動勃発、アルメニアでクーデター、etc....と目まぐるしく…。マルクスの後を継いだ息子のコモドゥスは失政を重ねたことで暗殺され、この後、ローマは皇帝の座を巡って5人が争う内乱となってしまうのだった。

 皇帝の座を勝ち取ったのは、なんと北アフリカ出身のセプティミウス・セヴェルス。北アフリカと聞いて驚くのは、私がそうそう簡単には国籍も市民権も与えない現代の日本に生まれ、暮らしているからだろうが、古代ローマ帝国では、これまで何度も述べてきたように、属州出身者もローマ市民権が与えられ、疑うこともなく「自分はローマ人だ」と思っていたようである。これまでローマの歴史を見てきても、身体に流れる血によってではなく、考え方というか、多神教でいかなる文化にも柔軟であったローマ的であるかどうかが問われていたように思う。すでにスペイン属州出身の皇帝も数人誕生し、アフリカ出身の皇帝が誕生しても不思議ではない状況だった。軍人皇帝は、ローマ軍の強化を図ろうとする。その一環として、満期除隊までの期間、20年間を終身制とし、除隊するまでは未婚であることが義務付けられていたが、婚姻もよし!とした。実際には いつでも結婚できるとなると、除隊までの20年間を待ちわびることもなくなり、しかも20年経過後も軍人でいれば給料は支払われ、軍事費の増大、財政の圧迫、軍の高齢化となり先々ではローマ軍の弱体化とつながっていくのだが…

 

 イタリアで起こった大規模な地震…この著書のシリーズを読んでいる中でも、幾度か地震等、天災に見舞われ都市そのものが沈没してしまった歴史もあり、改めてイタリア半島は地震が多いところなのだと感じました。テルマエ、温泉を愛し、本来、多神教であり、私達日本人と共通点が実に多いローマ、イタリア。心からお見舞い申し上げます。

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