日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

崇高

2019-12-10 07:57:09 | Weblog

崇高…

中村医師にこれほどふさわしい言葉はない、会長の会見を聴きながらそう思った。

ペシャワール会の中村医師の棺が福岡空港に…

出迎えた多くのアフガニスタンの人々が、「守れなかった、御免なさい」等、プラカードまで掲げて泣いている姿…新聞、テレビ等を通して知るまでもなく、どれだけ崇高な方で、多くの人々の暮らしを改善してこられたのだろう、しかも命の危険も顧みずに。若松区出身だと知り、つい最近も行ってきた場所でもあり、より近くに感じる。作家の火野正平氏とも親戚だと知った。

ペシャワール会とワールドビジョン日本オフィスに29歳の時、シドニーから問い合わせの手紙を送ったことがあった。卒業前、帰国後の就職先として、1つは自分もバングラデシュ人のチャイルドスポンサーをしていたWorld Vison of Australiaとの関連で。 ペシャワール会は同じ福岡にあるから、という理由からだった。結局、更に勉強を継続することに決めたため、問い合わせをしただけとなり、思いもしなかった理由で帰国の途に就くことになったのだけれど(更に2年後)

「国内からのお問い合わせはありますが、海外からのお問い合わせは初めてです。」

「今現在、常勤スタッフはいませんが、将来的には…」

ペシャワール会から届いた丁寧な返信には、そのように書かれてあったことは20年以上経過した今でも覚えているのだから。活動内容を紹介するパンフレットも同封されてあり、とても丁寧な対応に胸が熱くなったことは今も覚えている。当時の自分を思い出してみると、何をやっているんだろう私、、、と自分で自分が情けなくなる。今の自分は、自分の健康管理すら出来ていないのだから…(余談ですが、それより前に問い合わせたJICAからは 「日本に帰国後、ご応募下さい」というハガキが届き、ワールドビジョンからは、「履歴書を送って下さい」)

 

25歳の時、2度目の渡航で、学生という立場でバイトを探していたが、シドニーでなかなか仕事が見つからず、仕方なく「秋葉原」というお土産屋さんの日本語の看板を見て、飛び込み応募をしたことがあった。支店であるマーケット・ストリート店で働くこととなり、そこに居たのはギリシャ人のマネージャー ヘレンHelenと、スーパーバイザーのAliアリだった。アリはアフガンの戦火を逃れて難民申請し、オーストラリアの永住権を取得したアフガン人の元医師だった。思えばアリが自分が接した最初のアフガニスタン人だったんだ。お店が暇な時、私が自らホテルニッコーまで出向いていき、お店のパンフレットを日本人観光客(主に新婚さん)に手渡し、お客が同じツアーのお客に紹介してくれて~売上が良かった日にはスタッフである私と韓国人男性の二人にピザを振る舞ってくれたり。staff思いの優しい人だったっけ。

 

32歳までの自分と、その後の自分。

生きる目的も、その後の人生も、まるで別人のように変わってしまったが、中村医師を通じて色々と想うことがあった。今はただ、心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

先月訪れた若松区にあるグリーンパークにて。

 

Comments (4)
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