フクロウの置物を描きました。
先日(12.5)の教室で、自分もモチーフ担当の一人でした。
数十年前の頂きもので、底部には、“England”なる文字が見え、イギリス製のようです。
素材は分かりませんが結構重く、石の類でしょう。
ゴツゴツ感を出したく、本体部分は鉛筆画風に描いてみました。
つがいでしょうか、右側メスの“わたし しあわせ”感の雰囲気が何とも!
「補記」の前に
拙ブログに毎回コメントを賜っている「サガミの介」様から、
別便で次のようなメールをいただいていました。
「イーロンマスクという稀有な異端児が、完全に権力を握ったトランプを操り何をしでかすか・・・」
“トランプ氏からマスク氏へ”という片方向の構図ばかりで見ていた自分にはなかった視点で、
“オオッ そういえばそうだ”と大変感じ入ったことでした。
そのマスク氏がX(旧ツイッター)で発信する内容は、見た人に色々考えさせる謎めいたものも多く、
アメリカ内外で大変注目されているようです。
ジャーナリストの山口敬之氏がご自身のYoutubeで次のように発信されていました。
マスク氏は、アメリカ・リバタリアン党(途中までロバート‣ケネデイー・Jrを応援)のロン・ポール氏が掲げたX
「アメリカの悪はすべて1,913年に始まる。
1,913年という年は、一つはアメリカで所得税が、もう一つは連邦準備制度(FED)が
始まった年でもあり、ともに国民からの経済搾取の始まりだ(趣旨)」に、
ビンゴマークを押した、と。
また、ファウチ氏の疑惑を暴いた「THE REAL ANTHONY FAUCH 人類を裏切った男」(経営科学出版)を著したケネデイーが、
所掌の保健福祉長官のポストに指名され、
「ワシントン共同12.7」の記事によると、
バイデン民主党政権は、まだ訴追されてもいないファウチに“予防的恩赦を与えることを検討”と。
林千勝氏の解説によると、本著は、
ケネデイーが、ファウチらが中心となって推進したワクチンのプロジェクトや、
世界保健機構などが追随した公衆衛生政策を、
ロックフェラー財団などの公衆衛生との関りから紐解いて、利益中心主義の巨悪を追求・・・とあります。
ひと揉めあることでしょう。
このようにトランプ氏、マスク氏、ケネデイ氏らは、今の世界秩序を壊そうとしているのだ、と。
その、「今の世界秩序」が、一体どのようにして出来ていたのか、そしてどのようなものなのか、
それを纏めているのが、僭越極まりないことながら、拙論のつもりなのであります。
あの異常づくめだった2,020年アメリカ大統領選挙で感じた、
世界の底流を動かしているものは何か?を探す旅であります。
ど素人が厚かましい限りではありますが、これも自分の勉強、もうしばらく続けたいと思います。
【補記】
上述、ロン・ポール氏の投稿にある「1,913年と連邦準備制度」のことを見て、
丁度前回の拙ブログで触れていたテーマだけに何やらうれしくなりました。
今の世界秩序の出発点は、どうやらWWⅠ前後のこの時期にありそうです。
そしてこの時期、ロスチャイルド家と共に、その秩序を作ってきた両雄の片方が
アメリカのロックフェラー家です。
今回はこの巨大な象の、ほんのさわりのさわりを、撫でてみたいと思います。
その際、本家本元の代表的人物・ロックフェラー3世が書いた
「ロックフェラー回顧録」(新潮社)(以下、回顧録と)は欠かせないと思い入手しました。
大変精緻に書かれており、下の拙文でも引用させていただいています。
ただ素人なりに驚いたことを一点だけ。
それは643頁にも上るなかで「ロスチャイルド家」のことが書かれたのはわずか1件(2頁)だけ。
それも自らの銀行チェース(銀行名は回顧録から 以下同じ)のグローバル化の一環として、
ロスチャイルド系銀行に話を持ち掛けたが断られた、とするもの。
この“1件だけ”というのが何を意味するのか・・・自分には分かりません。
本章は、各節ごとに3回に分けて記したいと思います。
全体の目次は10.28付拙ブログによります。
本章の目次
第4章 ロックフェラーの登場 二つの巨大財閥による世界支配
第1節 ロックフェラーの登場
第1款 ロックフェラー1世(シニア)(1,839年~1,937年) 2世(ジュニア)(1,874年~1,960年)
[スタンダード石油]
[ロックフェラー財団]
第2款 ロックフェラー3世(デイヴィッド)(1,915年~2,017年)
[チェース・マンハッタン銀行CEO]
[ソ連・中国との民間外交]
[外交全般に影響を与える諸会議など]
以下、次回以降
第2節 両財閥の合従連衡、特に対立の基本構図
[石油・エネルギー部門]
[銀行(金融)]
[英米メディア]
[映画・ハリウッド]
第3節 統一世界の支配を目指した諸会議など
[外交問題評議会]
[太平洋問題調査会]
[ビルダーバーグ会議]
[世界経済フォーラム]
[三極委員会]
本章における主要参考文献など
・・・本論に入ります・・・
第4章 ロックフェラーの登場 二つの巨大財閥による世界支配
第1節 ロックフェラーの登場
第1款 ロックフェラー1世(シニア)(1,839年~1,937年)2世(ジュニア)(1,874年~1,960年)(本款、主に林千勝氏ご所論から)
[スタンダード石油]
ロックフェラー1世は、オハイオ州の生地屋に勤める週給5ドルの店員から身を起こした。
算術の才能が光り、若くして経理助手を経験、のちの実業家の基礎を身につけた。
1,859年ペンシルベニア州で、世界で初の油田が開発されるが、
1世は油田開発という“川上”ではなく、精油、輸送、販売という“川下”の分野に目をつけ、
1,862年(23歳)での、石油の精製(および輸送、販売)事業での経験を経て、
1,882年には、初のトラスト「スタンダード石油」を結成する。
その後は、自ら需要を作為し、拡大につぐ拡大を続け、ピーク時には全米の90%を支配、
残り10%の買い占めに走る勢いであった、と。
1,911年にトラストの解消を命じられるが、解体後、分割された各企業も、
エクソンモービル社、シェブロン社など約30社として、ロックフェラー家の支配のもとで生き残った。
更に1世は海外での石油利権獲得事業も大規模に展開、「国際石油資本家」と呼ばれるようになる。
更に更に1世は、証券、木材、土地開発、鉱山、紙などにも大規模な事業展開し、
石油部門と合わせて「史上最大の資産を築いた男」といわれ、
膨大な利益を元に金融部門にも勢力を拡大し、
モルガン家と並ぶ「国際金融資本家」として位置づけられていった。
膨大な富を手にした1世は、
その後「どうすれば膨大な富を人類の福祉の増進に役立てることができるか」との思いに駆られ、
その後は「慈善活動」に傾注することになる。
1,890年、シカゴ大学を設立したあと、トップを2世に譲る(1,897年)が、
そのあとも1世主導で、ロックフェラー医学研究所(1,901年)、一般教育財団(1,903年)、
ロックフェラー衛生委員会(1,909年)、ロックフェラー財団(1,913年)、
中国医学財団(1,914年)などに巨額に資金を与え専門家に運営を任せる組織をつくらせた。
医学、科学、教育、農業、衛生、芸術、キリスト教などなどの進歩と発展に世界規模で貢献し、
同時に世に大いに喧伝されていった、と。
(筆者註:回顧録には祖父が周囲から受けたバッシングの数々もかなり正直に記されている。
そういうものを飲み込んでの巨人だったのであろう。)
[ロックフェラー財団]
慈善事業分野は1世の関りが続くが、2世がトップになって1,913年にロックフェラー財団が設立され、
多岐にわたった活動が始まる。
この1,913年は、ロックフェラー家も関り、連邦準備制度もできた年であり、画期的な年ともいえよう。
ロックフェラー財団は、世界最大級の民間助成財団で、最も世界に影響力を行使してきた。
本部はニューヨーク。主な対象事業は次の通りである。
①医療、健康、人口問題 ②農業、自然科学 ③芸術、人文科学
④社会科学 ⑤国際関係
但し、林千勝氏によれば、ロックフェラー家トップの記録などから見える
ロックフェラー財団の真の目的や狙いは
設立目的は「全世界の人類の幸福をあまねく増進する」となっており、
漠然として制約がなく、設立時から、アメリカ国内だけでなく、
全世界を対象とした地球規模のものであることが分かる、と。
また財団の金(カネ)は、“何処にでも、何にでも”とされている。(中国でも、選挙資金でも)
第一に着手するのは“公衆衛生と医学教育”とし、
当時アメリカで行われていた“十二指腸撲滅運動”を引き継ぎ世界中に拡大するため、
同財団に「国際保健部」を設け、チフス(日本でも戦後小学校等で頭から白い粉を被る)や黄熱病(野口英世関連)の対策に当たった。
後に(1948年)設立されたWHO(世界保健機関)は、この財団・国際保健部を引き継いだものである。
財団の国際保健部は1913年時点から、
当時流行っていたスペイン風邪やインフルエンザのための「ウィルス研究」を始めた、と。
財団の対象事業の一つ「国際関係」も強力な影響力を持つ。
外交問題評議会、太平洋問題調査会、三極委員会などについては、第3節で記述します。
財団は、中国への投資も重視した。
1世は、中国市場の潜在的可能性を熱心に追求し、
なかにはキリスト教(パプテスト派)の中国国内での布教も慈善活動の一環として行った。
2世は、この布教はさすがに中国では不向きとして止めたが、
基本的には中国国内での諸活動はこれを続けた。
なかでも北京協和医科大学での伝染病や公衆衛生には力を入れた。
計画された事業の中には、日中戦争で取りやめになったが揚子江の開発事業などもあったようである。
第2款 ロックフェラー3世(デイヴィッド)(1,915年~2,017年)
[チェース・マンハッタン銀行CEO]
3世の生涯を通じた探求目標は「国際主義者でありたい」との思いだったようで、
回顧録の至るところで触れられている。
本業の銀行では、1,953年、国内最大級の商業銀行チェース・ナショナル銀行の会長、
1,961年、チェース・マンハッタン銀行の共同会長を経て、
1,969年には同銀行の最高経営責任者(CEO)になる。
企業が多国籍化するなどの動きのなか、同銀行を、3世が求める「世界的規模の銀行」へと大きく舵をとる。
以下に述べるソ連や中国との関係についても、その政治的・外交的な側面に注目の目がいくが、
支店をいの一番に開設するなど、銀行を中心とする諸事業の拡大を常に伴っている。
[ソ連・中国への民間外交]
東西冷戦のさなか、彼の「ソ連、中国への民間外交」は注目を集めた。
みずから回顧録で次のように記している。(原文のママ)
「わたしは、右派からも左派両方の批判者たちにそしられた。
事実、わたしは好意や理解を得にくい立場にいた。
批判者たちは、“自分が独裁者に会うと必ず取り入ろうとする”と主張した。
しかし40年以上にわたって、外国の指導者たちと私的な会合を続けるあいだ、
わたしはけっして自分が同意できない見解に従ったことはない。(中略)
わたしは最も凝り固まった独裁主義体制でさえも、
最終的には、優れた価値を持つアメリカの制度に屈服すると信じているので、
この機会を利用しているのだ。」と。
○ソ連との関係
3世が接したソ連の指導者は、
最初のフルシチョフからゴルバチョフに至る事実上すべての指導者と会っている。
フルシチョフとは、国連事務総長の仲介でモスクワで会い、同行した娘が記した会話の内容も回顧録には残されている。
フルシチョフへの印象は、一方的にソ連側の主張をまくしたてられ、
時にはアメリカに対し敵意すら感じたところもあった(自分に対してではない)、と。
銀行家の本能として、ソ連の最高指導者が、アメリカとの財政的、経済的な拡張を
したがっているということを感じた、と。
3世はフルシチョフとの対話結果を、大統領選を控えたジョンソン大統領に報告、
大統領からは、「3世たちが、貿易をはじめとするソ連との商業的な絆の拡張に向けて
確かな一歩を踏み出したことを認める」という曖昧なもので、しかも発表は選挙後。
大統領選挙直前に“共産主義に寛容”ととられるのを避けたからとのこと。
ニクソン時代、米ソが歩み寄り1,972年11月新しい米ソ通商条約が結ばれる。
この流れのなか、同年、モスクワにチェース銀行の代理店設置の許可がおり、
ソ連における初のアメリカの銀行となる。
(筆者:ソ連での活動は、経済の方が政治を先導し、デタントを創出した、ということであろう。)
その後、コスイギン首相(ブレジネフ書記長のもと)とは、
ソ連通貨ルーブルについても話し合われたとのこと。
3世の主張は、ソ連が世界規模での経済大国になるには、
ルーブルがソ連圏外世界中のどこでも受け入れられる交換可能な通貨でなければならない、
とするもので、コスイギンも分かっているがどうしようもなく、答えに窮したという。
このルーブルの問題はゴルバチョフが訪米したとき(1,987年)にも質問したが、
答えは“検討中”だった、とか。
(筆者:党やイデオロギーで雁字搦めのソ連の弱点を突いた形ではあるが、
自分たちは民間でドルを自在にコントロールする立場の者が、お前が言うかよ!の感でもある。)
○中国との関係
1世の時代からロックフェラー財団等を通じて中国への関りはあったが、
3世自身の中国入りは1,973年であり、ニクソン訪中(1,972年)以降のことである。
この事象だけ見れば政治が先行したあと経済が動いたようにもみえる。
当時の中国は毛沢東の時代で、1,960年代半ばの文化大革命の余波による混乱のさなかにあった。
1回目訪中の最後の夜に周恩来首相との面会ができる。
3世から見た周恩来首相は、国際的な経済・財政問題に最も関心があり、
3世に“国際通貨制度”のことについて質問を求めたりした、とのこと。
3世は、総じて周恩来は思想へのこだわりはなく、重要問題への関心の高さに驚いた、と。
ただ、自国通貨と外貨の交換について、ソ連のコスイギン首相は理解できていたのに、
周恩来は、元が外貨との交換ができないことについて、
“元の強みは国際通貨ではない点にあり、だからこそ、わが国の経済力に支えられている元は非常に強い”
とすら発言し、全く理解できていないようだ、と。
(筆者:中国でも通貨のことに触れている。大きな、しかも自慢の関心事であったと思われる。)
周恩来の、毛沢東と一緒になって行った非人道的な犯罪行為にも触れている。
その後、鄧小平の時代になって米中の気運は一変する。
前年末に米中間の台湾問題が政治的に解決したのをうけ、
カーター政権下、米中国交の正常化がなる(1,979年)。
チェース銀行は北京に代理店設置が認可され、
チェースは、多くの面で、中国のアメリカ参入の入り口として機能するようになる。
回顧録に曰く、
「中国の扉がこじ開け放たれ、アメリカ企業がその扉をくぐり始めたときには、チェースはその向こう側で待っていた。」と。
3世は、鄧小平のことを、天安門のことはさておき、
外国との貿易と投資に門戸を開いたことを高く評価している。
[外交全般に影響を与える諸会議など]
3世は、外交問題評議会、三極委員会、ビルダーバーグ会議などを通じアメリカを、
ひいては世界の経済・政治を動かしてきた。細部は第3節で記述します。
世界の動きを歴史、政治の視点から追跡するのは良く目にしますが、こういう視点で見るとそうか成程そうだったのかと納得します。
それにしても財団は高貴な目標を掲げ、人類のために貢献しようとする訳ですが、それを維持発展させるためにも財力を維持する必要があり、表面に見えない色々な話もあるのでしょうね。
いづれにしてもこれだけの資料の整理、感服します。
教室で描かれた迫力あるふくろう像、素材の硬さや爪の先まで丁寧な描写、この精密さはご性格なのでしょうか。
補記、ついにロックフェラー家登場ですね、ロスチャイルド家と違う成金的登場ですが、19世紀から20世紀に世界を動かす人物の原点と継続発展がよく理解できました。
次回以降、分析を経てトランプ氏までつながっていくのは壮大なドラマですね、楽しみです。