川合玉堂画伯の『彩雨』を模写させていただきました。
(アルシュ極細目F6(31×41㎝) 水彩絵の具と墨使用)
身の程知らずもいいところ、代表的日本画家の代表的作品をです。
かれこれ20年程前になりましょうか、川合玉堂画伯の作品に夢中になった時期がありました。
画集を何冊か買ったり、ひとり奥多摩の「玉堂美術館」にも足を運んだりしたことでした。
親しみやすい日本の原風景を、画伯独特の、
墨と色彩を使った品格と温かみのある表現には強烈な印象を受けました。
当時は主に鑑賞するだけで、ため息をつきながら眺めていました。
その後水彩画に関心の中心がいっていましたが、
今この年になってフト、玉堂先生の作品を“チャレンジできるうちに!”
との思いに駆られ、不遜にも筆をとらせていただいた次第です。
当時入手したものの中の一冊に『画集 川合玉堂の世界』(美術年鑑社発行)があります。
画集の巻頭言で美術評論家の鈴木進氏は、
「画伯の山水風景は『どこにもあるが、どこにもない』、
つまり写生を基礎にして、胸中につくられた画伯の山水風景である。」
と述べられています。
ご無礼ながら言いえて妙だと思います。
今回はその中の一枚「彩雨」(実物は88×117㎝ 絹本彩色)(画集は12.8×17.0㎝)
をベースに描かせていただきました。
(本作品は印刷物やネット上でも沢山掲載されていますが、微妙に色合いが違うようです)
模写しながら感じたことなどをいくつか。
まずこの絵の画題は趣一杯の「彩雨」、画伯ご自身の造語とのことです。
秋雨のなか、色づきそして煙る風景です。
今回使用した紙は実物のほぼ1/3大のアルシュという水彩紙。
墨を使っての水彩紙、修正はできません。
色を乗せる手順が大事なようです。
原則は遠景から始め、徐々に近景へと筆を移し、
次に述べます重ね塗りとあいまって遠近感を出すようにしました。
その際、パレット内での混色したのもありますが、
先に塗った方をまず乾かし、その上から重ね塗りをする手法を多用しました。
最後の段階では秋雨の雰囲気を出すため、
画面全体にやや大きめの平筆で、色を少々加えた薄墨を施しました。
二つは白と黒の対比です。
水の白と水車や筧(かけい)の黒、
点景農婦さんの手ぬぐい頭巾や野菜と着衣、
右側小屋の障子部屋と萱葺屋根など、
ススキとそのバックなどです。
全体が朦朧気味の中、画面を静かなトーンで引き立ててくれています。
三つは点景農婦さん二人。
まずは白頭巾の女性、黒との対比は先に書きました。
その手に抱えた野菜、何をもっているのか、
実はお手本にした写真では分かりにくかったのですが、
一応白い大根とネギということで描きました。
もう一人、ほとんど傘だけで後ろ向き身体半分一寸しか見えない人物、
こんな点景の表現の仕方もあるのかと。
・・・余韻の世界かもしれません。
そして、二人は傘を傾けながらどういう会話をしているのでしょうか。
ほのかな温もりを感じます。
本作は結構時間を要しました。
家内に言わせればどうでもよさそうなところを、
ちょこっといじっては写真を撮り直し・・・を繰り返し・・・、
数十時間はかかったと思います。
最後の最後、落款の字と印のラインが曲がってしまいました。
これはこれにて・・・。
この様な風景は自分は体験していなくても小さい頃から聞いたり、映画とか本で得た知識が体の何処かに宿っているのでしょうね。
全般の色合いが茶系統ですから秋を、それから昔の方は本当に色々工夫して水を引き、又それをエネルギーにしたのには感心します。
農婦さん二人が色々想像を膨らませてくれるのが良いですね。
作品も見事な出来だと思います。
昔多摩地方に長く住んでいたので奥多摩にも度々でかけ、玉堂美術館も訪れました。
私の乏しい知識で恥ずかしいのですが、この作品は玉堂の雰囲気を感じますし、作品全体や個々の描写はかなわないのは当然としても、雰囲気で言えば玉堂彩雨より更に雨に煙る感じ出ていると思います。
書き直しのきかない作画の中、細部の描写の工夫、苦労も見て取れる労作ですね。